日米野球よりも、アジア・アメリカシリーズを
〜全敗に終わった2006年日米野球から〜


山犬
 
 1.日米野球は必要なのか

 2006年の日米野球は11月3日から5試合に渡って行われた。
 真剣勝負とはいえ、どちらかが3勝すれば終わりというものではなく、どちらかがいきなり3連勝しようとも、残りの2試合は行われる。つまり、一方的な5連勝で終わってしまうこともありえるのだ。

 日米野球は、親善試合なのか、真剣勝負なのか。その問いにはっきり答えを出すことは難しい。いずれの要素も、含んでいるように思われるからだ。
 そもそも、勝負には全くこだわらない親善試合というものは、ほとんど存在しない。しかし、死ぬか生きるか、というほどの気持ちで臨む真剣勝負というのがほとんど存在しないことも事実である。
 それでも、日米野球の前日には、巨人とアメリカ選抜チームとの親善試合が行われていることから考えると、日米野球本戦は、本来、真剣勝負の場としてとらえるべきものだろう。勝ったチームには賞金も出る。真剣になる理由もあるのだ。

 しかし、2006年は、日本から大量の出場辞退者が出た。その数は、全試合終了後に野村克也監督が25人だったことを明かしている。これまでの日米野球でも前例がないほどの数である。
 一方、大リーグ選抜は、例年であれば、出場辞退者が多く出て、チーム編成に苦労する状況にあるのに、2006年は、それほど苦労しなかったと聞く。その最大の理由は、WBCで世界一になった日本に敗れるわけにはいかない、という大リーグのプライドがあるようだ。おかげで、若くて勢いのある超一流大リーガーが揃うことになった。
 かつて、日本人選手の多くは、本物の大リーグに触れたいから、学びたいから、と日米野球の日本代表になることを望んでいた。逆にアメリカ人は、日本は遠いし、レベルが低いから、と日米野球に参加することにどちらかと言えば後ろ向きだった。
 しかし、2006年の状況を見ると、そんな過去の状況と逆転する現象が起きつつあることが分かる。

 確かにWBCでも、日本人選手の何人かは辞退していた。しかし、ここまで多くの選手が辞退することはなく、それなりに日本代表チームが形成されていたと言うべきだろう。
 しかし、2006年の日米野球の日本は、果たして日本代表チームと呼べるのだろうか。
 たとえば、第2戦に先発したのは、日本のプロ野球でシーズン5勝の投手である。その事実自体がこの日米野球の異常さを示していないか。
 打つ方では、福留、松中、岩村、金本らがいない。投げる方では松坂、斎藤、川上、黒田、藤川、岩瀬らがいない。これで大リーグ選抜と互角に戦えというのは酷である。井口や城島が大リーグ選抜として出るのなら日本選抜としてT・ウッズや李承ヨプ、カブレラらも出場させるオールスターチームを形成すべきなのではないか。

 私は、この日米野球をテレビ観戦していて、自分の興味が大リーグ選抜の各打者が放つ本塁打にしか行っていないことに気づき、愕然とした。
 日本選抜がアメリカ選抜に立ち向かって行っているのだから、本来であれば、日本選抜チームを心から応援すべきである。しかしながら、「勝負は、別にどちらが勝ってもいい。大リーガーの豪快な本塁打が見られれば、それで満足だ」と考えている自分がいることに気づいてしまったのだ。
 第2戦は、日本がアメリカに終始リードを許して敗れたが、不思議なことに悔しいとか、あそこで1本出ていれば、といった感情が沸いてこなかった。
 
 真剣勝負でありながら、どちらのチームからも必死さは伝わってこないように感じる。WBCで日本代表がアメリカ代表に誤審で敗れたとき、あんなに悔しい思いをしたのに、この日米野球ではたとえ誤審で敗れたとしても、仕方ないな、という程度の受け入れをしてしまうだろう。
 WBC、ペナントレース、日本シリーズと、2006年は、魅力的な試合が続いただけに、余計にこの日米野球が浮わついて見えてしまう。
 それゆえ、私は、現在のような日米野球は、果たして本当に必要なのか、という疑問に行き着くのである。


 2.時代の変遷が日米野球を変えたのか

 日米野球と言えば、歴史は古い。1908年にコースト・リーグ(現3A)を中心としたアメリカ選抜が来日し、当時アマチュアしかなかった日本チームに1勝すらさせず、完膚なきまでに圧勝したのが始まりである。
 その後も日本は、アメリカ選抜や大リーグ球団、あるいは大リーグ選抜に叩きのめされるのだが、そんな中で大リーグのスターで構成された大リーグ選抜に対して互角に渡り合ったので有名なのは、1934年の沢村栄治である。
 第10戦で先発した17歳の沢村は、大リーグ選抜を6回裏まで無失点に抑え、7回裏にルー・ゲーリッグにソロ本塁打を浴びたものの8回を完投し、5安打1失点9奪三振に抑える快投を見せた。
 試合は0−1で敗れたものの、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらがいた最強チームをあわやというところまで苦しめたこの試合は、日米野球の中で燦然と輝きを放っている。

