巨人は自力で再建を 〜巨人監督への星野仙一招へい騒動〜
山犬

  1.低迷する巨人
 
 2005年の巨人は人気が低い。テレビの視聴率が異常に低いことでプロ野球人気の低迷を心配する声もあるが、JFKで快進撃を続ける阪神とオレ流野球の中日、パリーグで首位争いを続ける猛打のソフトバンクやバレンタイン体制のロッテなど、プロ野球は盛り上がっている。発足1年目の楽天も、東北地方では20%に迫る視聴率を記録することも多いという。
 つまり、人気が低下しているのは巨人だけということになる。
 なぜか。
 大砲を集めすぎて野球が大味になったからだよ、と言う人もいる。堀内監督の采配がつまらないからだよ、と言う人もいる。松井秀喜のいる大リーグへファンが行ってしまったからだ、と言う人もいる。いやいや、投手陣が不調だからだよ、と言う人もいる。若手のホープがなかなか出てこないからだよ、と言う人もいる。
 そんなさまざまな意見があるけど、総合してみると、巨人の人気の低下の原因は「弱いから」ということになる。

 昔からアンチ巨人で鳴らす友人は嘆く。
「最近の巨人戦は面白くない。巨人っていうチームは、実力が最高じゃなくちゃ駄目なんだ。憎らしいほど強い巨人を他の5球団があれこれ手を尽くして倒そうとする。巨人は必死に覇権を守ろうとする。その構図が面白いんだ。
 今みたいに、見てて哀れみを感じさせるようじゃ、巨人戦を見る気にならないよ」
 以前は巨人が負けることだけを願い、巨人が首位を独走していると機嫌が悪かった友人も、最近は巨人が負けてもあまり嬉しさを感じないのだという。大敗しているとむしろ応援してしまうらしい。
 どこか偏った恋愛感情のような気がしないでもないが、巨人は、最強だからこそ人気が出る球団であることはほぼ間違いない。

 巨人人気が盛り上がったのは、王貞治・長嶋茂雄のON全盛期であり、江川卓・原辰徳・中畑清らのスター全盛期であり、斎藤雅樹・桑田真澄・槙原寛己の3本柱全盛期だった。伝説の1994やメイクドラマの1996には松井秀喜・落合博満の新旧大打者が健在で監督は長嶋茂雄だった。
 いずれの巨人も、最強だった。各チームともに巨人戦にはエース級を中心にぶつけるようなローテーションを組んでいたし、常に首位争いにからんでいた。
 2005年のように一度も浮上することなく、最下位争いを繰り広げる巨人に、かつての栄光を知る巨人ファンがその試合観戦を避けたがるのも仕方ない。
 熱狂的な巨人ファンは僕の周りにも多くいるが、その1人はこう断言する。
「序盤でリードを奪っても、あっさり逆転されてそのまま差を広げられて終わってしまう試合が多いんだ。あんなにあっさり負ける試合が続くと応援する気力がなくなるよ」
 巨人は、強いからこそ応援していて気持ちがいいのだ。相手チームが僅差まで迫ってきても、それを突き放すようにリードを広げて勝つ。相手エースの投球を真っ向から打ち崩し、巨人戦で打って名を挙げようとする打者たちを強力投手陣で牛耳る。巨人は、そういう横綱相撲をとるチームであって初めて存在感を保てるのだ。
 格闘技界では最強の王者に人気が集中するのと同じように、人は強いものに対する憧れを潜在的に持っている。巨人が人気を取り戻すにはON時代とは言わないまでも、常に首位争いをできる強さが必要である。
 では、巨人は、いかにすればかつての強さを取り戻せるか。それを模索する巨人の目の前に禁断の一手が浮かび上がってきた。
  

