日本に独立リーグが根付くために
 〜独立リーグを巡る激動の時代〜


犬山 翔太
 
  1.激動の独立リーグ球団設立

 先日、私が自宅の引っ越し手続きをするために市役所へ行くと、入口に「三重県初プロ野球球団 始動」という大きなポスターが貼ってあった。
 2010年、三重県に「三重スリーアローズ」というプロ野球球団ができる。プロ野球球団といっても、セパ両リーグでやっている日本プロ野球機構の球団ではない。関西独立リーグに予定する予定だった。
 しかし、事態は、10月2日から急展開を見せる。三重スリーアローズが理念の違いを理由に関西独立リーグからの脱退することが明らかになり、翌3日には脱退と新リーグの設立を発表したのである。関西独立リーグが選手の給与を大幅削減したことに対して、賛同できなかったことが最大の要因のようだが、それにしても来季の参入を前に脱退するというのは、私にとって今年最大の野球ニュースと言えるほど大きな衝撃を受けた。

 三重スリーアローズは、ATO(アドバイザーツーオーナー)には中日の主砲として通算2000本安打を達成した谷沢健一、監督にはヤクルトのエースとして通算191勝を挙げた松岡弘を招へいした。この人選を見ると、本格的なプロ野球球団を目指す意図が見てとれる。
 だが、一般的にプロ野球球団と言うと、日本野球機構(NPB)の12球団が思い浮かぶので、私には独立リーグの球団に「プロ野球球団」という表記が踊ると、かなりの違和感がある。

 とはいえ、独立リーグは、近年、日本野球の中では最も注目を集める存在と言っていい。特に2005年に発足した四国アイランドリーグは、2006年にはNPBの大学・社会人ドラフトで指名される選手も輩出し、2008年には、九州拠点の2球団が加入して四国・九州アイランドリーグとして6球団を抱えるリーグに成長した。
 また、2009年に発足した関西独立リーグを巡る一連の騒動は、全国のトップニュースとして、独立リーグが抱える大きな問題を露出させた。

 独立リーグは、他の地域でも構想が進み、地域ぐるみの独立リーグ球団立ち上げは乱立しつつある。しかし、既に存在する独立リーグ各球団の歴史さえ、どこもまだ浅い。それゆえに、今後の展望についても、未だ不鮮明な部分が多いまま、何とか前に進み続けているという感が強い。
 アメリカでは、すっかり大リーグの傘下チームから溢れた選手、自由契約となった選手を中心に、外国人選手も取り込んで数多くの独立リーグのチームが機能して根付いている。
 果たして日本では、独立リーグがアメリカのようにスタンダードとして根付くことができるのか。
 それは、現在、運営している各地域の独立リーグの人々の知恵と努力にかかっている。


  2.かつての独立リーグの失敗

 日本で最初に独立リーグが出来たのは、戦後間もない1947年である。当時、日本野球連盟は8チームの1リーグ制をとっており、当面は新球団の加盟を許可しない方針をとっていた。その理由は、レベルや人気の低下を懸念してのものだったと言われている.
 そのため、日本野球連盟に加盟したくてもできない球団は、新リーグの結成に動いたのである。
 宇高産業の社長宇高勲は、他の企業にもプロ野球リーグ結成を呼びかけ、国民野球連盟を結成し、1947年から国民野球リーグを発足させることに成功する。

 1947年3月29日、国民野球リーグは、宇高レッドソックス、グリーンバーグ、大塚アスレチックス、唐崎クラウンズの4球団で開幕する。この国民リーグは、日本野球連盟の日本リーグと対等という形をとってはいたが、実情は厳しかった。日本リーグから選手を引き抜いて、陣容を整えはしたものの、後楽園は日本リーグの試合がない日しか使用できず、大半は、地方の球場で賄うことになった。
 さらに、フランチャイズ球場がなく、興行面では観客動員に苦労し、大口のスポンサーに恵まれないばかりか、地方では宣伝不足でほとんど観客が集まらなかったり、悪質な興行主に引っ掛かって興行収入をすべて持って行かれたり、という悲惨な状況に陥った。 
 その中でグリーンバーグは、資金難から身売りにより結城ブレーブスとなり、宇高レッドソックスも、宇高勲に対する国からの膨大な追徴課税により、熊谷組に買収されることになる。
 それでも、国民リーグは、夏季リーグとしてまず30試合制で行い、その後、秋季リーグとして21試合制で行って、何とか1年を終えることができたのである。

