全国各地で夏の都道府県大会が行われ、熱戦がメディアを賑わしている。しかし、私がそれらを見る気が起こらないのは、やはり無実の罪でありながら連帯責任で夏の大会に出場できなかった福知山成美高校の選手たちが頭から離れないからである。

 野球賭博の発覚から過去最大の不祥事に発展した大相撲でさえ、謹慎は、日常的に不祥事に関与した力士と責任者である親方に対してだった。しかも、謹慎は名古屋場所終了までのわずか1カ月足らずである。
 さらに、力士の半数以上が野球賭博に関与していた阿武松部屋でさえ、部屋全体の謹慎は免れている。
 旧態依然とした組織が常に批判の的になる相撲協会ですら、阿武松部屋に対しては、部屋全体への処分をしないという英断を下した。
 もはや、過剰な連帯責任を負わせる戦前のやり方に固執する高野連と学生野球協会は、甚だしい時代錯誤であることを認識し、早急に改革が必要である。

     2010/07/25 犬山 
 2010年6月26日、第92回全国高校野球選手権京都大会の組み合わせ抽選会が行われた。
 参加校は78校中の77校で、全国制覇も狙える強豪の福知山成美高校は、対外試合禁止の処分軽減が叶わず、1か月の差で参加不能となった。

 3月に高野連と学生野球協会は、福知山成美高校の不祥事で当事者を処分せず、学校全体を処分した。福知山成美高校は、戦前体制を引きずったの時代錯誤な連座制の犠牲となったのである。しかも、学生野球憲章を4月に改正したにもかかわらず、高野連と学生野球協会は、個人処分や処分軽減を打ち出せず、せっかく改正した憲章を宝の持ち腐れにしている。
 さらに、高野連と学生野球協会は、無実の罪を背負った生徒たちへのケアをせず、京都大会自体まで見る価値のない代物にしてしまった。今からでも、福知山成美高校の参加が認められれば、救いはあるのだが、もしこのまま夏の大会が始まれば、まさに生徒の夢を一方的に奪う救いのない教育であり、権力による横暴でしかない。文明を退化させている高野連と学生野球協会の犯した過ちは極めて重大である。

      2010/06/27 犬山

高校野球に連帯責任は不要
〜福知山成美高校を夏の大会に〜


犬山 翔太
 
  1.福知山成美高校に課された重すぎる処分

 歴史は繰り返す。高校野球では、毎年、新たな英雄が生まれる輝かしい歴史を繰り返す。その一方で、対外試合禁止によって試合にすら出場できない悲劇の歴史もまた繰り返されてしまう。
 2010年3月、またしても高校野球の連帯責任処分で1つの高校が犠牲となった。
 京都府の福知山成美高校が2010年2月9日から8月8日まで6カ月間の対外試合禁止処分を受けたのである。これにより、福知山成美高校は、夏の第92回全国高校野球選手権京都大会への参加が認められなくなった。
 他の高校は、夏の大会まで及ぶ処分がないため、福知山成美高校が日本で唯一、夏の大会に参加できない高校となる。2009年の第91回大会には4041校が出場しているが、2010年もおそらくは4000を超える出場希望高校の中で1校だけ出場を認められないわけである。
 そう考えると、福知山成美高校に下った処分は、あまりにも重い連帯責任と言わざるを得ない。

 高校野球の悪しき慣例である連帯責任処分も、近年は時代の流れの中で徐々に緩和の方向に向かってきていた。
 2008年には桐生第一高校が野球部員1人による強制わいせつ事件が明らかになったが、甲子園出場を認められた。また、同じ年に常葉学園菊川高校の監督が新聞記者にセクハラ行為、一部主力選手が新聞記者にセクハラ行為を行っていたことが明らかになったが、監督の謹慎処分のみで夏の大会には出場が認められた。
 桐生第一高校のとき、高野連は、1人だけの不祥事なら対外試合禁止処分の必要なし、との判断を公表した。そして、常葉学園菊川高校の場合は、複数名であっても対外試合禁止処分は下らなかった。

