夢を幻滅させた契約更改
 〜中村紀洋のオリックス退団から見えた契約の問題点〜


山犬
 
 1.年俸の高騰と弊害

 プロ野球は、子供たちに夢を与える職業である。
 私は、子供の頃から幾度となくこの言葉を耳にしてきた。一般的な日本のサラリーマンが一生かかってどうにか稼げるかどうかというお金をわずか1年で稼げる超一流選手は、私にとって雲の上の存在であり、同時に夢や憧れの対象でもあった。
 そして、そういったプロ野球選手は、大抵、自らの誇りを保ったまま、華々しく引退の道を飾ることが多かった。それゆえに、私たちが子供の頃、男子の夢は、プロ野球選手と答えるのが大半を占めていたのである。

 私のプロ野球選手へ憧れも、落合博満が1987年に中日へ移籍したとき、日本人初の年俸1億円プレーヤーになったという事実が大きかった。もしサラリーマンが1億円という大金を手にするとしたら、宝くじが当たったときくらいでしかない。なのに、さも当たり前のように毎年1億円を稼ぎ出すプロ野球選手に、私は、英雄と呼べるオーラを感じないわけには行かなかった。
 落合博満は、巨人在籍時代、4億円プレーヤーにまで登りつめる。それは、落合自らが大リーガーとの待遇格差に疑問を抱き、少しでも大リーガー並みの待遇に近づけるため、孤軍奮闘したところが大きかった。

 しかし、その後、落合の意図とは別のところで、年俸は、高騰に高騰を重ねることになる。FA制度の創設により、一流選手の獲得競争が激化したことで、レギュラークラスの選手の年俸が軒並み高騰し始めたからである。そして、近年では、一流選手の大リーグ流出を食い止めるために、さらに年俸が高騰する現象が起きつつある。
 これらの要因が重なったことにより、突出した好成績を残さなくても、数年レギュラーでそこそこの成績を残せば1億円プレーヤーになれてしまう時代が訪れたのである。2006年末現在の推定では、日本人の1億円プレーヤーは、実に60人以上存在すると思われる。

 子供たちの夢の裾野が広がった。そう見ることもできるだろう。
 だが、その反面、子供たちの夢を幻滅させるような情報も、テレビや新聞等の報道から知ることができてしまうのである。
 たとえば、工藤公康は、2006年の年俸が推定2億9000万円だったが、シーズン成績が3勝2敗と低迷し、44歳になる2007年のシーズンは、横浜へ移籍することになって年俸も推定9000万円と前年よりも2億円も低い年俸で働くことになった。
 こうした大幅減俸は、工藤だけではない。古田敦也、谷佳知ら、多くの選手が同じ憂き目に遭っているのである。そして、中村紀洋がオリックスの大幅減俸による交渉決裂から自由契約に至り、移籍先を自ら探さねばならなくなるという苦境においては、今まで表面化していなかった懸念が一気に噴出したと言ってもいい。
 子供たちは、こうした情報を耳にして、夢の高年俸が危うい橋の上に成り立っているはかなさまで知ってしまうことになる。一流選手に待ち受ける現役後半の厳しい現実に、子供たちは、プロ野球への夢を今までのように感じることができるのだろうか。


 2.限度額を超える減俸

 日本のサラリーマンの給料は、年々わずかしか上がらない。だが、大きく下がることもない。上がり幅も、昔から受け継がれる年功序列制の下に成り立っていることが多く、大抵は、一律で決まった金額を基準としており、優秀な社員とそうでない社員の格差もさほど大きくないのが一般的である。私たちは、そういう少しの上昇を期待して、日々仕事に打ち込むのである。
 国税庁の調べによると2005年現在、日本のサラリーマンの平均年収は約437万円となっている。バブル期のように給料が大きく上がる時期は終わり、今後は徐々に平均年収も下り始めることになる。
 数年前、森永卓郎の『年収300万円時代を生き抜く経済学』という著書が話題となったが、今後はそんな冬の時代が訪れる可能性が高いのだ。