 しかし、日本野球連盟では、巨人が結城ブレーブスの濃人渉を引き抜く動きを見せ、それに対して国民野球連盟では、太陽ロビンスの真田重蔵や投球フライヤーズの大下弘を引き抜く動きを見せる。
 そうした両リーグの引き抜き工作は、巨人の川上哲治と日本野球連盟の鈴木龍二会長が収拾を図り、結局、引き抜きの話は流れる。
 そして、1948年2月26日、大塚アスレチックスが日本リーグの金星スターズに吸収されたことにより、国民リーグは、存続が困難となり、解散の憂き目を見たのである。
 国民リーグは、いずれ日本リーグと2大リーグを形成し、日本シリーズを開催する、という夢を抱くのみに終わったが、国民リーグが作った流れは、1950年に日本リーグがセ・パ分立の2リーグ制として実現を果たす。そういう意味では、国民リーグが歴史的に果たした役割は大きい。


  3.日本に独立リーグが根付くために

 とはいえ、日本リーグが「日本プロ野球」としてその後隆盛を極めるのに対して、国民リーグがわずか1年で消滅するというあまりにも両極端な結果は、それだけで独立リーグが成功する困難さを物語る。そして、国民リーグの失敗からは見えてくるものも多い。
 次のように、国民リーグになくて、日本リーグにあったものを挙げると、それが独立リーグが成功するための条件ともなる。

@フランチャイズ球場固定による地域密着のファン獲得。
A観客を呼べるスター選手の育成、獲得。
B安定した大口スポンサー獲得による余裕を持った運営。
Cメディアによってニュース、新聞等に日々取り上げられること。

 国民リーグは、当初から日本野球連盟と対等のリーグを作る、という大きな夢を抱いて出発したため、日本野球連盟からの圧力によってつぶされ、軌道に乗るところまで辿り着かなかった印象が強い。
 新リーグを立ち上げても、発足当初こそ注目を集めても、すぐに世間の熱は冷める。1年や2年では、なかなか軌道には乗せられず、軌道に乗るまでには何度も低迷期が訪れることが予想される。
 アメリカでは19世紀から独立リーグが存在しているが、成功して長期間続いている独立リーグもあれば、短期間で活動を停止してしまった独立リーグもあるなど、様々である。そんな中でも、長い間かけて地域に密着し、毎試合5000人以上の観客を集める球団も多く作り出してもいる。

 日本の各地域で設立が進む独立リーグは、国民リーグのようにNPBと対等のリーグを作り上げることを目的としたものではない。地域で球団を持って、地域の活性化をもたらし、いずれはNPBで活躍できるような選手を輩出することを目的にしていると言った方が近いだろう。
 それゆえに上記@の通り、フランチャイズ球場を持つというのは最低条件であり、Aのスター選手の育成に力を注がねばならない。関西独立リーグの神戸9クルーズの吉田えりのように注目を集める自前選手を多く作り上げれば観客を呼び寄せることが可能になる。
 また、四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスが元大リーガーの伊良部秀輝を獲得したように、スター選手を獲得して観客の興味を引くことも重要である。

 BCの大口スポンサーの獲得やメディアへの露出については、球団運営の営業努力にかかっている。さらには、様々なアトラクションやパフォーマンスで観客を楽しませることも重要な要素となってくる。クラブチームではあるが、茨城ゴールデンゴールズのようなエンターテイメント性を兼ね備えた球団作りも必要となる。プレー面ではどうしてもNPBに及ばない点をいかにカバーするかである。

 また、それ以外にも現在の独立リーグの観客動員を見てみると、NPBの球団が存在しない地域の方が観客を多く集める傾向があり、球団の本拠地選択も大きな要素となる。東京、名古屋、大阪などに球団を作っても、現在のプロ野球球団の陰に隠れてしまい、人気を得にくいのである。

 このように見てみると、独立リーグが日本に根付くには、まだまだ長い時間が必要であることは確かである。だが、不況によって企業チームが減少する中、その役割を充分に果たせるのも独立リーグの他には見当たらないことも確かである。現状では課題が多い独立リーグではあるが、野球界の繁栄のために、数多くの独立リーグが成功することを期待して見守って行きたい。







(2009年10月作成)

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