反骨精神に光を 〜オリックスブルーウェーブの屈辱〜
山犬
   オリックス弱体化の理由

 2002年、巨人の約3分の1しかない総年俸に、オーナーさえもが「優勝したら奇跡」と言った球団、オリックスブルーウェーブは、最下位で幕を閉じた。
 5位とのゲーム差は11。首位西武とのゲーム差は39。
 オリックスは、阪急時代から強豪チームとして数々の栄光を手にしてきた。1967年にリーグ優勝を果して以降、1970年代の終わりまでは阪急の黄金時代だった。
 1984年にも三冠王のブーマーをはじめとする戦力でリーグ優勝、1995・1996年にはイチローの台頭から2年連続リーグ優勝を遂げている。
 イチローがいる限り、オリックスは強豪チームであり続けるだろう。もう一人、イチローを脅かすような若手が出てくれば、ON時代の再現も不可能ではない。パリーグ2連覇を果したとき、僕は、そんなことを考えていたような気がする。
 しかし、一寸先は闇。そのような状態は長くは続かなかった。
 1996年を最後にオリックスは優勝から遠ざかる。再び黄金時代のような戦力を揃えてきた西武、戦力が整ってきたダイエー、爆発的な破壊力を持つ近鉄に優勝を奪われていくことになるのだ。
 2002年のオリックスの下馬評は低かった。下馬評通りには行かず、評価の低いチームが意外と健闘するところにプロ野球の面白みはあるのだが、結果は残念ながら下馬評通りとなって行く。
 オリックスは、プロ野球創設以来、最下位になったのは1963年の1回しかなかった。つまり、2002年の最下位は39年ぶり球団史上2回目の屈辱だったわけである。
 1996年には圧倒的な強さで日本一を達成したチームがここまで危機に瀕した理由は、チーム作りにはない。メンバーがほとんど動いていないならチーム作りのせいにできるだろう。しかし、オリックスの指導者たちやスカウトたちは決して他球団より劣っているわけではない。むしろ、自前の選手たちを数多く育ててきた代表的球団であるとさえ言える。
 では、どうしてそんな球団が2002年、ついに最下位になってしまったのか。
 それは、次に見る制度改革によって起こったマネー競争と大リーグ移籍への時代の流れによってもたらされたものなのである。


  早すぎる時代の流れ

 1993年オフから日本のプロ野球はフリーエージェント(FA)制度を導入した。これによって、一流選手の年俸が大きく跳ね上がる。それは多くの人々の予想を超えていたし、不況から抜け出せない日本の経済状況にも逆行していた。
 一流選手は、より年俸を多くもらえるところに移籍したがるようになり、FAでなくても一流選手を引き抜いていってしまう球団も現れた。金銭に余裕のある球団だけが強くなっていく憂慮すべき事態へと発展して行ったのである。
 金銭面での競争に弱いオリックスから一体何人の選手が他チームへ去って行っただろう。
 日本の他球団へ抜けて行ったのが主力だけ並べても石嶺和彦、山沖之彦、野村空生、星野伸之、伊藤敦規、加藤伸一、アリアスなど。
 大リーグへ抜けて行ったのが長谷川磁利、木田優夫、イチロー、田口壮。
 これだけの主力メンバーが去って行って、どう勝てというのだろうか。
 抜けて行った彼らは、移籍先で新たな記録や伝説を作ったり、逆に全く本来の力を出せないままだったりもした。
 しかし、そう簡単に戻ってくるわけではない。実際、今のところ戻ってきたのは木田だけである。
 だからと言って、FA制度を使ってオリックスに移籍しようという選手が頻繁に現れることは期待できず、これからも同じような状況がずっと続いていくだろう。
 若手選手を育てていっても、レギュラーを長く任せられる一流選手にまでするには、かなりの時間を必要とする。
 チームから主力選手が抜けていく速度が速すぎて、若手の成長する速度がとても追いついていかない。そんな悪循環の中で2002年のオリックスは貧打にあえいだ。
 チーム打率は.235。3割打者は谷佳知だけで、それに次ぐのが規定打席に達している中では.256のシェルドンという状況だった。多くの主力選手たちは2割そこそこの低打率を刻んでいたのである。
 この悲惨な状況は、投手にまで影響し、思わぬ記録を生んだ。わずか4勝に終わった金田政彦が最優秀防御率(2.50)のタイトルを獲得し、わずか5勝の具デソンがリーグ2位(2.52)となった。どちらの投手も、他のチームなら2桁勝利は確実の成績である。
 これまでの最優秀防御率のタイトルで最少勝利数が6だったというのだから、オリックスの貧打は目に余るものがあったわけだ。


  2003年に1964年を思い起こして

 1963年、57勝92敗1分の成績で最下位に沈んだチーム。しかし、その翌年には79勝65敗6分で2位に引き上げている。
 打率.228、防御率3.69だった投打を打率.245、防御率3.01にまで上げて。
 投手では石井茂雄、米田哲也、足立光宏らが好投を見せ、打ってはスペンサー、ウィンディが本塁打を量産した。それまでの戦力と新戦力がうまくかみ合っての進撃である。
 打率.235、防御率3.58の今のチームは1963年とよく似ている。けれども、現在の投手陣はリーグ2位の防御率を誇っている。打率も防御率も圧倒的な最下位だった1963年よりは、まだ悪くない。新たな戦力をうまく使いこなせれば、1年で立て直すことは可能である。
 元々は、選手のスカウトや育成に定評があるチームなのだ。2002年の屈辱をバネに反骨精神を見せてくれることだろう。
 今の野球界を立て直すには、オリックスのような年俸の低い球団、しかも主力を他球団に根こそぎ獲られて、代わりすら入ってこない球団の快進撃が必要である。
 金よりも、地道なスカウティング、指導、選手個々の進歩などの努力が生み出す可能性を僕は信じてみたい。
 僕は、それが報いられるようにオリックスへ声援を送り続ける。オリックスが2003年に1964年の再現をしてくれることを願いながら。




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