職人芸  〜川相昌弘が究めた技術〜

山犬
 
   1.日本的戦術 バント

 犠打。犠牲バントのことである。それは、日本野球最大の特徴として取り上げられることが多い。
 メジャーリーグではバントが多用されることはない。他の海外諸国でもそうである。
 ほとんどのバッターは、打席に入るならいつでもヒッティングをしたいと考えている。ヒッティングよりバントが好きな打者はまずいないだろう。
 それなのに、日本のプロ野球ではバントが重視される。初回に1番バッターが塁に出れば、バントというパターンが結構多いのだ。
 外国人選手が来日して一番最初に驚くこと、それは、日本人のバント好きだという。
「1回表からバントをするなんて馬鹿げている」
「5点差つけて勝っているのに、どうしてバントなんだ?」
 これは、実際に外国人選手が漏らした、という日本野球批判だ。
 こんなスポーツはベースボールじゃない。最後にそんなことを言い残して1、2年でアメリカに帰ってしまう外国人選手の多くは、日本人が好むバント多用を不可解だと口を揃える。
 確かに犠牲バントは、読んで字の通り、ランナーを進めるために自らが犠牲になる。打数こそ加算されないけど、その打席で打つことを自ら放棄してしまう。
 パワフルな野球が売り物のメジャーリーグでは野手がバントをするのは、僅差のゲームで終盤にさしかかってからだ。
 だから、メジャーリーグの野球をよく知る者にとって日本のやり方は、消極的に映る。1回表に1塁ランナーを2塁に送って一つアウトカウントを増やしてしまうなんて、大量点のチャンスををむざむざと捨てているようなものだ。ヒットが出れば、ランナーがたまるし、長打が出れば得点が入るじゃないか。1点だけを狙いに行ったところで、その後、相手チームに5点取られれば、無意味じゃないか。
 しかし、日本人は、堅実にランナーだけを進めて、最初の1点をまず狙いに行く。
 勤勉で堅実で、チームワークを大切にする日本人に最もよく合ったルールだ、と外国人選手たちは言うのである。


  2.バントを究めた男

 バントを象徴する打者として川相昌弘という選手がいる。
 高校時代は、投手をやっていた。同時にクリーンアップを打って、甲子園にも2度出場している。プロに入ってからは内野手として育てられた。
 並外れたパワーがあったわけではない。並外れたヒッティング技術を持っていたわけでもない。まず、川相が注目され始めたのは守備のうまさだ。守備固めで徐々に出場試合数を増やしていく。
 しかし、打者としては上には上がいる。プロ野球選手としては小柄な部類に属する川相にとって、肉体的ハンディを克服するためには守備以外にも何かが必要だった。
 指揮を執る王貞治監督は、「小細工をしないでどんどん点の入る野球」を目指していた。つまり、大リーグのような豪快な野球である。それは、現在のダイエーを見れば納得できる。投手力や守備力も鍛えて総合力を高めるけど、王貞治が目指したのは最終的に打ち勝てるチームだった。
 川相のプロ生活は、試合の終盤に守備固めに入る控え選手のまま6年が過ぎていった。

 1989年、監督が打者出身の王貞治から投手出身の藤田元司に代わった。
 ここでターニングポイントが突然訪れる。
 現役時代、巨人のエースとして119勝を挙げた藤田監督は、守りを重視したチーム作りを進めた。現在の巨人からは想像できないことではあるけど、当時の藤田監督は、巨人を斎藤雅樹・桑田真澄・槙原寛己を3本柱とする堅実な投手王国に育てていく。
 投手中心の野球をするには、守備が重要となってくる。そして、攻撃面では点をとりたいときに確実にとるには送りバントが不可欠になる。
 その過程で川相という存在がクローズアップされてくる。
 就任1年目の藤田監督は、まず川相のバント技術に目を着けた。そして、藤田監督は、1989年の5月頃から川相をショートのレギュラーに据える。
 守備の技術は、既に超一流。それに加えて、超一流のバント技術が他の大型打者に対するハンディを克服する何かになった。

 確実に成功させることが求められるバントを川相は、確実に危なげなく決める。特に投手・一塁手間に球の勢いを殺して転がす技術は絶妙と言われる。
「どんな球でもバントできるだけじゃなく、バスターもうまい。2ストライクになってしまってバントかバスターかという状況になってしまうのが怖くて、わざと最初からバントしやすい球を投げるようになった」
 対戦する投手にそう言わしめるほど、川相の技術は卓越していた。
 通常、投手は、1塁にランナーを出すと、バントをさせないように何度も牽制球を投げたり、バントをしにくい球を投げ込んでいく。 
 しかし、川相の場合、際どい球をカットしてファウルで逃げたり、バスターを決めるうまさも持ち合わせていた。カウントが進めば、四球で出て1・2塁にしたり、バスターを決めて1・3塁というチャンスになる可能性も高い。
 投手は、バントされる方がまだまし、という精神状態にまで追い込まれていく。
 川相は、藤田巨人の象徴になった。