 一方、プロ野球選手の年俸は、上がり幅も大きいが下がり幅も大きい。何せ、個人の実力や成績がすべてという世界である。好成績を残せば億万長者、結果を残せなければ解雇という大きな格差を生み出す。
 大リーグになれば、桁外れである。1年で数十億円を稼ぐメジャーリーガーもいれば、サラリーマン以下の賃金でハンバーガーを食べながら生活するのがやっとというマイナーリーガーもいる。2006年オフにはレッドソックスが60億円を超える額で松坂大輔を落札して日本人の度肝を抜いたが、松坂は、年俸も大リーグ1年目から10億円を超えている。私など、5回生まれ変わっても、10億円という大金を稼ぐことはできそうにない。
 2006年末現在、大リーグの平均年俸は、約3億円を超えている。一方、日本は、3700万円程度である。これは、大リーグが底辺に位置するマイナーリーガーを集計に入れていないことが原因ではあろうが、それでも、年俸十億円を超える選手が数多く存在する大リーグは、やはり日本と比較して、それだけの利益を生み出すビジネスとして成り立つということでもある。
 そういった収益面の格差を重視せずに、日本がFA制度や流出阻止のために、選手の年俸を高騰させたことで、日本の各球団は、収益と選手の年俸とのバランスを欠いてしまうことになった。

 そんなアンバランスな上に成り立つ日本プロ野球界の現状を身を持って知らしめたのが中村紀洋である。
 中村紀洋は、2002年まで順風満帆なプロ野球人生を歩んできた。2000年に39本塁打、110打点で本塁打王と打点王の二冠王に輝くと、翌2001年には打率.320、46本塁打、132打点という驚異的な成績を残し、打点王に輝くとともに近鉄をリーグ優勝に導く原動力となった。そして、推定年俸5億円を稼ぐ超一流選手として子供たちの憧れの対象にもなった。
 しかし、2002年オフに大リーグ挑戦を試み、ほぼ決まりかけながら交渉決裂で近鉄残留を決めた後、右膝や手首の故障に悩まされ、2005年には大リーグ挑戦を試みるも、出場機会に恵まれず、2006年には日本球界のオリックスに復帰する。だが、日本球界復帰後も、試合中の死球による左手首や左肘の負傷により、満足な成績を残せないままシーズンを終えた。
 そのせいで、オリックスは、中村に推定年俸2億円から1億2000万円減の推定8000万円を提示する。しかし、交渉は、5回に渡る長期戦の末、決裂に終わる。中村は、野球協約の規定を遥かに超える減俸に納得できなかったのである。

 減俸の規定については、野球協約の「統一契約書様式」の規定で、次のようになっている。

第31条 (契約の更新) 球団が選手と次年度の選手契約の締結を希望するときは、本契約を更新することができる。

(1)球団は、日本プロフェッショナル野球協約に規定する手続きにより、球団が契約更新の権利を放棄する意志を表示しない限り、明後年1月9日まで本契約を更新する権利を保留する。
次年度契約における参稼報酬の金額は、選手の同意がない限り、本契約書第3条の参稼報酬の金額から、同参稼報酬の金額が1億円を超えている場合は40パーセント、同参稼報酬の金額が1億円以下の場合は25パーセントに相当する金額を超えて減額されることはない。

(2)選手が明年1月10日以後、本契約書第3条の参稼報酬の金額から、同参稼報酬の金額が1億円を超えている場合は40パーセント、同参稼報酬の金額が1億円以下の場合は25パーセントを超えて減額した次年度参稼報酬の金額で本契約の更新を申し入れ、球団がこの条件を拒否した場合、球団は本契約を更新する権利を喪失する。

