ドリームチームへの重圧  〜アテネ五輪野球日本代表の戦い〜

山犬
 
  1.ドリームチーム

 2004年8月13日からアテネオリンピックが始まる。日本は、ついに全員プロ野球選手のドリームチームを結成して臨むことになる。
 今度こそ金メダル!
 ドリームチームにはあまりにも過大な期待がかかっている。
 既に野茂英雄、佐々木主浩、イチロー、松井秀喜らのおかげで、日本のプロ野球のレベルは、メジャーリーグに近い実力を備えていることを証明している。
 でも、それは、アメリカ人に示したにすぎない。世界中に知らしめるためには、やはりオリンピックで勝たなければならないのだ。
 オリンピックで金メダルを獲れ。これ以上のプレッシャーがあるだろうか。数々の修羅場をくぐり抜けてきた長嶋茂雄ですら、その重圧が今まで経験してきた中で最大、と口にしていたというのだ。
 果たしてドリームチームの日本は金メダルを獲れるのか?
 この問いかけに、僕は、首を縦に振ることができない。
 かつて、アメリカは、プロ選手が解禁されるとバルセロナオリンピックでバスケットボールのドリームチームを結成し、圧倒的な力で金メダルを勝ち取った。それは、バスケットボールが能力のずば抜けた選手を集めれば、ほぼ必ずと言っていいほど、勝てるスポーツだったからだ。
 しかし、野球は、そうではない。超一流のスター選手を集めても、負けるときはいとも簡単に負けるのだ。
 どれだけ超一流の投手でも一年間を通して1点も失わずに投げることはできないし、1敗もせずに終えることは不可能に近い。たまたま甘いところに投げてしまい、本塁打を浴びることもある。
 四割近い打率を残す打者でも、その1試合に限ったら全打席凡退してしまうということは頻繁に起こりえる。いい投手と対戦すれば、そうは打てないのだ。
 だから、ワールドシリーズで世界一になるチームでさえ、同じ地区最下位のチームにあっさり大敗することがある。そういう意味で、野球は、予測不可能なスポーツである。

 日本は、野球が公開競技となった1984年からずっと出場し続けている。1984年には栄光の金メダル獲得。その後も、1996年のアトランタオリンピックで銀メダルを獲得するまで日本は4大会連続でメダルを手にした。
 そして、2000年のシドニーオリンピックで、日本はついにプロ野球選手の派遣を決める。松坂大輔や黒木知宏といった投手や中村紀洋、松中信彦、田口壮、田中幸雄といった野手が参加した。パリーグの1軍で主力として活躍する選手だった。
 しかし、結果は4位。あと一歩のところでメダルを逃してしまう。オリンピックで野球が行われるようになって以来、初めてのことだった。プロの一流選手を派遣してメダルなし。そんな無残な結果を多くの国民が想定してなかっただけに、日本中のショックは大きかった。シーズン中であることを理由に派遣に非協力的だったセリーグは、非難にさらされた。
 もし、このまま2大会連続でメダルを逃すようなことがあっては、野球王国日本の立場がない。2004年には日本の威信をかけてもメダルを、しかも金メダルを奪回しなければならなくなったのだ。
 そこで、全員プロ野球選手でアテネオリンピックに臨むという形になっていったのである。しかも、メンバーは、各チームを代表する選手。監督は巨人の終身名誉監督、長嶋茂雄である。
 これほどまで、重圧のかかる日本代表チームがかつてあっただろうか。負けは許されないドリームチームとなる。
 僕は、円谷幸吉という一人のランナーを思い出していた。