  3.世界記録、そして、またしてもターニングポイント

 藤田巨人は、1989年・1990年にリーグ優勝し、2連覇を果たす。川相は、1990年に犠打のシーズン記録を塗り替えると、1991年には自らの記録を塗り替えてシーズン66犠打を残した。
 川相は、犠打でレギュラーを不動のものとし、2番打者としてシーズン最多犠打7回という活躍を見せた。
 しかし、ドラフト逆指名制度やFA制度が定着してくると、川相の周辺の野球事情は大きく変わる。
 巨人は、大砲集めに奔走するようになった。巨人というチームでなければ、状況は違っていたかもしれない。しかし、不幸にも巨人は、資金力で選手集めを自由自在にできてしまうチームである。
 1993年から指揮を執り始めた長嶋茂雄監督は、現役時代、王貞治と並んで賞される大打者だった。長嶋監督は、徐々に藤田色を打ち消すかのように大打者の獲得に力を注ぐ。落合博満、石井浩郎、広澤克実、清原和博、江藤智、ペタジーニ。高橋由伸、清水隆行、仁志敏久、二岡智宏といった長打が魅力の大型新人も続々と入ってきた。
 その煽りを受けて、川相は、1998年頃から徐々に出場機会を奪われていく。
 巨人は、大砲ばかりを揃えて2000年、2002年と優勝するが、年々川相の活躍の場は限られていった。あまりにも大雑把な野球になってしまった巨人は、川相の居場所をなくしてしまったのだ。
 それでも川相は、2003年に通算犠打512個目を決めてついに世界新記録を樹立する。そして、川相の犠打新記録は、あのギネスブックに認定された。

 犠打世界記録を樹立した喜びもつかの間、2003年のシーズン終了前に川相は、原辰徳監督からコーチへの就任要請を受ける。原辰徳監督の下でコーチとして選手の育成に当たってほしい。世界記録を樹立したところで、そろそろ引退してもらって、後進の指導に力を注いでもらおう。巨人は、早々と次の道を用意したわけだ。
 現役に未練を残していた川相は、悩んだ。そして、お世話になった原監督のためなら、と現役を引退してコーチになる道を選んだ。
 しかし、である。肝心の原監督が騒動の末、辞任という急展開を迎える。川相の処遇も宙に浮いた。
 そして、球団から川相に遅れて届いた連絡は、二軍コーチへの就任要請だった。その対応に不信感を抱いた川相は、現役続行を望む。だが、巨人は、選手としての契約を望まなかった。
 巨人でコーチになるか、他球団で現役続行。
 当然のように川相は、他球団での現役続行を選択した。原監督が辞任してしまえば、現役を辞める理由はなくなったからである。


  4.落合博満監督の中日へ

 川相は、自由契約選手として他球団のテストを受けることになった。ギネスブックに認定されて、コーチという役職を得るところまで来ていながら、川相は、あえていばらの道を歩むことにした。
 2004年の9月には40歳になる。その年齢を考えると、川相を必要とする球団があるか。かつて2000本安打を達成した駒田徳広は、年齢がネックになって契約してくれる球団がなく、引退に追い込まれている。そのことを思い出すと、僕たちには不安が走った。
 しかし、25歳で遅くプロ入りして45歳まで現役を続けた中日の落合博満新監督が「一芸に優れた選手になれ。得意なところをさらに磨け」という方針を打ち出したところから、川相がクローズアップされてきた。
 落合博満は、言わずと知れた打撃の達人。世界でただ一人、3冠王を3度獲得した男である。打者出身ではあるけど、王貞治や長嶋茂雄とは違った経歴を持つ。常にドロップアウトしてもおかしくない人生の瀬戸際を歩いて大打者に登りつめたというところである。
 下積みの苦労を知る落合監督だからこそ、様々なところに目を向け、一芸を究めた者を尊重する。
 バントと守備で素晴らしい職人芸を持つだけに、川相は、すぐに中日入団となった。
 川相は、既に中日の一員となり、守備・バントの手本として、超一流の技術を見せてくれている。バントやグラブ裁きは、若手選手と比べると雲泥の差があるという。
 そんな光景を眺めながら、落合博満監督は、こう語っている。
「うまい人と一緒に練習しないとうまくならないからね」
 コーチとして指導するより、実際プレーして見せることにより、チームを活性化させ、それが後進の育成にもなる。
 それも、落合監督が求める効果の一つだ。僕は、落合監督が現役時代、中日・巨人・日本ハムと渡り歩いたとき、しきりに使われていた「落合効果」という言葉を思い出した。
 「川相効果」が来年の中日に見られるかもしれない、と。

 プレーヤーの引き際には大きく2通りある。エリートコースを歩んできたプレーヤーは、引き際も美しくきっぱり飾ることが多い。しかし、下積み期間が長い苦労人プレーヤーは、ボロボロになるまで現役にこだわること多い。王貞治や長嶋茂雄は前者であり、落合博満や野村克也は後者である。
 もちろん、川相昌弘は、落合のように後者に属するタイプである。
 そう考えてもいいだろう。




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