三兎を追う  〜松中信彦の三冠王獲得〜

山犬
 
  1.21世紀初の三冠王打者

 2004年、ついに21世紀となって初の三冠王が誕生した。打率.358、44本塁打、120打点を残した松中信彦のことである。
 松中は、2004年でプロ8年目の31歳になる。3年目に頭角を現してシーズン23本塁打を放つと4年目には3割30本塁打以上を記録して日本を代表する打者になった。7年目の2003年に123打点で初のタイトル打点王を獲得。その翌年に打撃主要三部門を独占する、という快挙を成し遂げたのだ。
 これまで二冠王は獲得したものの、あと一冠を獲れなかったために三冠王を逃した選手は数多く存在する。
 あの松井秀喜やイチローでさえ、二冠王が最高である。また、過去の名プレーヤーを見渡してみても、長嶋茂雄や張本勲、中西太、門田博光、山本浩二、田淵幸一、山内一弘などが三冠王には無縁のまま、プロ野球人生を終えた。
 三冠王には運も必要である。中西太は、二冠王を獲得し、あと一冠があれば三冠王というシーズンをほんの僅差で4回にわたって逃している。
 松井秀喜が三冠王を獲得せずに大リーグへ移籍したとき、三冠王を獲得できる打者は当分現れないのではないか、と感じたプロ野球ファンは多かったはずだ。
 それだけに、松中信彦の三冠王獲得は、衝撃的でもあった。
 
 にもかかわらず、松中の三冠王はそれほど大きく騒がれていない。今年は、プロ野球史上に類を見ないほど球界が揺れた。パリーグのプレーオフ導入。アテネ五輪。オリックス・近鉄の合併。史上初のストライキ。楽天の新規参入。ダイエーのソフトバンクへの球団売却。
 それらの一つ一つのインパクトの大きさに隠れてしまった感はある。パリーグがメディアへの露出度が低いというのもある。
 だが、そうしたことだけが理由かと言えば、肯定しかねるだろう。
 1986年の落合博満、ランディ・バース以来、18年ぶりの三冠王誕生というだけでも、かなりのインパクトを持っているはずだ。
 なのに、ここまで過小評価されてしまっているのは、他にも理由があるはずだ。


  2.どうして騒がれないのか

 もちろん、過去に騒がれない三冠王がなかったかと言えばそうじゃない。落合博満とランディ・バースは、1986年に三冠王を獲得したものの、両者ともに2年連続三冠王であったことや、チームが低迷したこともあって三冠王を獲得したことによって大きく騒がれることはなかった。
 しかし、三冠王を獲得した打者は、日本のプロ野球史上、松中を入れてまだ7人だけである。
 三冠王を獲得するためには確実にヒットを打てる技術が必要であり、広角に本塁打を打てる技術やパワーも必要であり、走者のたまっている状態で打席に入ることができるクリーンアップであることも必要である。
 クリーンアップでなくても三冠王を狙うことは可能ではあるが、現在までに1番打者や9番打者が三冠王を獲得したことがないことからも、現実味がないことは容易に理解できる。
 三冠王は選ばれし者だけが狙える究極の称号と言ってもいいだろう。

 2004年の松中は、三冠王を獲得すると同時にチームもシーズン1位に導いた。それが評価され、シーズンMVPにきっちり選ばれている。
 実のところ、ダイエーは、シーズン1位ながらプレーオフ制度導入のせいでリーグ優勝は西武にさらわれてしまったのだが、松中は無事シーズンMVPを獲得した。
 もし松坂大輔がアテネ五輪に行かず、数多くのタイトルを獲得していたなら、また物議を醸していたかもしれない。もし、シーズン1位のチームの選手とシーズン2位でプレーオフを制した選手が同等の成績を残した場合、どちらの選手を優先してMVPを与えるのか。前例もないため、まだ議論の対象にすらなっていない。今後、そういった選手たちが出てきたときを楽しみに待つしかない。
 2004年はその議論の必要がなかった。松中が三冠王のほか、最多安打、最高出塁率をも記録したのに対し、西武の松坂は、アテネ五輪に出場して日本代表として活躍したせいで、タイトルは最優秀防御率の一冠にとどまったからである。

