戦争に踏みにじられた夢 〜大リーグの日本開幕戦中止〜

山犬
 
  1.日本での大リーグ開幕戦中止

 夢は、政治に踏みにじられた。政治は、武力によってかつての辛苦の歴史を繰り返すかのようにスポーツを翻弄していく。なくなってしまった試合は、永久に戻ってこない。たとえ、同じ試合が翌年に実現しようとも、失われた一瞬を再現することはできないのだ。

 僕がもし東京ドームでの大リーグ開幕戦観戦チケットを持っていたとしたらこんな恨み節を長々と綴っていただろう。
 2003年3月18日、アメリカの大リーグ機構が3月25・26日に予定されていたアスレチックス×マリナーズの開幕2連戦を中止にすることを発表したからだ。
 3月16日までは予定通り、開幕戦が行われることになっていた。しかし、3月17日に事態は大きく動いた。アメリカのブッシュ大統領がイラクに対して最後通告を出したからだ。
「イラクのフセイン大統領が今から48時間以内に国外退去しなければ、攻撃を始める」
 そういう内容だった。フセイン大統領は、それを断固として拒んだ。
 緊迫は頂点に達したわけである。
 アメリカの大リーグ機構は、国務省や米連邦捜査局、日本側と協議を重ねる。そして、出した結果が「試合の中止」だった。


 2.中止になった開幕戦の概要

 日本での大リーグ開幕戦。十年前にそのようなことを話したら、「漫画の世界の話かい?」と馬鹿にされるだけだったに違いない。
 ところが、この十年で状況は大きく変わった。
 1995年に大リーグ挑戦を成功させた野茂英雄の新人王・奪三振王に始まり、2000年には佐々木主浩が新人王、2001年にはイチローが新人王と首位打者、盗塁王に輝くなど、日本人が大リーグの歴史に名を刻むようになってきた。それにつられるように日米の野球交流も盛んになってくる。
 大リーグの日本での開幕戦は、そういう背景からようやく実現したものだった。
 しかも、来日するチームは、アスレチックスとマリナーズ。その2球団というところに日本中の注目は集まった。
 アスレチックスの監督にはケン・モッカが就任している。モッカは、1982年に来日し、中日ドラゴンズの主砲として4年間活躍した。来日1年目にいきなり打率.311、23本塁打、76打点を残し、中日のリーグ優勝の原動力になった。4年間の通算成績は、打率.304、82本塁打、268打点。誠実な人柄で、中日を退団して帰国するときは最終試合後、ナインに胴上げされている。
 一方、マリナーズには日本人大リーガーが3人所属している。イチロー、佐々木主浩、長谷川滋利。彼らが日本のプロ野球で天才打者、守護神、エースとして頂点を極めた選手であることは今更語る必要もないだろう。大リーグに移籍してからも彼らの活躍は目覚しく、日本にいたときとほとんど変わらぬ活躍を見せてくれていることも……。
 かつて日本で偉大なる足跡を残した彼らが凱旋来日、凱旋帰国しての大リーグ開幕戦ということもあって、プラチナチケットとなった。
 そんなとき、アメリカがイラクに戦争を仕掛けて、すべてを止めた。
 しかも、アスレチックスとマリナーズは、開幕戦を前に、日本のプロ球団とのオープン戦を行うことも決まっていた。それさえ、中止にせざるをえなくなってしまった。
 そのあたりのスケジュールを示すと次のようになる。

中止になったオープン戦&大リーグ開幕戦
日時 試合 球場 開始
3月22日 西武×マリナーズ 
(オープン戦)
東京ドーム 12:00
巨人×アスレチックス 
(オープン戦)
東京ドーム 19:00
3月23日 ダイエー×アスレチックス
 (オープン戦)
東京ドーム 12:00
巨人×マリナーズ 
(オープン戦)
東京ドーム 19:00
3月25日 アスレチックス×マリナーズ
 (大リーグ開幕第1戦)
東京ドーム 19:00
3月26日 アスレチックス×マリナーズ
 (大リーグ開幕第2戦)
東京ドーム 19:00

 日米の垣根を越えた交流を模索しながら新たな方向を探りたい。そして、3月28日に行われるセ・パの開幕に向けて大きく盛り上げていくのだ。
 描いた日程からはそういう日本プロ野球界の意気込みが垣間見える。
 それを吹き飛ばすかのように3月17日がやってきたわけである。
 

 3.中止にすべきなのか、しないべきなのか

「私は野球を続けるのがこの国にとってベストであると心から信じている」(『野球は言葉のスポーツ』伊藤一雄・馬立勝 中公新書1991)

 この言葉は、第二次世界大戦中、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が演説で述べたものである。ルーズベルト大統領のおかげでアメリカ野球は、ほとんど戦争の影響を受けることなく、終戦を迎えた。
 一方、日本は、逆の道を歩んだ。野球を敵性スポーツとして弾圧したのだ。「バント」が「軽打」、「セーフ」が「安全」、「スタルヒン」を「須田博」と無理やり日本語にしたことなどは今では笑い話となっているが、当時はそれどころではなかった。
 多くのプロ野球選手が徴兵され、戦場に散っていった。沢村栄治、景浦将、西村幸生、吉原正喜……。戦死したプロ野球選手は72人にのぼっている。戦争が進むにつれて満足にメンバーも組めなくなり、戦争の激化とともに昭和19年9月でプロ野球自体が打ち切りとなった。

