青いハンカチと襟付きアンダーシャツ
 〜どこまでが違反でなくてどこからが違反なのか〜


山犬
 
  1.マウンド上でのハンカチ使用は違反?

 2006年夏の甲子園は、松坂大輔投手以来と言われるほど、ブームを巻き起こした。それは、本塁打が飛び交う乱戦が続いたことや、決勝戦で引分再試合になったことも原因として挙げられるが、その中でも最も世間を騒がせたのが早稲田実業高校の好投手斎藤佑樹の青いハンカチだろう。斎藤は、「ハンカチ王子」という愛称まで付き、トップアイドル並にマスコミから追い回されることになった。

 僕は、その間、青いハンカチに対してはほとんど興味を持っていなかった。むしろ、ハンカチ一つでここまで大騒ぎするのが少し理解しかねる感さえあった。だが、前回のコラムを読まれた方からメールをいただいたことで、急に見方が180度変わった。そして、ハンカチに大きな興味を抱くことになってしまったのである。

 メールをいただいた方の話は、大筋、このようなものである。
 高校野球をプレーしていた頃、試合中、ある投手がマウンド上でハンカチを使用した。すると、相手チームから抗議が起こった。そんなことで降板させられては大変と慌てた監督は、マウンドにいる投手のハンカチをベンチに引き上げさせた。
 そんな事態を目の当たりにしていたから、あのハンカチに対して誰も抗議しないのは不思議で仕方ないというのである。

 つまり、僕が興味を持ったのは、マウンドでのハンカチ使用がもしかしたら違反行為と見なされる可能性があるのではないか、という一点である。

 確かに大舞台とは言えない試合であったかもしれないが、実際にハンカチの使用が規則に抵触すると判断されかけた事実がある。だが、一方で、早稲田実業の斎藤は、全国中継される甲子園で、あんなに堂々と大きなハンカチを使用していて、問題にさえならない。
 考えてみれば、これまでにプロや高校の試合で堂々とハンカチを使用する投手がもっといても不思議ではなかった。しかし、僕の記憶では、投手があのようにハンカチをマウンド上で使用している場面に出くわしたことがない。

 プロ野球では、2006年4月30日、新庄剛志がソフトバンク戦で襟付きアンダーシャツを来ただけで、野球関係者から違法ではないかとの声が挙がって大騒ぎになった。5月6日の楽天戦を2度目の襟付きアンダーシャツで出場すると、今度はパリーグが使用禁止の通達を出し、以後は着られなくなってしまった。
 それに比較すると、斎藤の青いハンカチは、大きな違和感を感じてしまう。
 一体、どこまでが違反でなくて、どこからが違反なのか。それがはっきりしないことには、このような議論は、果てしなく続くことになる。


  2.公認野球規則にある「如何なる異物」

 公認野球規則(2006年現在)を見てみると、「8・02 投手の禁止事項」という部分で、こういう記述がある。

(b)投手が如何なる異物でも、身体につけたり、所持すること。
  本項に違反した投手はただちに試合から除かれる。


 これによれば、投手が「如何なる異物」と判断できるものを身体につけていた場合は、即刻退場処分になるというのである。
 では「如何なる異物」とは何なのか?公認野球規則には残念ながら異物が何を指すのかというところまで記述がない。
 指にゴムをはめていたり、粘着質のクリームを塗っていたりしたら、それは明らかに異物と判断できるだろう。ボールを磨くためのサンドペーパーや手を湿らすための水を持ち込んでも明らかに異物と判断できるだろう。
 それなら、ハンカチは、どうなのか?
 したたる汗をぬぐうためのものであるゆえに、異物にあたるものなのかどうかの判断が難しい。アンダーシャツや靴下のようなものと考えられなくはないからだ。
 プロ野球選手の中には、マウンド上で豪華なネックレスをしている投手もいるし、サングラスをかける投手もいる。ガムをかむ投手やミサンガを付ける投手も見たことがある。
 それらが違反でないなら、野球のプレーに何ら影響しないものであれば、身に付けていても、許されるということにもなる。すなわち、異物ではないのだ、と言うことができるのだ。
 だが、もしハンカチに、指へ塗るための物質をつけていたとしたら、それは明らかな反則行為である。

 野球規則に明確な記述がない部分は、どうしても審判の裁量にかかってくる。斎藤投手の場合、顔からしたたる汗をぬぐうための用途としてハンカチを使用していることが確実だからという理由で、「異物」とは判断されなかったにちがいない。

 そうなると、審判によっては、汗をぬぐうためハンカチであっても、悪用の危険を考慮して「異物」と判断することもできてしまうわけである。
 もし、「異物」と判断されたら、即刻退場だから有無を言わせず降板となる。

 ここまで考えてみると、現状の規則ではやはり記述が不足していると言わざるをえない。ならば「異物」であるかどうかを判断するために、「異物」とは言えないものを規定すべきではないか。
 いずれも細工のないことを前提に、眼鏡、ネックレス、ハンカチ、ティッシュ、ピアス……といったふうに。