 日本プロ野球界で推定年俸2億円だった中村には、規定通りに交渉が進めば、1億2000万円を下回る年俸はないはずだった。
 しかし、オリックスが提示した年俸は、推定8000万円であり、60%の減額となっていた。この時点で、その年俸で契約を締結するには「選手の同意」がなければならなくなった。オリックスは、無理にでも中村の同意を得ることを前提とした年俸を提示したのである。
 しかし、何度交渉の場を設けても、中村側は、同意しなかった。「選手の同意」が得られなくなったオリックスは、信じがたいことに中村に1億2000万円で契約を締結することをせず、中村が退団を申し出たこともあって、最初から「選手と次年度の選手契約の締結を希望」しなかったことにしてしまったのである。
 今回の騒動から見えてきたものは、現在の野球協約があまりにも球団に有利に解釈できてしまうということである。自由契約、つまり解雇にするという権利を球団が持っているとはいえ、一旦は選手契約の締結を希望した球団が、締結を希望する選手との契約更改を完了できなかった、という事実は、ことのほか重い。
 やはり、このような事態になりえる野球協約の規定自体に不備があると考えざるをえないのである。


 3.一流選手の将来を考えた野球協約に

 中村は、自由契約選手として、所属球団が決まらないまま、2007年のプロ野球選手の稼働開始となる2月1日を過ぎてしまった。各球団が春季キャンプに入ったというのに、中村は自主キャンプをよぎなくされている。
 2006年の中村にとって、試合中の死球による負傷は、避けたくても避けようのないものだった。5月13日に左手首に受けた死球による負傷、8月11日に左肘に受けた死球による負傷などは、中村の過失として扱われるべきものではないはずだ。
 それゆえに、いくら期待通りの成績が残せなかったとはいえ、中村の年俸は、やはり野球協約で一般的に解釈できる通り、最低でも1億2000万円以上の年俸は保障されてしかるべきだったと思われる。

 しかし、球団は、「選手と次年度の選手契約の締結を希望」し、「選手の同意」が得られていないにもかかわらず、40%を超える減俸をつきつけ、交渉を決裂させてしまったのである。
 こうなると、選手をいつでも解雇できる権利を手にしている球団側に、どうしても有利に働いてしまう。球団が提示する報酬以上のものを出して契約するつもりはない、と言ってしまえば、それまでであるからだ。今回の中村のようなケースが今後も認められるとするならば、年俸5億円の選手が翌年は年俸1000万円にまで下げて契約せざるを得ないという事態すら、ありえてしまうのである。

 高い利益を生まないにもかかわらず、年俸が高騰してしまった状態。確かにそれが現在の日本プロ野球の姿である。これは、日本の多くの企業が抱える問題であったりもする。
 しかし、日本が日本企業全体の責任によってバブル景気という状況に陥り、個々の末端社員に責任はないのと同様に、プロ野球の年俸の高騰もFA制度や流出阻止によって起きたというプロ野球界全体の責任によるものではあり、個々の選手にその責任はない。

 ならば、野球協約は、もっと選手の権利を保護できるものでなければ、今後も、同じような事態が頻発する可能性が高い。
 年俸の高くなった一流選手は、試合で故障すれば即引退、即退団というような惨状では、プロ野球選手というものが子供たちに対して夢を与える職業として成り立たなくなってしまう。
 少なくとも、球団が「選手と次年度の選手契約の締結を希望」するなら、つまり、一度は契約更改の場を持ったなら、野球協約の「統一契約書様式」にある「同参稼報酬の金額が1億円を超えている場合は40パーセント、同参稼報酬の金額が1億円以下の場合は25パーセントに相当する金額を超えて減額されることはない」という部分は、いかなることがあっても守られるような規定でなくてはならない。「選手の同意」を得るため、それ以上に下げさせてほしいと球団が選手に頼み込む交渉は、その後でやればいいのだ。
 プロ野球は、国民の夢の職業である。ゆえに、球団と選手の確執から起きる惨状を子供たちに見せないでほしいのである。




(2007年2月作成)

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