 2.天敵星野仙一が監督候補に

 巨人が星野仙一を次期監督の最有力候補に挙げている。2005年8月、そんなニュースが日本中に流れた。
 まさかまさかの展開である。巨人ファンにとっては、まるで嘘のようなニュースだ。
 なぜなら巨人は、初代監督の藤本定義はともかく、その次の水原茂監督から現在の堀内恒夫監督まで巨人生え抜きのOBしか監督になれなかったからだ。現役時代に他球団から移籍してきた選手や移籍して行った選手も監督にはなれない。
 別所毅彦も、金田正一も、与那嶺要も、張本勲も、巨人の監督として招かれることはなかった。
 普通に考えれば、巨人の星野仙一監督が誕生することなんてありえないのだ。

 先述したアンチ巨人ファンの友人に尋ねてみると予想通りの答えが返ってきた。
「別に星野さんが監督になってもいいと思うよ」
「でも、予想以上に強くなってしまうかもしれないよ」
「かまわない。巨人が強ければ強いほど、アンチ巨人としては応援のしがいがあるというもんだ」
 逆に巨人ファンにとっては、星野仙一という中日で育った「外様選手」が伝統ある巨人の監督になることに少なからず抵抗があるようだ。世間話のついでに聞いてみると「やっぱり星野さんよりは原さんの方がいいなあ」という声が多い。
 巨人ファンでもアンチ巨人でもない僕も、星野仙一が巨人の監督候補、ということには大きな違和感を覚えずにはいられない。

 星野仙一は、現役時代を中日一筋で14年間働いた投手である。沢村賞やセーブ王、最高勝率のタイトルも手にした本格派の好投手だった。しかも、巨人戦にはひときわ燃え、通算35勝を挙げる活躍を見せた。1974年に巨人のV10を止めて中日が優勝したときも、15勝10セーブを挙げた星野の功績がひときわ目立った。
 通算146勝34セーブを残した中日屈指の功労者であることから星野は、1987年に中日の監督に起用される。このとき、星野はまだ40歳だった。青年監督と軽く見る者もいる中、就任2年目にはリーグ優勝を果たす。そして、2度目の監督として指揮をとったときも1999年に中日をリーグ優勝に導いた。
 2002年から監督を山田久志に譲って勇退したときのイメージは、中日と言えば星野、星野といえば中日という切っても切り離せない関係に見えた。

 だが、中日の監督を勇退した星野の監督としての手腕に目をつけたのが阪神だった。阪神の監督人選も、本来は阪神の生え抜き選手と基本としている。だが、阪神は、かつてブレイザーや中西太ら、他球団で活躍した選手を監督として招いた経験もあり、その当時、南海やヤクルトの監督として多大な実績を残した名将野村克也が指揮をとっていた。
 だが、このときの阪神は、球団創設以来、初めてとも言える冬の時代を迎えていた。1995年から7年間で6回の最下位。再建を託した野村克也監督でもチーム成績を浮上させることができず、しかも2002年には夫人が芸能界で起こした騒動の責任をとって辞任に追い込まれてしまう。
 この事態を乗り超えられるのは、経験のない新人監督では無理だった。かと言って、阪神の生え抜き選手OBの中での人選も困難を極める。
 そこで白羽の矢が立ったのが星野仙一だった。ブレイザーや中西太、野村克也が監督として招かれたときもチームが下位に沈む危機的状況の中だったからも分かるとおり、阪神は、どうしても自力で乗り切れそうにない事態に直面したとき、他球団で育った指導者の力を借りるやり方を既に実践してきていた。
 それゆえ、阪神にとっては星野仙一を監督として招くことに違和感はなかったのだろう。星野も、岡山県の出身であり、阪神の本拠地甲子園球場は地元と言えなくもない。
 とにかく阪神は、どうしても星野仙一が必要であり、星野仙一も、プロ野球の活性化のためには阪神の低迷打開がどうしても必要という思惑の一致があった。
 だが、巨人の場合はどうだろうか。どうしても星野仙一でなければならないだろうか。わずか1年だけ下位に沈んだからと言って、即座な低迷打開策をとる必要があるだろうか。

