利き腕の謎

山犬
   

  1  左投げ右打ち?

「A君って左投げ右打ちなんだって」
 友人の何気ない一言に対する疑問が発端だった。
 一体、プロ野球界に何人の左投げ右打ちがいるのだろうか。
 僕は、どうしても左投げ右打ちというものに納得ができなかったのだ。
 打つ方と投げる方のどちらが利き腕なのか、と言えば、投げる方と考えてほぼ間違いない。打つ方は、スイッチヒッターという言葉がある通り、練習次第では誰でも左右両方で打てるようになる。右利きの人が、練習すれば字を左で書いたり、箸を左で使えるようになるのと同じだ。

 しかし、ピッチャーには「スイッチヒッター」に当たる言葉がない。
 僕は、少年時代、スポーツ少年団の仲間と利き腕と違う方でどれだけ速い球が投げられるかというのを試したことがある。
 競い合って何回か練習してみたものの、誰もが山なりのボールしか投げられなかった。それは、利き腕で投げる直球にはるかに及ばないものだった。
 僕は、そのとき以来、左右投げ投手というのは無理なものだという結論を得た。
 例えばこういうシチュエーション。

 それまで右で投げていたピッチャーが9回裏に打たれて無死満塁となる。リードはわずかに1点。一打逆転サヨナラのピンチである。そこへ監督がタイムをかけてマウンドへ行く。手にはグラブを持っている。
「今からは左で投げろ」
 そしてピッチャーは、監督から渡されたグラブを右手にして左でピッチングを始める。右で投げた速球をはるかにしのぐ剛速球がキャッチャーミットに突き刺さる。
 その投手は、ピンチを三者連続三振でいとも簡単に切り抜ける。ゲームセット。
 そんな話は、現実にはありえないのだ、と。


  2  プロ野球での左右投げ投手

「プロ野球で左でも右でも投げられるピッチャーを三人言ってみて」と言われて、あなたは答えられるだろうか。
 三人言える人はまずいないだろう。
 プロ野球の試合で左と右を両方使って投げた投手は、3人いるという。僕が実際に見たことがある限りでは1人しかいない。1980年代後半に南海へ入団した近田豊年投手だ。
 彼は、左右両方で投げられる投手だった。利き腕は左。
 左のオーバースローで、MAX140キロの直球とカーブを武器にしていた。もちろん左打ち。
 しかし、右の方はアンダースローで、遊び半分に覚えたものだった。実力もプロのレベルにははるかに及ばなかったという。
 それなのにプロのスカウトが訪れたとき「右でも投げられる」ということをアピール材料に使ったため、左右投げ投手という触れ込みが広がってしまったようである。
 入団後、彼のために6本指のグローブが用意された。マウンド上でグラブを右から左にいつでも着け替えることができるように、と。
 紅白戦やオープン戦ではそれが試されたようである。
 しかし、彼は、公式戦では目立った活躍をすることなく、プロ野球界から姿を消した。プロ通算成績は1試合で0勝0敗、防御率9.00。公式戦でついに左右で投げることはなかった。現役晩年は単なる左投げ左打ち投手になっていた。左右投げ投手は彼を含めて3人とも勝利を挙げることなくプロ野球界を去っているという。
 「スイッチピッチャー」という言葉は歴史上のどこでも誕生すらしなかったのである。
 

  3   利き腕

 人には利き腕がある。両方使えるのでどちらが利き腕でもない、という人もいるかもしれないが、そういう人には球を投げさせてみればいい。速い球を投げられる方が利き腕である。
 新明解国語辞典(三省堂・2000年12月)の「利き腕」の項目に「多くは右腕」と書かれているように、日本では右が利き腕の人が全体の9割を占めているという。
 しかし、人は、生まれたときは左利きと右利きが半分ずつの割合でいるのだという。それが教育、及び右利き用にできている様々な身の回りの物のせいで、多くの人が右を普通に使うようになるのだという。