 しかし、それが2010年3月の福知山成美高校に対する処分は、重い連帯責任が復活してしまっている。その理由について報道では、寮監の教師に対する暴力であること、暴力行為に3名、暴言に7名が関わったという人数を悪質だったと判断して重い処分になったとされている。

 とはいえ、日本学生野球協会は、こうした処分に対して確固とした基準を設けているわけではない。
 ・強制わいせつやセクハラ行為がなぜ暴力行為より軽微なものとして扱われるのか。
 ・なぜ下級生に対する暴力よりも、教師に対する暴力の方が圧倒的に重いのか。
 ・教師も、生徒に対して暴力を振るったことがなぜ隠されているのか。
 ・なぜ校内の不祥事が校外に対する不祥事よりも重くなってしまうのか。
 次々と疑問が噴出してくる。折しも、大相撲界では朝青龍の暴力行為が相撲界ではなく一般市民相手だったことが重大視されて、引退に追い込まれただけに、スポーツ界における無基準と一貫性のなさは、私を混乱させる。

 福知山成美高校の場合、暴力行為を働いた3人の生徒はいずれも既に退学し、体制も整えようとしている。つまり、不祥事の当事者が不在の状態で、半年後の夏の全国高校野球選手権大会に出場できない、という重い処分だけが残った。
 野球部全体に連帯責任を負わせたため、無実の生徒に大きな罪を被せ、生徒だけでなく、保護者や応援している人々にまで傷を負わせてしまったのである。
 そうした一方的な支配体制の事情を知るにつれ、日本の高校野球界が課している連帯責任処分が洗練された現代社会とはあまりにもかけ離れた制度になっているとしか言いようがない。
 福知山成美高校の6か月間の対外試合禁止処分は、軽減されてしかるべきであると同時に、そうした連帯責任処分のあり方も大きく見直す時期に来ているのではないか。


  2.連帯責任が持つ重大な欠陥

 連帯責任は、日本が封建体制となった中世には既に存在していた。その後、江戸時代に徳川幕府が農民を支配するために作った五人組で全国的に確立して、その考え方が現代まで生き延びたものである。
 江戸時代の五人組には下記の狙いがあった、
   1.組内に隠れキリスト教徒がいた場合の連帯責任。
   2.組内に犯罪者が出た場合の連帯責任。
   3.組内での年貢上納の連帯責任。
 この五人組は、鎖国体制下で国民を抑えつける役割を果たしたが、そうした思想統制や圧政が招いたのは、近代化の大きな遅れである。
 そして、戦時中の1940年には、政府が戦争への国家総動員を図る一環として、隣組を制度化する。町内会よりも下の組織として、国民の思想統制と戦争への協力を図ったもので、戦争参加へ国民全員を一致団結させるための重要な政策だった。しかし、それが招いた結果は、沖縄が占領され、広島・長崎を中心に全国に多大な被害者を出す悲惨な敗戦だった。

 こうした封建時代や軍事体制下の連帯責任制度に対する反省から、戦後は、徴税や犯罪において連帯責任を問われる制度はなくなった。日本は、民主主義国家として、国民1人1人の権利が尊重されるように切り替わったのである。

 しかし、日本学生野球憲章は、昭和7年の野球統制令に準拠している。内容が戦前の思想のまま、1946年に「学生野球基準要綱」が制定され、1950年にそれを憲章化して「日本学生野球憲章」となって現在に至っているのである。
 それでも、さすがに軍事体制下の取り決めがそのまま残っているため、批判も多く、日本学生野球協会は、2010年4月1日から日本学生野球憲章を全面改正することになった。
 それは、新しい日本学生野球憲章の解説にあるように「統制的な行政的発想を憲章から払拭」するのが最大の目的だという。確かに、多くの箇所に改善があるのだが、連帯責任については、大幅な改善が見られないのが残念である。