 巨人は、かつてドラフトで星野仙一指名を避けた遺恨がある。明治大学時代の星野は、ドラフト前まで巨人入りを熱望していた。巨人からも田淵幸一に次ぐ評価と聞かされていたため、田淵が阪神1位指名で確定したとき、巨人入団を確信したはずだ。だが、巨人が指名したのは高校生投手の島野修だった。
「島と星を間違えたんじゃないか」
 絶句した後に言った星野の一言は、その後、巨人を徹底的に苦しめる巨人キラーとしての星野誕生の第一歩だった。
 その後の星野は、指名を避けた巨人を見返すという反骨精神をバネに、中日のエースとして、中日・阪神の監督として、常にアンチ巨人党の溜飲を下げる役割を果たしてきた。
 そんな星野でさえ、かつて抱いた巨人入りへの憧れをまだ捨てきれずにいたのだろうか。


 3.自力での再建を

 プロ野球草創期に覇権を争った巨人×阪神戦が伝統の一戦としていまだに特別であるように、巨人には歴史によって培ってきた伝統とプライドがある。
 正力松太郎が巨人を創設した当時から常に優勝できる最強チームであることが義務付けられているのだ。だからこそ、巨人は、有望なアマチュア選手を獲得し続け、また、他チームの大選手を獲得し続けて半世紀という大きな枠で見ると最高の成績を残してきた。
 戦後から2005年までの間、4年連続で優勝を逃したことがないチームは、巨人だけなのである。
 だが、FA制度導入のあと、巨人の大選手獲得政策は、過熱の一途を辿る。その結果、偏った大幅補強によっていびつなチームになってしまった。
 大投手や大打者を獲得したものの、彼らを優先して使わざるをえなくなったため、勢いのある若手やいぶし銀の中堅を起用する場所がなくなってしまったのである。それによって、若手の成長というのが見込めなくなった。
 また、大選手や大投手も、ほとんどはベテランの域に達した選手ばかりで、長年の勤続により故障がちであったり、徐々に衰えを露わにする場合が多い。つまり勢いに乗り、成長を続ける若手選手に比べてプラスアルファーの好成績を見込めないのである。
 2005年の巨人は、そういう落とし穴の中にすっぽりとはまってしまったと言っていいかもしれない。

 言うまでもなく、強いチームというのはバランスのとれた総合力が高い。投手力、打撃力、守備力、機動力のそれぞれが高いレベルにあって、レギュラーの中に若手、中堅、ベテランがほどよい具合に散らばっている。
 2005年の巨人は、お世辞にもバランスがいいチームとは言えない。9月17日、巨人は、ついに8年ぶりのシーズン負け越しを決めた。Aクラス入りもほぼ絶望的な状況にある。これで2002年に優勝して以降、3年連続で優勝を逃すという危機に陥った。
 戦後、3年連続で優勝を逃すという危機を巨人は4年目に優勝することですべて乗り越えてきた。1949年には三原脩監督、1981年には藤田元司監督、1987年には王貞治監督、1994年と2000年には長嶋茂雄監督といったふうに。

 阪神ファンの後押しを受けて、9月10日に星野仙一が阪神残留を決断したことで、巨人は、再建を託す監督選びが重要になった。
 やはり巨人は、巨人らしく伝統を受け継いで欲しい。時代とともに変えていかなければならないものも時にはあるが、そうでなければ、あくまで一貫してきた理念を貫くことが大切である。
 技術の進歩や老朽化によるものであれば、時代の流れとともに変えていく必要があるだろう。だが、監督は、いつの時代も変わらず監督として強いチームを作るという役割を果たせればいいのである。巨人がこれまで貫いてきた自前の監督という理念を破ってまで他球団に頼る必要は感じない。
 原辰徳、江川卓、中畑清、篠塚和典、斎藤雅樹、吉村禎章、槙原寛己…など選手として実績を残した数多くの巨人生え抜きOBがいる。桑田真澄の監督兼任選手だって検討してもいい。
 2006年は、果たして誰が4年連続V逸の危機に立ち向かう監督となるのだろうか。


(2005年9月作成)

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