国民に夢を与える引き際を用意すべき 
〜球団合併に翻弄された元近鉄の名選手たち〜


犬山 翔太
 
 1.栄光のいてまえ打線

 野球観戦をしていて最も面白い試合は、乱打戦である。そして、ひいきの球団が勝てば、なお面白い。
 投手がどれだけ点を取られても、それ以上に打って勝ってしまう。そんな球団は、苦手投手にぶつかったときに脆弱さを露呈してしまうのだが、12球団のうち1つでもそんな球団があって、さらに優勝争いにからんでくると、野球が面白くなる。

 2001年は、まさにその面白い年だった。近鉄のいてまえ打線が火を噴いたからだ。

1番センター 大村直之
2番セカンド 水口栄二
3番レフト タフィ・ローズ
4番サード 中村紀洋
5番ライト 礒部公一
6番ファースト 吉岡雄二
7番DH 川口憲史
8番ショート ギルバート
9番キャッチャー 古久保健二

 これは、リーグ優勝を決定した試合の先発メンバーである。その試合は、伝説の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打が出たことで有名だ。2−5とリードされた9回裏無死満塁で古久保の代打として登場した北川博敏が奇跡を起こしたのである。
 この年の近鉄は、タフィ・ローズと中村紀洋の2人で101本塁打を放ち、全体でも打率.280、211本塁打を残した脅威の打線である。防御率が4.98とリーグ最下位だったのだから、それで優勝できたということも奇跡と言ってもいい。

 だが、この優勝が近鉄最後の輝きだった。その後、近鉄は、日本全国を大騒動に巻き込んだ末、2004年終了後に消滅するのである。
 そして、このとき輝いた選手たちは、散り散りになって、その多くが苦難の道を歩んでいく。
 2011年、再び、私たちが受けた衝撃は、近鉄消滅が生み出した悲劇なのではないか。


 2.古巣を失ったいてまえ打線

 2001年、リーグ優勝を果たした先発メンバーだった選手たちのうち、ギルバートは、その年限りで解雇、古久保は翌年限りで引退する。
 その後、近鉄は、徐々に勢いを失っていく。2003年オフ、タフィ・ローズは、複数年契約が球団から認められず、2003年オフに巨人へ移籍。
 追い打ちをかけるように2004年には、近鉄とオリックスの球団合併が世間を賑わし、合併を進める経営側と合併を阻止したい選手側の思惑が衝突して、球界再編問題という日本全体を揺るがす騒動となった。
 その騒動は、近鉄の選手会長礒部とプロ野球選手会長古田敦也の尽力と楽天の新規参入、世論の後押しもあって、プロ野球界縮小は免れた。だが、球団合併は阻止できず、近鉄は、オリックスに吸収されるような形で消滅する。
 中村紀と水口は、合併したオリックスに残り、吉岡と礒部、川口は、新規球団の楽天へ移った。そして、大村は、FA権を行使してソフトバンクへ移籍したのである。

 彼らがその球団で名球会入りできるまで現役人生を全うできたなら、まだ救いはあっただろう。
 しかし、古巣を失った彼らは、近鉄最後の優勝貢献選手という栄光を一向に顧みられないまま、苦難の道を歩む。
 水口は、オリックスでは一度も規定打席に達しないまま通算1213安打を残して、2007年限りで現役を引退する。吉岡は、楽天で2006年以降、徐々に出場機会を減らされ、通算883安打で通算2008年末に戦力外となった。
 礒部も、楽天で3年間は活躍したものの、2008年から出場機会を減らされて1225安打で2009年末に戦力外となった。
 川口は、楽天でレギュラーとしての機会を与えられることなく、通算613安打で2010年オフに戦力外となった。

 そして、中村紀は、2005年に大リーグ挑戦を経て2006年にオリックスに復帰したものの、規定を超える60%減の年俸で交渉が決裂し、中日に育成選手として入団。2年間活躍した後、楽天に移籍したものの、2010年オフに戦力外となった。
 大村は、2005年からソフトバンクで4年間活躍したのち、オリックスに交換トレードで戻り、2009年は活躍を見せたものの、2010年は出場機会を2試合に削られて2010年オフに戦力外となった。
 2009年オフにオリックスと交渉決裂したままのローズを含めると、2011年1月時点で実に4人もの優勝決定試合先発メンバーが引退していないまま所属先未定という事態になったのである。

 中村紀は、日米通算1828安打、大村は通算1865安打、2010年以降所属先のないタフィ・ローズは日米通算1924安打である。プロ野球史上に残る名選手である彼らが2000本安打直前にして、現役生活の危機に瀕している根本原因は、2004年の球界再編騒動がある。そして、この3人以外の選手たちも、他球団の生え抜き選手と比べると、明らかに不遇の現役生活晩年を送ったと言わざるを得ないのである。


 3.惜しまれて辞められる場を

 大村も、ローズも、中村紀も、仮に日本の1球団にずっと所属していたなら、通算2000本安打は、既に達成していたはずである。何せ、近鉄の史上最強打線を引っ張った1番打者・3番打者・4番打者なのである。
 当然、球団からは、最大の功労者としての扱いを受けてしかるべき選手だ。近鉄が現在でも存在していたならば、の話ではあるが。

 しかし、近鉄は、球団自体が消滅した。私は、仮に楽天が近鉄球団自体を買収していたら、どうなっていただろうか、と想像を膨らませることがある。
 楽天は、新しいものを常に取り入れることで発展してきた企業なので、近鉄の名選手たちを功労者として扱わなかったかもしれない。監督でさえ、創設後7年で4人目である。それでも、現在の状況よりは好転していたはずだ。
 
 プロ野球界を代表する3人の打者が揃って2000本安打手前で、所属先がないまま、現役続行の危機を迎えるとは、2001年の時点で誰が想像しただろうか。
 2004年当時、球団再編騒動最中に、12球団から11球団・10球団への縮小を阻止できたのは、大きな収穫だった。しかし、オリックスと近鉄の合併は、明らかに負の遺産である。
 2001年の近鉄優勝に導いた主力選手たちは、惜しまれて辞められる場を失ってしまったのだ。自ら引退時期を決め、華やかなセレモニーとともに多くのファンに現役時代を振り返ってもらう場がない。

 私がプロ野球を見るようになって以来、最大の衝撃であった球団合併から7年がたった。振り返ってみると、やはり球団合併は、やるべきものではないという結論に至らざるを得ない。球界内で粗雑に扱われてしまった元近鉄の選手たちは、言いかえれば球団合併に飲み込まれて翻弄されたわけである。
 大村やローズや中村紀といった名選手の華麗なプレーに魅了されてきた私としては、彼らに何としても通算2000本安打を達成してほしいと願っている。プロ野球界に偉大な功績を残した選手の引き際は、国民に夢を与えるものであるべきなのだ。




(2011年2月作成)

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