 戦争でプロ野球を犠牲にした日本に対して、アメリカは、常に平常心を保ちながらプロ野球を通常に開催し続けたのである。そこに、アメリカの強さがあった。

 しかし、そこから約60年を経た今、アメリカは、テロへの恐怖から日本での開幕戦とオープン戦を中止した。
「テロの被害に遭ってからでは取り返しがつかない」
 そう考えれば、これは英断である。しかし、見方を変えれば
「起きる可能性のほとんどない事態のために、スポーツを犠牲にしている」
 とも言える。
 大リーグの関係者の間でも、意見は二つに割れている。
 アメリカ大リーグ機構のセリグ・コミッショナーは、開幕戦中止の理由を次のように述べている。
「この危機的な重大事に、家族を置いて地球の反対側に遠征させるのは、不公正なだけでなく選手をひどく動揺させることになるだろう」(ロイター 2003.3.18)
 一方で、ヤンキースのトーリ監督は中止に疑問を投げかけている。
「われわれが閉じこもったら、戦争で負けるようなもの」(毎日新聞 2003.3.18)
 万が一に備えた安全を最優先するか、平常心の強さを最優先するか。アメリカは、この2つの間で揺れた。

 だが、考えてみれば、第二次世界大戦中とは状況に違いがある。
 第二次世界大戦中は、アメリカ国内のみの野球だったのに対し、今回の戦争中は、アメリカから日本への国境を越えた長距離移動というものがある。今回も、アメリカは、国内の野球は、通常通り続ける方針でいる。
 今回の開幕戦中止は、国際交流の進む時代が生んだ弊害と言えなくはない。
 2月に大きな問題となったケビン・ミラーの中日入団拒否騒動も、原理はこれと同じである。

 大リーグ機構が日本での開幕戦中止を決めた翌日の3月19日(イラク時間20日)、ついに戦争が始まった。最後通告を拒否したイラクに対して、テロ撲滅を掲げる米英が空爆を開始した。イラクの9.11同時多発テロ関与の確証が得られないままの先制攻撃だった。それは、湾岸戦争のときと状況が異なっている。湾岸戦争のときはイラクのクウェート侵攻が発端であり、多国籍軍でのクウェート防衛戦争であったのに対し、今回はテロに対する米英の先制防衛戦争である。
 戦争開始に伴い、日本ではサッカーの代表チームのアメリカ遠征が中止になり、アマチュアスポーツ界も次々と遠征中止・延期を発表した。
 現在の危機管理の流れからすれば、大リーグ機構の日本開幕戦中止の決定は妥当だった。だが、僕の心情としては、やはり開幕戦を実現させてほしかった。テロの脅威を軽く跳ね返すくらいの平静さを示してもらいたかったのである。


 4.戦争の影響を大きく受けてしまうスポーツ

 スポーツは、国同士の友好の架け橋となることがある。
 でも、国同士の戦争は、スポーツを犠牲にする。
 スポーツが政治の流れを大きく決定付けた出来事を僕は、いくつか思い起こすことができる。1971年に卓球の中国代表チームがアメリカ代表チームを中国に招待して行われた親善試合。この試合の成功は、朝鮮戦争以来、冷戦状態にあった両国の国交正常化への道を開いていった。いわゆるピンポン外交である。
 また、記憶に新しいところで言えば、2000年に行われたシドニー五輪開会式での北朝鮮と韓国の南北同時行進がある。南北間にあった緊張を緩和してくれた。
 他方で戦争がスポーツを蝕んだ出来事もまた悲しみとともに思い起こすことができる。1980年にはソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカはモスクワ五輪不参加を表明。諸国にも不参加を求めたため、追随して日本も不参加を決定した。これにより、金メダルが確実とされていた柔道の山下泰裕やマラソンの瀬古利彦ら、この時期に全盛期を極めていた多くの選手たちが活躍の場を失い、涙を飲んだ。
 2001年の9.11アメリカ同時多発テロ直後も、一時大リーグの試合が延期になって、バリー・ボンズのシーズン本塁打記録やランディ・ジョンソンの奪三振記録、イチローのシーズン安打記録などの様々な挑戦が無になってしまうのではという不安にさらされた。幸い、遅れながらも当初の予定試合数はこなせはしたが。 

 果たして今回の戦争で、世界に平和は訪れるのだろうか。1991年の湾岸戦争。2001年のタリバン政権攻撃。ここ10年余りは戦争が起こる度に、僕は、終われば永遠に続く平和が訪れるものだろうと思っていた。
 しかし、それは、まだまだ叶わぬ夢のままである。
 それでも、世界平和を目指すために武力行使を続けるアメリカと、平和的な解決方法を模索する人々。
 どちらが正しいのか、今の僕には判断がつかない。これまでの歴史は、戦争によって次の平和が作られてきた。現在の日本も、その一つだ。
 だから、気軽に反戦を口にすることに僕はためらいを感じる。
 僕のような一野球ファンは、運命を嘆きながら、次に訪れる平和を願って我慢する。そして、戦争の起こす弊害を微力ながら訴えてみたくなる。

 テロに怯える米英の指導者たちは、世界平和への目的達成のために、僕たちから最上の娯楽を奪った。
 野球ファンとして結論を出せば、そういうことになる。



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