  2.重圧

 オリンピックは、一度スポーツをしたことがある者なら誰もが夢見る舞台である。
 だからこそ、国の代表に選ばれるのも容易なことではない。そして、選ばれた者は、国を背負って、という今まで感じたことのない重圧を受ける。
 その重圧を跳ね返せる者、または重圧を感じない者だけがメダルを獲得できるのだ。
 オリンピックが醸し出す栄光と挫折について考えるとき、必ずと言っていいほど語られる人物がいる。マラソンランナー円谷幸吉である。
 円谷幸吉は、1964年10月に行われた東京オリンピックの男子マラソンで銅メダルを獲得する。円谷は、それがまだ3回目のマラソンだった。
 円谷がマラソンを初めて走ったのはその年の2月。それまでは5000メートル、1万メートルを得意とする中距離ランナーだった。他人からの要請で、続けざまに2度のマラソンに走り、2度目の毎日マラソンで2位になってオリンピック代表に決まったのだった。
 円谷は、ほとんどと言っていいほど、国民から期待されていなかった。何せ初めてマラソンを走ってからわずか7ヶ月の無名ランナーだ。国民は、エースの君原健二やキャリアの長い寺沢徹に期待を寄せていた。
 気楽に走れた環境の中で円谷は、快走を見せる。外国人2人には及ばなかったものの銅メダルを獲得する。
 円谷にとって、至福のときはここまでだった。次のメキシコオリンピックへの期待が高まり、環境が大きく変わったからだ。翌年から円谷は、故障に次ぐ故障と、銅メダルの重圧に悩まされ、メキシコオリンピックが直前に迫った1968年1月、自ら命を絶つ。故障と重圧で心身ともに疲弊し、追い込まれ、走れる状態ではなくなってしまったのだ。
 オリンピックは、知らず知らずのうちに国を背負ってしまう。他のスポーツ大会とは異質であり、特別な存在なのである。
 以前「オリンピックを楽しみたい」と発言する選手が増え、一部の国民から批判の声が上がったことがある。
 徐々に「一国の代表」という意識は薄れつつあるものの、依然としてただ参加するだけでは満足しない人も多い。国の名誉のために身を賭して戦うという意識は選手側にも見る側にも根強いのだ。
 だから、「もしオリンピックでなければ」という仮定があれば、何事もなかったものが、オリンピックという脚色がつけられることによって、重大な意味を持ってしまう。
 オリンピックという特異な舞台が栄光を生み、また、挫折を生むのである。


  3.予選通過

 2003年11月5日から行われたアジア野球選手権決勝リーグは、日本代表にとって重大な意味をなしていた。ここでの上位2チームがアテネオリンピックの切符を手にすることになっていたからである。日本は、中国・台湾・韓国と試合をした。5日に中国を13−1の大差で破った日本は、翌6日に台湾を9−0で破り、アジア最大のライバル韓国にも2−0で勝って優勝する。
 全勝でアテネオリンピックの切符を手にしたのだった。この3戦のうち、第1戦の中国戦に先発した上原浩治は、気になる発言をしている。
「勝って当たり前の試合に投げるのが一番しんどいですね」
 巨人という伝統ある名門チームで幾多の重圧を乗り越えてきた上原ですら、耐え難いほどの緊張感に襲われていたのだ。

 この選手権で韓国は、台湾にまさかの敗戦を喫し、3位に沈んでアテネオリンピックの切符を逃した。韓国は、2000年のシドニーオリンピックで銅メダルを獲得している。そして、今回、プロのドリームチームで臨んでの予選落ちだった。
 そのまさかはアメリカ大陸予選でも起きる。世界一の野球王国アメリカがオリンピックの切符を逃してしまうのだ。アメリカは、シドニーオリンピックで金メダルを獲得したチャンピオンチーム。それが一転、頂点から一気に予選落ち。
 アメリカは、地区予選を甘く見ていたのか、オリンピックを重要視していなかったのか、アマチュアとマイナーリーグ選手を中心としていた。メジャーリーグの一流選手は出場していなかったのだ。予選で敗れたことで非難は起こったが、アメリカは、負けるべくして負けたのである。

 日本は、すべてプロ野球選手というオーダーを組み、勝つべくして勝った。いや、勝つべくして勝ったことにされたと言った方がいいだろうか。
 台湾も韓国も国を代表するプロ選手を起用してきた。一つ間違えば、日本代表は予選落ちする危機があった。韓国も、敗れるべくして敗れたのではなく、勝つべくして敗れたのだった。