 対外試合禁止処分に関わる連帯責任についての部分を抜粋すると、改正前と改正後では下記のようになる。

〔改正前日本学生野球憲章〕
第20条 日本学生野球協会は、部長、監督、コーチ、選手または部員に学生野球の本義に違背し、又は違背するおそれのある行為があると認めるときは、審査室の議を経て、その部長、監督、コーチ、選手又は部員に対しては、警告、謹慎または出場禁止の処置をし、その者の所属する野球部に対しては、警告、謹慎、出場禁止又は除名の処置をすることができる。部長、監督、コーチ、選手又は部員にこの憲章の条規に反する行為があると認められるときも、同様である。
A 部長、監督、コーチ、選手又は部員に野球に関する個人としての非行があったときはその部長、監督、コーチ、選手又は部員について前項前段の規定を準用する。但し、この非行が、学生野球の健全な発達を阻害し、又は阻害するおそれがあると認められるときは、その者の所属する野球部についても前項前段の規定を準用する。
B 部長、監督、コーチ、選手又は部員の野球に関しない個人としての非行であっても、その非行が、学生野球の健全な発達を阻害し、又は阻害するおそれがあると認められるときは、その者の所属する野球部について第1 項前段の規定を準用する。
C 学校法人の役員、若しくは、教職員、其他学校関係者の行為が、学生野球の健全な発達を阻害し、又は阻害するおそれがあると認められるときは、その者の関係し、又は関係せんとする野球部について、第1 項前段の規定を準用する。
第21条 学生又は生徒で組織される応援団及びその団員は、常にその本分に基いて行動しなければならない。この応援団及びその団員の行動については、すべて、この応援団の所属する学校及び野球部がその責任を負うものとする。但し、この応援団、又はその団員が、その本分に反する行動をしたときに、これに関係がある野球部または部長、監督、コーチ、選手若しくは部員について前条1 項前段の規定を準用する。
A 前項の規定は、学生若しくは生徒以外の者で組織される応援団、又はその団員が、学生野球の健全な発達を阻害し、又は阻害するおそれがあると認められる行動をした場合についてもこれを準用するものとする。
[改正後日本学生野球憲章]
(日本学生野球憲章違反に対する処分)
第29条日本学生野球協会は、学生野球団体、野球部、部員、指導者、審判員および学生野球団体の役員が本憲章に違反し、または前条の注意または厳重注意にしたがわない場合には、当該の者に対して処分をすることができる。
2 日本学生野球協会は、部員または指導者が、本憲章に違反する行為をした場合には、当該加盟校の野球部に対しても処分をすることができる。
3 日本学生野球協会は、加盟校を設置する法人の役員または前項以外の教職員、応援団もしくはその他学校関係者が、本憲章に違反する行為をした場合には、当該加盟校の指導者または野球部に対して処分をすることができる。
4 日本学生野球協会は、必要と認めるときは、処分に付随して指導をすることができる。
5 日本学生野球協会は、処分後の被処分者の情状を考慮して、処分の内容を解除変更することができる。

(審査室の処分決定および日本学生野球協会の決定に対する不服申立)
第33 条審査室が行った処分決定に対して、被処分者は日本学生野球協会規則が定めるところに従い日本学生野球協会に対して不服申立ができる。
2 前項の不服申立に対する日本学生野球協会の決定になお不服がある場合には、対象者は日本スポーツ仲裁機構に対して前項の日本学生野球協会の行った決定の取り消しを求めて仲裁の申立を行うことができる。
(日本学生野球協会ウェブサイトから抜粋)

