自由契約選手にも詳細な規定を 
〜ジェレミー・パウエルの2重契約問題〜


犬山 翔太
 
 1.パウエルの2重契約問題が訴えるもの

 外国人選手は、不安定な立場にある。それを象徴する騒動がついに起こった。
 ジェレミー・パウエルの2重契約問題である。
 2008年1月11日にオリックスがパウエルの入団合意を発表していながら、1月29日にソフトバンクがパウエルの契約合意を発表したことから2重契約では、という疑惑が浮上したのである。オリックスは、推定年俸5500万円+出来高、ソフトバンクは、推定年俸1億円+出来高だったと言われている。

 騒動は、紆余曲折を経て、パウエルの希望通りソフトバンクに入団が決まる決着となった。事実関係がきっちりと解明される前に、コミッショナー代行の要請によって、すべてを白紙に戻し、パウエルが自由契約選手になった状態から仕切り直したからである。
 それによって、事実上、ソフトバンク入団が確実となり、実際にパウエルは、ソフトバンクと契約した。

 果たして、1月11日から1月29日までの間に何が起こっていたのか。パウエルが開いた会見から推察するとこうなる。
 1月11日にオリックスは、パウエルと入団合意に達したことを発表した。推定年俸は、5500万円+出来高である。
 しかし、1月12日から19日までの間にオリックスがパウエルの契約条件を当初よりもパウエルが不利になる変更をしようとした。
 パウエルは、1月20日前後にオリックスへ交渉打ち切りを通告した。
 すると、21日から28日までの間にソフトバンクから獲得の申し入れがあり、契約に合意した。
 1月29日にソフトバンクがパウエルと契約合意に達したことを発表した。推定年俸は、1億円+出来高である。

 パウエルが主張しているのは、オリックスと交わしたのは入団の合意であり、就職で言えば、内定のようなものだということである。
 一方、ソフトバンクと交わしたのは、正式契約の締結であり、就職で言えば、入社の誓約書にサインしたようなものだということである。

 パウエルがオリックスとの交渉打ち切りを決めたのがソフトバンクから獲得の申し入れがあった前か後かは、極めて微妙なところで、そこによってパウエルの行為の善悪が大きく異なるのだが、そこはもはや詮索する必要もなくなってしまった。

 だが、現状を放置すれば、いつか同じような二重契約問題が起きることは間違いない。
 いくら年俸が低くとも、獲得の自由競争は、選手と球団の行き違いやマネーゲームを生む。また、選手が各球団と交渉を続けながら、どの球団にも入団を匂わせておいて、年俸を徐々に釣り上げて行くという手法を取れなくはない。年俸を吊り上げるためだけに、交渉を長引かされては、どの球団もたまったものではない。
 何らかの改善策が必要なことをパウエルの二重契約問題は、訴えかけているのである。


 2.パウエルへの同情

 私は、2001年にジェレミー・パウエルの登板を観戦している。
 当時、来日1年目のパウエルは、まだローテーションの谷間を埋める投手だった。
 私が観戦した8月11日の近鉄×西武戦は、近鉄がパウエル、西武が三井浩二というローテーションの谷間同士の投げ合いになった。想定通りの打撃戦となった試合は、パウエルが5回1/3を6安打自責点5でマウンドを降りると、その後も投手陣が乱調で、近鉄は、8−11で敗れた。
 その年、近鉄は、球団として最後となるリーグ優勝を果たすわけだが、パウエルは、シーズン4勝を挙げたのみに終わる。日本シリーズでは第1戦に先発するという厚遇を得たものの、6回4失点で敗戦投手となる。雪辱を期した第5戦でも先発しながら1回3失点で敗戦投手となり、パウエルの来日1年目は終わる。
 そこまでのパウエルの成績は、並の成績であり、外国人投手としては明らかに物足りないものだった。
 パウエルは、大リーグでもこれといって輝かしい成績を残してきたわけではない。1998年から2000年まで3年間エクスポズに在籍し、通算5勝16敗、防御率5.84という並以下の成績しか残せていない。
 観戦した私の目には、1、2年で帰国を余儀なくされるほとんどの外国人と同様に映った。

 しかし、来日2年目にパウエルは、覚醒する。ローテーションの中心投手として17勝10敗、防御率3.78、182奪三振、勝率.630、4完封という活躍で、最多勝、最多奪三振、最高勝率、最多完封というほとんどのタイトルを獲得し、ベストナインにも選ばれたのである。
 一躍、近鉄のエースとなったパウエルは、2003年に14勝、2005年には近鉄とオリックスが合併したオリックス・バファローズでエースとしてJPの登録名で14勝を挙げる活躍を見せる。