 勝つべくして敗れたチームがあるように、アテネオリンピックの代表に選ばれるべくして選ばれなかった選手もいる。
 最も話題となった女子マラソンの日本代表選考。運命の3月15日に決まった代表選手の中に高橋尚子の名はなかった。僕は、そのことに大きな驚きがなかったが、別の部分で驚いたことがある。補欠選手が高橋尚子でなかったことだ。補欠選手は、千葉真子。高橋と同じ小出義雄監督から指導を受けるランナーである。
 高橋が補欠にも選ばれなかった理由は、日本陸上競技連盟によると、高橋のこれまでの実績を尊重してのことらしい。でも、高橋の補欠漏れは、選ばれた野口みずき・土佐礼子・坂本直子の3人に大きな重圧を与えないため、という要素の方が明らかに強い。
 僕は、この選考における最大の難点は、大きな重圧のかかる大会というものを考慮に入れてないことと見る。
 日本陸上競技連盟は、選考会の結果だけを重視した。目に見えるタイムの結果だけで選考するなら、別にわざわざメンバーを集めて選考の協議をする必要はなさそうなものだが、やはりタイムを軽視するな、という批判を恐れたのだろう。
 選考基準には「選考会上位の中で五輪メダルなどが期待される選手」というのがあるのだが、そこは今回無視されている。オリンピックは、何度も書いているように、他の大会とは大きく違う。底知れぬほどの重圧を克服できなければ、オリンピックでは勝てないのだ。
 マラソンランナー瀬古利彦も、実力は世界一でありながらオリンピックにだけはどうしても勝てなかった。その一方で、女子水泳の岩崎恭子のように、何の重圧も受けずに台頭してきた勢いで金メダルをとってしまう選手もいる。
 オリンピックには魔物が棲んでいる。よく使われる名言は、オリンピックの真実をよく言い当てている。

 有森・高橋といったメダルを狙えるランナーの陰で、他の代表メンバーは、無残にも重圧に敗れてきた重大な事実を選考メンバーは軽視しすぎてはいないだろうか。
 果たして選ばれた3人が本当にオリンピックでメダルを狙える選手なのだろうか。
 高橋が選ばれていれば、すべての重圧が高橋にかかっていただろうが、高橋が選ばれなかったことで重圧が3人にそれぞれ同じ大きさでかかってくる。僕は、もし誰もメダルを獲れなかった場合の3人と陸連への非難を懸念する。
 ともあれ、シドニーオリンピックの野球で金メダルを獲得したアメリカが地区予選で姿を消し、シドニーオリンピック女子マラソン金メダルの高橋尚子も日本代表から漏れた。
 オリンピックは、前哨戦からして既に波乱含みで熱いのだ。


  4.プロ野球1チーム2人選出制

 シドニーオリンピックは、セリーグが非協力的だったこともあって、ドリームチームと呼べるまでのチームにすることはできなかった。そして、今回のアテネオリンピックでも完全なドリームチームの結成は無理らしい。1球団2人選出制のためだ。
 本気でドリームチームを作るなら球団の分け隔てなく優秀な選手を集めるべきではあるけれど、1球団当たり平等に2人というのがいかにも日本的で面白い。
 長嶋茂雄監督は、完全なドリームチームを作り上げるため、1球団2人選出制の撤廃を主張した。でも、いくら長嶋さんの頼みとはいえ、結局、各球団から反発があり、撤廃できなかった。
 何が起きるか予測のつかないオリンピックであり、試合が終わるまで勝ちを確信できない野球というスポーツであるだけに、完全なドリームチームを作り上げて敗れたときのショックを考えて、あえて完全にしない、というのはいいことかもしれない。

 ただ、今回1チームから2人を選出することによって合計24名のプロ野球選手を選出することが可能になり、アマチュア選手の入り込む隙がなくなってしまった。新たな弊害である。
 アマチュア選手の中にはオリンピックに出場することを目標にしている選手もいる。また、オリンピックに出ることによってさらに成長するということもある。
 その機会を奪ってしまっていることに僕は、少し反発心を抱いている。オリンピックがすべてプロ選手になると、アマチュアの最高峰というものがなくなってしまうからだ。
 僕は、あえて日本だけでもプロとアマチュアの選出を半々にした方が面白いのではないかと感じる。確かにシドニーではメダルを逃したけど、プロとアマの連携がうまく行けば、メダルは充分狙えるからだ。

 アメリカ・韓国が予選で敗れてしまった今、各球団を代表するプロ野球選手を集めた日本が金メダルの最有力であることはほぼ間違いない。試合が近づくにつれて、各選手への重圧は高まるだろう。
 その重圧をはねのけて、金メダルを獲得できるのか。女子マラソンと同じくらい、僕は、その結果が気になって仕方ない。




(2004年5月作成)

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