 かく言う僕は、実を言うと左利きである。
 だから、左利きの不便さは経験上、痛いほどよく分かっている。食事のときに箸を持てば右利きの人と腕が当たる。字も右で書きやすいようにできている。自動販売機も、駅の改札口も、バスの運賃入れも、電子レンジのスイッチも、右利き用である。パチンコやスロットも右利き用だ。今、使っているパソコンとプリンタだって電源スイッチは右に付いている。あまり感じないだろうが、陸上のトラックが左回りになっているのも右利きの人がバランスをとりやすいようにしてあるためだという。
 また、左は心臓がある側のため、左利きは過度に心臓に負担がかかり、右利きの人よりも寿命が短いという調査結果もあるらしい。
 何かにつけて、世の中は、右利きが得をすることが圧倒的に多いのである。


  4   プロ野球界での利き腕

 だが、左利きが珍重される世界もないわけではない。その代表がスポーツ界である。一般社会に比べてスポーツ界は左利きの割合がかなり高いと言われている。
 僕は日本のプロ野球における利き腕の状況を調べてみた。

プロ野球全記録2001年版 宇佐美徹也監修(実業之日本社2001年4月)の名鑑から

球団 右投右打 左投左打 右投左打 右投左右打 左投右打
巨人 46 10 10 2 1 69
中日 44 13 12 1 0 70
横浜 40 11 11 5 0 67
ヤクルト 42 13 7 1 0 63
広島 47 11 5 4 0 67
阪神 43 11 11 1 0 66
ダイエー 42 15 4 4 1 66
西武 42 15 10 1 0 68
日本ハム 39 13 11 1 0 64
オリックス 38 10 11 2 0 61
ロッテ 41 9 10 1 0 61
近鉄 46 13 5 1 0 65
510 144 107 24 2 787
割合 64.8% 18.3% 13.6% 3.0% 0.3% 100%

 前記の通り、投げる方が利き腕と仮定すると、左投げ左打ちと左投げ右打ちが左利きとなるので2割弱の選手が左利きである。
 これは、一般社会と比較すると多いと言わざるをえない。
 さらに右投げ左打ちというのは、右利きであるが、バッターとしては左打席の方が有利なため、左打ちにしている場合である。
 松井秀喜や大リーグのイチローは、このパターンに当てはまる。ただ松井の場合は、少年の頃、右打席ではあまりに打ちすぎるので左打席にしか立たせてもらえなかったため、左打ちになってしまったという伝説を持っている。
 結果的に日本のプロ野球界では約35%もの選手が左打ちをできるのである。

 唯一の謎は、左投げ右打ちの日笠雅人投手(ダイエー)と小野仁投手(巨人)である。
 投手で左投げなので、左利きではあるだろうが、どうして右打ちになったかである。右投手の数が圧倒的に多いので、左打ちの方が投球の腕の振りや球筋が見易いため、有利になる。左利きなら普通は左打ちというのが自然。それなのに右打ちとは。
 単に右の方が打ちやすいとか、少年時代にバッティングセンターに左打ちで速い球を打てるボックスがなかったといった理由からだろうか。
 2001年11月に行われたドラフト会議では近鉄に6巡目で指名された佐藤和宏投手が左投げ右打ちと紹介されていた。
 以前にも外国人投手で左投げ右打ちというのを見た記憶はある。しかし、日本で左投げ右打ちの野手は今まで見たことがない。それでも探せばいるもので、1970年代後半に大リーグから阪神に入って活躍したブリーデンというスラッガーは左投右打だったらしい。
 大リーグではさすがに個性が認められる環境のせいか、2001年までに2000本安打以上を達成した選手220人の中に左投げ右打ちがリッキー・ヘンダーソンを筆頭に3人もいる。わすか1%程度ではあるが、大リーグにはそんな選手がいたのだ。ということは、日本でも歴史を綿密に調べていけば、何人か日本人の左投げ右打ち選手が見つかるかもしれない。
 左右投げ投手と同様、左投げ右打ち野手は、過去の野球史を見ればほとんど活躍する見込みが立たない。でも、いつか、そんな常識破りの日本選手が出てきて偉大な記録を作る夢のような日が訪れないとも限らない。