 改正前の日本学生野球憲章では、まず個人に対して処分を下すことが明記されているが、実際にはその後に記述のある野球部に対しての処分ばかりが下される、という実態があった。
 そこには、全国各地で起こる不祥事に対して、高野連や日本学生野球協会自体による調査不足という現実は否めず、個人にまで処分を下すだけの証拠に乏しいため、団体に対して連帯責任処分を下さざるを得ない状況だった。
 そのため、野球部に対する対外試合禁止という大枠の連帯責任処分を下して、無実の生徒たちが対外試合禁止処分の被害に遭って、本来出場すべき大会に出場できないという悲劇が起こっていた。つまり、高野連や日本学生野球協会は、処分を下すことによって新たな二次被害者を生み出す加害者となっていたのである。
 
 その一方で、連帯責任処分によって所属していた学校が対外試合禁止処分となっても、不祥事を働いた生徒が退学して、他の学校に移ってしまえば、何の支障もなく試合に出場できる、という抜け穴が存在し、実際に事例としても存在していたのである。

 2010年4月の改正で、日本学生野球協会の処分を解除変更することも可能となり、処分に対する不服申立が可能になる進歩こそあったものの、野球部に対する連帯責任処分が残ってしまった、という重大な欠陥があまりにも残念に映る。
 改正前の日本学生野球憲章も、まず個人を処分する文が先に明記されている以上、もはや徴税や犯罪に対しても連帯責任がない現代社会において、野球部に連帯責任を負わせる記述は不要だったと言わざるを得ない。


  3.連帯責任の代わりに個人に重い処分を

 日本の高校野球は、他の高校スポーツに比べて、圧倒的に注目度が高い。その特殊性があるため、国民への影響を考慮すると、日本学生野球協会が厳しい処分を下そうとするのも理解できぬわけではない。
 しかし、無実の生徒たちを巻き込んでまで連帯責任を負わせ、日本学生野球協会が加害者となって二次被害者を生みだすことは避けなければならない。

 福知山成美高校に下った6か月間の対外試合禁止処分は、連帯責任としては新3年生全員に対する事実上の死刑宣告であり、不当に重い。それまでの人生の目的であった甲子園を目指す大会に出場する、という善良な生徒の権利を一方的に奪い去る権限は、教育者としてあってはならない。改正前の日本学生野球憲章で処分が決まったとはいえ、処分の軽減や不服申立は実施されてしかるべきである。

 そして、望むべくは、日本学生野球憲章で最初に明記してある個人の処分を最優先させるべきである。実際に暴力行為に及んだ生徒に対して処分を下すことによって、退学して反省することなく別高校の生徒として試合に出場する、という重大な抜け穴を塞がなければならない。

 日本学生野球憲章は、今後見直しを行っていくようだが、野球部に対する連帯責任処分は、早急な見直しが必要である。少なくとも、連帯責任処分を可能とする記述自体が不要であり、野球部の責任者に対する処分のみに切り替えるべきである。
 改正後の日本学生野球憲章は、理念として「教育を受ける権利」を掲げているが、学生野球協会が連帯責任処分によって加害者となる条文を定めている時点で説得力はない。未だ、統制や支配という戦前の規則を引きずっており、一方的に無実の生徒たちから「教育を受ける権利」を奪ってしまうことができては、教育を受けたい者が受けられなくなってしまうのである。

 日本の高校野球は、教育であるとともに国民的スポーツである。各都道府県内で争う予選ですら、選手たちの実名・年齢・身長・体重などが都道府県民の目にさらされる。有名選手になると、発言や趣味・好不調など、あらゆる情報がメディアをにぎわせるのである。
 そうした個人情報が筒抜けの一方で、不祥事を働いた生徒たちは、実名はおろか、その他の個人情報が一切公表されず、処分は、野球部全体が受けなければならない、という不条理な状況がある。
 本来の教育は、善も悪も、平等に扱われるべきである。選手が野球で輝かしい功績を残して、その選手がメディアに大きく取り上げられて英雄になるのであれば、不祥事を起こしてもその選手が処分を受け、メディアに大きく取り上げられて責任を負うべきである。
 そうして個人を処分し、実名で不祥事を報道することこそ、現状の連帯責任では一向に抑止力となっていない不祥事を激減させる手段である。





(2010年3月作成)

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