 そして、その年のオフにはオリックスとの契約交渉がまとまらず、推定年俸2億円で巨人へ移籍する。移籍1年目の2006年に10勝を挙げたものの、2007年は故障の影響でシーズン0勝に終わり、自由契約となる。

 だが、パウエルの故障は、2007年オフにはほぼ完全な状態に戻っていたようである。2007年は、故障後の登板も、たまたま巡り合わせが悪くて0勝に終わったものの、球威がそれほど衰えた印象はない。
 巨人を自由契約となったものの、投手陣が手薄な球団にとっては喉から手が出るほど欲しい投手である。

 そこでまず、古巣のオリックスが動き、2008年1月11日には入団合意にこぎつけた。しかし、1月29日にはソフトバンクが契約合意を発表する。
 こうして日本国内では類を見ない外国人選手2重契約問題に突入したのである。

 この経緯で注目すべきなのは、パウエルが2007年はシーズン0勝の外国人投手だが、実績はエース級の31歳ということである。つまり、各球団としては、極めて評価を判定しにくい状況にあった。
 そのため、オリックスは、年俸を抑えた。年俸2億円をもらっていた選手が翌年度は5500万円というのは、同一球団であれば、野球協約の減俸限度額を超えている。巨人が契約を延長していれば、少なくとも1億2000万円の年俸が保証されていたはずなのだ。
 このあたりを考えると、私は、たとえパウエルがオリックスとの契約の可能性を残したまま、ソフトバンクと交渉に入っていたとしても同情してしまう。
 
 外国人は、日本人選手とは異なり、1年1年が勝負である。ロッテのエースだった黒木知宏投手は、2002年以降、故障とリハビリによって2007年までの5年間にわずか3勝しか挙げることができなかったが、その間、球団は、黒木と契約し続けた。
 これが外国人選手だったら1年を棒に振れば、よほどの例外を除いて自由契約となる。
 外国人選手は、ただでさえ狭い外国人選手枠の中でせめぎあう運命にあり、生活習慣や言葉の壁さえある。
 パウエルは、結果的に年俸が高いソフトバンクを選択したが、私にはパウエルの気持ちが痛いほど分かるのである。


 3.自由契約選手にも詳細な規定を

 自由契約選手の獲得は、ドラフトとは異なり、自由競争である。FA宣言とも異なり、それまで在籍していた球団への補償もない。年俸に上下の制限もない。
 そのため、自由契約選手は、ドラフト制度開始前のアマチュア選手と同様に、何の縛りもなく各球団と交渉できる。
 現在、世間では、またパウエルのような問題を起こしてしまう外国人選手が出てくるのではないかと憂慮されてはいるが、それは、日本人選手でもありえるのである。

 2重契約になりかけたパウエルとは全く逆の例として、2007年にパリーグの看板打者だった中村紀洋選手がオリックスを自由契約となった後、高年俸がネックとなって各球団が中村獲得を敬遠した。中村は、辛うじて低年俸で中日と契約にこぎつけ、野球浪人となる危機を脱したのである。
 これも、自由契約選手のあまりにも弱い立場が招いた結果である。

 こうした結果を防ぐには、野球協約を改正して、自由契約選手の立場を守ることが必要である。
 基本的には、自由契約となっても、日本プロ野球に在籍していた選手は、野球協約の「参稼報酬の金額が1億円を超えている場合は40パーセント、同参稼報酬の金額が1億円以下の場合は25パーセントに相当する金額を超えて減額されることはない。」という部分が守られるべきである。
 それで、獲得を表明する球団がなければ、そこで初めて限度額以下の年俸での交渉を始めて行けばいいのである。

 こうした環境を整備するためには、協約の改正の他にも、自由契約選手と球団の間をとりもつ第3者組織が必要になるだろう。
 現在のような個人選手の代理人が交渉にあたっていては、様々な行き違いを生む。
 第3者組織が存在すれば、そこで契約条件を管理して選手がどの球団に入団するかを決めることができる。一種の入札のような形になり、現状のように交渉の不透明さも解消できるはずである。今まで契約後に球団が優位になるように内容を変更したり、球団が法外な年俸で他球団の外国人選手を引き抜いていたり、ということがあったとしても、それが解消できるのである。
 近年の年俸の高騰により、今後、高額年俸の選手が突如、自由契約選手となることが増えると予想される。そのときのために、今のうちに今後を想定した整備をしておくことが将来の問題回避につながるはずである。






(2008年3月作成)

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