5日間のドラマ〜近鉄の命名権(ネーミングライツ)売却騒動〜

山犬
 
   1.名前は看板

「同級生のZ君が結婚したんだって」
 友人とのたわいもない話の中で、僕は、ときに刺激的な情報を得ることがある。
「ええっ、ほんと?結婚なんて一生しないって言ってたZ君が?分からないもんだね」
「そう。奥さんの実家の敷地内に家を建ててもらって住むそうだ。奥さんが2人姉妹の長女らしいから」
 どういうわけか、僕の周りには貧乏家庭の男性とお金持ち家庭の女性という結婚が多い。
「となると、Z君は、養子ってことだね」
 相手が長女で男兄弟がいないとなると、必然的にそうなる。
「でも、名字だけはZ君の名字にするんだってさ」
「そこだけは旦那に花を持たせるってこと?」
「まあ、花を持たせるというよりは、奥さんの名字にしてしまうと、いかにも養子ってことを知らしめてるようで世間体がいま一つだし、養子縁組はうまくいかないってよく言われるじゃない。だから、看板だけは旦那ってことにするのが多いみたいだよ」
 表札に象徴されるように名字は、いわば看板だ。名字だけ夫のを使えば、将来うまくいきそうにない夫婦関係もうまくいくようになるわけではないだろうけど、日本では結婚すれば必ず夫婦どちらかの名字、それもほとんどは夫の名字にすることになっている。
 でも、養子の場合、妻の名字にすることが一般的だ。日本では昔から家系というものを大事にする。家系が途絶えることへの縁起の悪さや祖先の祟りを説く人もいる。だから、未だに子供が娘ばかりなら養子縁組をして何とか家系を絶やさぬように、という例が多いのだ。
 妻の家なら妻の名字。夫の家なら夫の名字。それなら容易に理解できる。
 妻の家なのに、名字は夫。
 そんな、どことなく違和感がある状態を作り出そうとした球団が現れて、僕たちを驚かせた。


   2.「大阪近鉄バファローズ」→「山犬プレーヤーズ」?

 2004年1月31日、大阪近鉄バファローズは、2005年から球団命名権を売却することを発表した。
 球団は、今まで通り近鉄が保有する。でも、テレビや新聞によく出てくる「大阪近鉄バファローズ」という球団名を1年間35億円程度の額で付けさせてあげる、というのだ。
 たとえば、僕が個人でその命名権を買えば、「山犬バファローズ」と名付けるだろう。あるいは、ファンのこれまでの愛着を考慮しなければ、今までの球団名を全く無視して「山犬プレーヤーズ」なんて名前にしたっていいかもしれない。マスコミからは西武×山犬戦なんて呼び方をされるわけだ。
「これは、結構広告効果があるんじゃないの。でも、名付けるために30億以上のお金っていうのが……。宝くじが当たっても買える金額じゃないからねえ」
 僕は、そんな愚痴をこぼす一方で、何か面白そうな試みだな、と感じていたけど、近鉄の発表は即座に野球界内部から反発を受けた。

 しかし、よくよく考えてみれば、いろいろ波乱含みであることも確かだった。もしパチンコ業界や貸金業界がそんな命名権を買いに来たら?
 プロ野球は、大勢の少年少女ファンを抱えているから、好ましくないんじゃないの、となる。
 以前、ある球場で消費者金融の看板広告を使用し、他球団からクレームが出たこともあった。プロ野球は、人々に夢を与える業界だけにそういう面にはシビアになることが多い。
 それに、1年ごとに球団名がころころ変わってしまったら、愛着もわかなくなる。毎年球団名だけ変わるなんてファンにとっちゃ迷惑な話だ。
 実際、近鉄としても、野球界の活性化を考えての方策というよりは、球団経営の年間赤字を帳消しにするための窮余の策だったようだ。
 
 近鉄は、あくまで新ビジネスであることを主張し続けた。確かにプロ野球のような国民的スポーツでなければ、実現は可能かもしれなかった。企業である以上、革新的な手法によって赤字をなくし、利益を追求していくことは当然の戦略でもある。
 だが、プロ野球は、そんなビジネスの側面とは切り離して考えなければならない部分があった。あまりにも大衆に愛されているスポーツだからである。


  3.これまでの命名

 近鉄が命名権(ネーミングライツ)売却を考えたのは、既に似たような前例があったからだろう。
 2000年、オリックスブルーウェーブは、2軍の命名権を2000年から3年間という契約で大手企業の穴吹工務店に売却した。穴吹工務店は、自社のマンションブランド「サーパス」を2軍の球団名に入れ、「オリックスブルーウェーブ」から「サーパス神戸」と名称を変えた。
 また、横浜ベイスターズは、2軍だけの独立採算制を目指し、13番目のプロ野球チームという位置付けでチーム名を「湘南シーレックス」と変えた。
 湘南シーレックスは、地域との密着や2軍の活性化などを目的としているため、命名権とはまた異なる要素が強いが、サーパス神戸の場合は、穴吹工務店に命名権を売却し、企業広告としての意味合いが強かった。
 オリックスと穴吹工務店の3年契約は2002年で切れたが、あまりにも「サーパス」という名前が定着し、ファンに愛着も生まれたことから、そのまま「サーパス」を残すことになった。
 つまり、命名権契約が切れても、名前だけはそのまま残して使用という予定外の現象だった。契約を超えたところで、名前が残ってしまったわけである。