 さらに、見て行くと松中の三冠王争い最大のライバルになるであろうと思われた城島健司と小笠原道大は、アテネ五輪に出場している。このあまりに過酷なトーナメントを戦った2人は、五輪によって打撃の調子を少しずつ崩してしまうことになる。
 さらに、本塁打王争いの常連だったカブレラが3月16日のオープン戦で右手首に死球を受けて骨折し、全治三ヶ月の重症を負った。カブレラが再び1軍登録されたのは約3ヶ月後の6月21日だった。カブレラは結局64試合出場にとどまり、本塁打は25本に終わった。133試合フル出場すれば50本塁打以上は放っていた計算になるのである。
 さらに、本塁打王争いの常連だったタフィ・ローズが2004年からセリーグの巨人に移った。タフィ・ローズは、2003年、近鉄で51本塁打を放ち、本塁打王に輝いている。2004年も慣れないセリーグで45本塁打も放っているところから見ても松中にとっては幸運だった。
 さらに毎年首位打者確実のイチローが大リーグにいるのも明らかに好都合となる。
 そういった意味で、2004年は、松中に環境面で味方する要素が多かったと言わざるを得ない。


  3.三冠王は別格の価値
 
 とはいえ、僕は、松中の三冠王を低く評価しているわけじゃない。
 現役時代、常に三冠王だけを狙い続けた落合博満は、三冠王についてこう語っている。
「今振り返れば、獲れるタイトルは確実に獲っておけばよかった、と思うこともあるよ。でも、やってるときは三冠王じゃなきゃ意味がなかったんだ」
 落合は、首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ5回ずつ獲得しているが、もし三冠王を狙わずにシーズン後半になって獲れそうなタイトルだけに絞っていれば、合計タイトル数はもっと増えていたにちがいない。
 しかし、落合は、三冠王だけを狙って、普通にやっていれば手中に収められたタイトルを逃したりした。
 その姿勢は、あくまで最も獲得が困難な三冠王という称号がどうしても欲しかったためである。
 1つのタイトルなら、毎年必ず誰か1人は獲得できる。でも、三冠王は、毎年誰かが獲得できるものではない。今後、10年以上三冠王が現れない可能性もあるし、今後、誰一人として三冠王を獲得できない可能性だってないわけじゃない。大リーグでは1967年にカール・ヤストレムスキーが三冠王を獲得して以降、20世紀中には三冠王が現れなかった。
 だから落合は、引退するまで一貫して三冠王を狙い続けたのである。

 松中は、2003年から既に三冠王を意識して狙いに行く姿勢を見せている。一つのタイトルですら、狙っても容易に獲得できないのに、三つを一気に狙う。それだけでも大きな賭けである。
 三冠王を獲得するためには三部門でそれぞれ高い数字を残さなければならないから、長いスランプに陥ってしまえば獲得は無理になる。
 そして、競争相手より少しでも上回らなければならないから、シーズン後半のプレッシャーは計り知れない。
 確かに数字だけで比較すれば、ほぼ三冠王に値する成績を残した選手たちもいる。たとえば、2002年のカブレラは、打率.336、55本塁打、115打点ながら打率が2位だったため、三冠王を逃している。タフィ・ローズも、2001年に打率.327、55本塁打、131打点を残しながら本塁打王の一冠に終わっている。ロバート・ローズも、1999年に打率.369、37本塁打、153打点を残したものの、本塁打が3位で二冠に終わった。
 つまり、彼らは、それぞれ高い数字は残したものの、三部門のどこかで他者との競争に敗れているわけだ。
 それにひきかえ、三冠王は、三部門すべてにおいて最高の数字を残した「その年最強の打者」と断定できる。だから、高い数字で二冠王を獲得するよりも三冠王は価値が高いのだ。

 松中の三冠王に対してライバルたちの境遇だけを語り、三冠王を過小評価する傾向は、三冠王獲得の一側面を重視しすぎて、付随する困難さを見落としている。
 日本では「二兎を追う者は一兎をも得ず」という格言がある。二匹のうさぎを一緒に捕まえようとした者が一匹のうさぎさえ捕まえられなかった、という話から生まれたものだ。
 三冠王を目指すということは、二兎どころか三兎を同時に追うようなものである。獲得は、限りなく不可能に近い。打者として打席に立ったことのある者は誰でも一度は追いかけたくなる夢の称号が三冠王なのだ。
 松中にはぜひ引退するまで三冠王を狙い続けてほしい。三冠王を4度獲得してしまえば、誰にも文句を言わせない「史上最強の打者」という称号を得られるだろうから。




(2005年2月作成)

Copyright (C) 2001- Yamainu Net 》 伝説のプレーヤー All Rights Reserved.


inserted by FC2 system