 1960年代に入ると、ON(王、長嶋)の台頭もあって日本野球が活気づき、次第にレベルが上がって1966年にはロサンゼルス・ドジャースに8勝9敗1分という結果を残した。王や長嶋は、大リーグでも活躍できる、と断言する大リーグ関係者もおり、日本選抜は3Aの強豪チームと同等という評価を得られるまでになった。
 それ以降、1970年に日本は、サンフランシスコ・ジャイアンツに6勝3敗、1990年には大リーグ選抜に4勝3敗1分と勝ち越し、日本野球が大リーグのレベルにかなり接近していることは明らかとなっていく。
 そして、この1990年に大リーグ選抜を破った主力メンバーの中から野茂英雄と伊良部秀輝が数年後に大リーグで活躍することになるのである。

 だが、その一方で、日本人選手の中に、大リーグ選抜と戦う日米野球に出場することへの憧れが薄らいできたことも事実である。
 沢村や王、長嶋の時代は、大リーグと言えば、遥か雲の上の存在だった。試合をしてもらえるだけで光栄という時代だったのだ。
 だが、現在は事情が大きく異なる。FA宣言すれば、日本だけじゃなく、海外の球団もこぞってその選手の獲得に動く。さらに入札制度によって、FA宣言の前であっても大リーグへ移籍することが可能である。
 もはや、日本の別球団へ移籍するのと同じような感覚で大リーグへの移籍ができてしまう時代になってしまったのである。
 時代は、日米野球の役割を終わらせてしまったのだろうか。


  3.国と自身の威信を賭けて戦える場を

 2006年の日米野球で日本選抜は、大リーグ選抜の圧倒的なパワーの前にねじ伏せられ、屈辱ともいえる0勝5敗で全試合を終えた。
 マスコミがしきりに報道していたのは、大リーグ選抜に全敗したのは、72年ぶりの屈辱だという事実である。
 確かに全敗が沢村の快投が有名になった1934年以来であることは事実なのだが、そこにはちょっとしたトリックがある。
 たとえば、1955年のニューヨーク・ヤンキースとの対戦では、日本選抜チームや各プロ球団が立ち向かったが0勝15敗1引分という惨敗に終わった。しかし、引分が1つあったことやヤンキースという特定球団との対戦であっただけに、大リーグ選抜に全敗という事態ではなかったわけである。
 その後、1980年代以降でも1986年には日本選抜が大リーグ選抜に1勝6敗と敗れており、1992年にも大リーグ選抜に1勝6敗1引分と敗れている。
 日本は、大リーグ選抜や大リーグ球団にかなりの惨敗を繰り返してきながら、たまたま全試合敗退というのが72年間存在しなかったわけである。しかも、2006年の場合、5試合のうち3試合は、白熱した好試合であり、勝負はどちらに転んでもおかしくなかった。
 それだけに、日本と大リーグの差が想像以上にあったという結果ではない。ただむやみに72年前と比較することはできないのだ。

 そうなると、やはり日本選抜は、誰もが納得できる日本の代表選手たちで構成すべきだったのか。出場辞退選手がいなければ、勝ち越せていた可能性すらあるのだ。
 選手たちは、ペナントレースや日本シリーズなら出場するのに、どうして日米野球には出場しないのか。その観点から切り込むと、ファンありきのプロ野球にあって、ファンを無視して自らの都合のみで出場をとりやめた選手たちの身勝手さがあまりにも度を越しているように思える。

 しかし、日米野球を取り巻く状況を見ずに、こうして辞退した選手だけを責めるのは酷である。日米野球に出場して得られるものの小ささも考えねばなるまい。選手たちは、既にこれまでの経験やメディア、日本人大リーガーを通じて、大リーグというものに触れており、大リーグから得られるものは、ほぼ得てしまっていると考えてしまうのかもしれない。それゆえに大リーガーとプレーするということに大きな価値を感じなくなっているのだ。
 つまり、出場したところで、期待するほどのメリットがない。年俸には影響しないし、所属する球団の収入にも影響しない。勝利によって呼び起こされる歓喜も小さい。日米野球を見るファンを喜ばせるだけのために出場するような感覚を持ってしまうのも無理はない。
 自らの野球人生を賭けて、数百万人、場合によっては数千万人のファンや関係者とともに、死に物狂いで歓喜を勝ち取りに行くペナントレースや日本シリーズとは明らかに質が違うのだ。

 かと言って、日米野球は、時代の流れで役割を終えたのだ、と断定してしまうと、長年続いてきた国際交流、国際化への道を自ら閉じてしまうことになりかねない。今、日米野球に必要なのは、選手たちが自らの野球生命、そして国の威信を賭けて戦える場に改善していくことである。
 そのためには、アジアシリーズを制したチームと大リーグのワールドシリーズを制したチームとで、アジア・アメリカシリーズを行うのが最善の近道ではないか。 
 それを今後、他国のプロリーグの普及に合わせて巻き込んでいけば、近い将来、様々な国々のプロリーグを制したチームが世界一を賭けて戦う真のワールドシリーズへつなげていけるにちがいない。
 WBCの出場国数で見えてきたものは、サッカーに比べて、世界各国への幅広い普及がかなり遅れているということである。
 国際化のために、日米野球のあり方を今後改善していくことで、野球の世界普及を後押ししてもらいたい。そうしたことの積み重ねが野球の五輪復帰への道も開いてくれるはずである。




(2006年11月作成)

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