   5  名プレーヤー達の利き腕

 歴史に燦然と名を残した往年の名プレーヤー達の利き腕はどうだったのだろうか。打者・投手の歴代上位30人を一覧にしてみよう。

打者:通算安打上位30人(2000年末現在)
打者 安打数 投打
張本勲 3085 左左
野村克也 2901 右右
王貞治 2786 左左
門田博光 2566 左左
衣笠祥雄 2543 右右
福本豊 2543 左左
長嶋茂雄 2471 右右
土井正博 2452 右右
落合博満 2371 右右
川上哲治 2351 左左
山本浩二 2339 右右
榎本喜八 2314 左左
高木守道 2274 右右
山内一弘 2271 右右
大杉勝男 2228 右右
大島康徳 2204 右右
若松勉 2173 右左
広瀬叔功 2157 右右
松原誠 2095 右右
山崎裕之 2081 右右
藤田平 2064 右左
谷沢健一 2062 左左
江藤慎一 2057 右右
有藤道世 2057 右右
加藤英司 2055 左左
新井宏昌 2038 左左
秋山幸二 2023 右右
柴田勲 2018 右両
駒田徳広 2006 左左
飯田徳治 1978 右右
投手:通算勝利上位30人(2000年末現在)
投手 勝利数 投打
金田正一 400 左左
米田哲也 350 右右
小山正明 320 右右
鈴木啓示 317 左左
別所毅彦 310 右右
スタルヒン 303 右右
山田久志 284 右右
稲尾和久 276 右右
梶本隆夫 254 左左
東尾修 251 右右
若林忠志 237 右右
野口二郎 237 右右
村山実 222 右右
皆川睦雄 221 右右
杉下茂 215 右右
村田兆治 215 右右
北別府学 213 右右
中尾碩志 209 左左
江夏豊 206 左左
堀内恒夫 203 右右
平松政次 201 右右
藤本英雄 200 右右
長谷川良平 197 右右
秋山登 193 右右
松岡弘 191 右右
石井茂雄 189 右右
川崎徳次 188 右右
杉浦忠 187 右右
足立光宏 187 右右
小野正一 184 左左

 打者では左投げ左打ちが10人、右投げ左打ちが2人、右投げ左右打ちが1人ということで左打ちが実に13人、割合にすると43%にも上っている。右投手の数が多く、左打席の方が一塁に近いため、左打ちがこれほどまでに多くなっているのである。
 ちなみに、今年のセリーグMVPのペタジーニは左打ち、パリーグMVPのローズも左打ち、大リーグで首位打者と新人王に輝いたイチローも左打ちである。さらに4000打数以上と規定される通算打率の上位30人を見てみると、実に20人もの選手が左打ちなのである。
 左打ちがプロ野球界に2割にも満たないことから見ると、打者なら左打ちの方が圧倒的に成功する確率が高いと言えよう。

 一方、投手の方は、6人が左投げ左打ちで、残り25人は右投げ右打ち。左利きは2割である。右利きの打者の方が多いから、投手をするなら右投げの方が有利なようである。
 もちろん、打者・投手ともに左投げ右打ち、左右投げというのは皆無である。

 これらの分析の結果、「左投げ右打ち」という野手は存在しないと確信した僕は、他の友人からA君が「右投げ左打ち」であることを聞き出すことに成功した。
 僕は、A君を「左投げ右打ち」と言った友人にそのことを話した。
「あれっ、そうやったの?」
 全く人騒がせなこの友人。単に覚え間違えていただけ。「左投げ右打ち」の方が語呂がよかったから、ということである。




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