 
 3.新庄の襟付きアンダーシャツはなぜ非難されたのか

 新庄は、2004年に日本プロ野球界に復帰して以降、さまざまなパフォーマンスでファンを喜ばせている。
 2006年には4月にシーズン限りの引退を発表し、パフォーマンスにさらに磨きをかけた。
 宙吊りでグラウンドに降り立ったり、阪神時代のユニフォームで練習に参加したり、オールスターに電光掲示板のベルトで登場したり、終盤には箱からの脱出劇というイリュージョンにまで挑戦した。
 そんな新庄の斬新なパフォーマンスは、プロ野球人気の回復に多大な貢献をしているのだが、年配のプロ野球関係者の中には眉をひそめる者も多い。

 新庄のパフォーマンスで最も物議を醸したのが、2度にわたって襟付きアンダーシャツで試合に出場したことだろう。
 公認野球規則(2006年現在)の「1・11 ユニフォーム」の項にアンダーシャツの記述が2点ある。

(a)(2)アンダーシャツの外から見える部分は、同一チームの各プレヤー全員が同じ色でなければならない。
  投手以外の各プレヤーは、アンダーシャツの袖に番号、文字、記章などをつけることができる。
(c)(2)各プレヤーは、その袖がボロボロになったり、切れたり、裂けたりしたユニフォームおよびアンダーシャツを着てはならない。

 実のところ、野球規則を見ていても、襟付きアンダーシャツが禁止なのかどうなのかは、全く判断できない。
 つまり野球規則を作った時点では、襟付きアンダーシャツなんてものは想定外なので、アンダーシャツの襟についての記述はないのだ。
 そのため、現在の規則では、アンダーシャツに襟が付いていても、その色が他のチームメイトのアンダーシャツの色と同じであれば、何の問題もないと判断できてしまう。
 新庄は、4月30日に襟付きアンダーシャツを着て試合に出場する前、審判員に規則上問題ないか、確認をとっていたという。そこで、問題なし、との判断が出たため、着用に踏み切ったのである。

 新庄の突飛に見えるパフォーマンスも、こうして見ると、公式戦では用意周到に野球規則の範囲内で行われているいることが分かる。

 だが、新庄の襟付きアンダーシャツは、大きな非難を受け、パリーグから使用禁止の通達があって、ついには着られなくなってしまった。
 その原因は、新庄ではなく、むしろ非難した野球関係者側にある。野球規則を整備せずに、中途半端な状態のまま、放ってあることこそ問題であるのだ。
 最近、ニュースで飲酒運転での事故より、ひき逃げの方が罪が軽くなってしまう場合があることが社会問題化しているが、日本では同じような法や規則の不備が至るところに見られるのだ。

 江川卓の「空白の1日」のように、規則の隙間を悪用するようなやり方は、どのような理由があれども、さすがに非難せざるを得ない。だが、斎藤や新庄のパフォーマンスは、誰にも被害を与えず、野球ファンを喜ばせる。そんな相乗効果を生んでいる以上、むしろ奨励すべきものではないか。

 たとえば、新庄は、2005年オールスターゲームで規則上は違反となる黄金バットを使用し、2006年にも違反となる虹色バットを使用した。
 公認野球規則「1・10 バット」には次のような記述となっている。

(d)プロフェッショナル野球では、規則委員会の認可がなければ、着色バットは使用できない。

 現在、日本のプロ野球は、着色バットとして、こげ茶、赤褐色、黒の3色を認可している。そのため、黄金バットや虹色バットは、認可のない着色バットということで、使用すると違反となる。

 確かにこれが公式戦であれば、非難の対象として扱われるべき問題ではある。だが、オールスターゲームという一種のお祭りでの使用だっただけに、審判も、相手チームも、とやかくクレームをつけることはなかった。
 僕には、その判断こそが規則上にも記述されるべき英断だと感じるのである。
 こういったファンありきのプロ野球である、という重大な事実を考慮すれば、やはりオールスターゲームでは好きな色のバットを規則として許可してもいいのである。

 現在、斎藤の青いハンカチが彼の清潔好きな性格によるもので、新庄の襟付きアンダーシャツのパフォーマンスが自分だけ目立つためであり、ファンを喜ばせるためのものであるから、という理由で、斎藤は違反でなく、新庄は違反だ、という理論がまかり通っているとすれば、それは憂うべきことである。
 規則に書いてないことは、ある程度常識で判断して、という形をとっていれば、永久に事態の改善は図れず、次々に問題が噴出するにちがいない。テレビではよく法律の解釈に関する番組をやっているが、弁護士によって解釈が正反対になってしまう法律は、やはり言葉不足なのだと考えるべきである。
 時代と共に、法や規則も進化していかなければならない。そのためには、規則を細分化し、ある程度まで将来を予測した形で明文化した方がいい。斎藤や新庄に関する論議は、野球規則が大きな改善を必要としていることを暗に示しているのである。



(2006年10月作成)

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