 2003年にも命名権は話題となる。
 その年の春頃から僕は、ニュースや新聞で急に「Yahoo!BBスタジアム」という名前を目にするようになった。最初事情をよく知らなかった僕は、新しい球場ができたものとばかり思っていた。けれど、それは、種を明かせば、オリックスの本拠地「グリーンスタジアム神戸」の新名称だった。
 このYahoo!BBスタジアムは、1軍の試合で使われるため、マスコミがその名称を頻繁に使用し、宣伝効果は絶大と言っても良かった。
 サーパス神戸が2軍の球団名であるため、あまり広く浸透していないのに対し、「Yahoo!BBスタジアム」は使用頻度とその名前のインパクトから広く知られるようになってきた。
 近鉄が「それなら1軍の球団名を売却すれば」と考えるのも無理はなかったのかもしれない。


  4.名前のインパクト

 「Yahoo!BBスタジアム」は、巷で話題になる面白いCMと同じくらい、宣伝としての効果は抜群だろう。1度聞いたら2度と忘れないくらいのインパクトを僕たちに与えてくれる名前だ。
 でも、もっとインパクトのある名前というのは何と言っても「イチロー」だろう。
 命名権といったおおげさなものではないが、1994年にオリックスは日本人選手2人をカタカナで登録して売り出そうとした。
 1人は、パンチパーマと面白パフォーマンスを売り物にして既に人気を得ていた佐藤和広である。もう1人は、プロ入り3年目で1軍定着を目指す若手の鈴木一朗という選手だった。どちらも日本に最も多い名字の1つであり、悪く言えば名字が一般的すぎて選手名としてのイメージが薄く、インパクトがなかった。
 だから佐藤は「パンチ」、鈴木は「イチロー」という登録名にして、いかにも個性的なプレーヤーという位置付けで再出発しよう、というわけだった。
 この命名が「パンチ」を全国区のタレントに、「イチロー」を世界レベルのプレーヤーへ、と共に成功に導いていったことはもはや語るまでもないことだが、「イチロー」のあまりに鮮やかなまでの成功は、名前の大切さを世間に周知させるに足りるものだった。
 外国人選手でも本名以外の名前を使って成功していった例もある。たとえば「ブームを呼ぶ男」として付けられた「ブーマー」で三冠王を獲得したり、「タフだから」という理由で付けられた「タフィ」でシーズン55本塁打を記録したり……。

 僕が近鉄の球団名売却を聞いたとき「山犬のような個人名を付けられたら」と思ったのは、「高橋ユニオンズ」という球団名が僕の記憶にあったからだ。
 1954年に高橋龍太郎をオーナーとして設立された球団は、オーナーの名前をとって「高橋ユニオンズ」となった。球団自体は、長続きしなかったけど、プロ野球史上、唯一個人の名字をとった球団名として、未だに強いインパクトを放っていてくれている。
 もし、近鉄が命名権を売り渡せば、新しい球団名は、放っておいてもシーズン中は大きなインパクトをもって全国に浸透することは間違いなかった。
 だが、近鉄の戦略は、いとも簡単に押しつぶされることになる。


  5.早すぎる撤回

 終わってみれば、わずか5日間のドラマだった。2月5日、近鉄は、早くも命名権売却構想の白紙撤回を発表する。
 野球協約上では、球団経営会社と球団名は一体のものとして扱われており、それが別々になることは全く想定していない、というのだ。
 つまり、球団を経営しているのが近鉄なのに、球団名が他の企業名や個人名であっては駄目、ということらしい。
 オリックスブルーウェーブの2軍は、「サーパス神戸」とすることを許されるのに、大阪近鉄バファローズの1軍の場合は許されない。これが1軍と2軍の差なのだろうか。
 確かにプロ野球の1軍は、小さなニュース番組ですら試合結果が紹介されるほど、露出が大きい。来年のチーム名が「山犬」で再来年が「トヨタ」、3年後は「吉野家」で4年後は「ローソン」なんて変わり続ければ、どこが経営するどんなチームなのが、わけがわからなくなってしまう。
 とはいえ、野球協約には命名権売却を禁止しているわけではなく、あくまで想定してないだけでもある。
 あえて、どこが抵触するのか、と言われたら、協約第1章(総則)第3条(協約の目的)「社会の文化的公共財となるよう努めることによって、野球の権威及び技術に対する国民の信頼を確保する」が最もひっかかる部分になるようだ。
 プロ野球は、日本を代表する文化でもある。企業が商業戦略として球団名を変えることは、「姫路城」の名称を勝手に「山犬城」に変えたり、「東京タワー」の名称を勝手に「山犬タワー」に変えてしまうようなものなのかもしれない。

 ただ、僕としては球団を経営してなくても、好きな球団名を付けられる、という部分にプロ野球選手になることと同じくらいの夢と希望を感じる。
 近鉄も、もう少し粘りを見せて、議論を大きくして行っても良かったのではないだろうか。新しいことをするには、反発がつきものだ。昔作った野球協約の想定外だからと言って、すぐに撤回する必要はなかった。
 1、2年で球団名がころころ変わるのは行き過ぎだとしても、5年とか10年といった長いスパンで球団名を固定することにすれば、さほどファンの反感を招いたり、国民を混乱に陥れるようなことはないはずである。
 そういう部分まで、新たに野球協約できっちり規定しておけば、命名権売却の実施は不可能ではないだろう。命名権も 日本に根付けば、将来は欠かすことのできない文化になる可能性も秘めているのだから。





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