奪還 〜桑田真澄投手の最優秀防御率タイトル獲得〜
山犬
  かつてエースと呼ばれた投手がいたとする。彼は、努力とそれを生かす工夫で熾烈な競争を勝ち抜き、チームのエースにまで登りつめた。
 しかし、その状態を維持していくことは大変なことだ。エースと呼ばれた投手が肩や肘を壊してわずか2、3年の間にお荷物となってしまった例は数限りなくある。
 エースというのは本当に一時の称号であり、投手が入団してきてから引退するまで常にエースであり続けることは不可能である。
 言うまでもなく、投手は、肩と肘を酷使する。元来、物を投げるためにできているわけではない人間の肩や肘は投げるたびに炎症を起こしていく。無理な使い方をすれば、いとも簡単に壊れてしまうのだ。
 エースとして絶頂期にいたその投手は、ある試合で肘を痛めて戦列を離れる。そうして投げられなくなってしまったエースは、もはやエースではない。それどころか、投手ですらなくなってしまう危機に瀕してしまう。一時の栄光を胸に、球界を去っていかざるをえなくなることなんてよくある話なのである。
 それは、ボクシングで言うチャンピオンに近いかもしれない。チャンピオンもプロになったときからチャンピオンであったわけではない。無名のランカーたちの中から勝ち抜いてきた者だけがチャンピオンへの挑戦権を得て、そのチャンピオンを倒して初めて称号を手にするのだ。
 そして、チャンピオンと呼ばれる時間は短い。1回も防衛できずにチャンピオンの座から引き摺り下ろされるボクサーもいる。防衛し続けなければ、チャンピオンベルトを手にしていることはできないわけだ。
 3回防衛しても4回目で挑戦者に敗れてしまえば、チャンピオンではなくなってしまう。そうなったとき、チャンピオンは、引退を悟るか、リベンジに賭けるかの選択を迫られることになる。
 ただ、リベンジに賭けることを選んだ場合、道は険しい。一度栄冠を失った者が再び栄冠を手にすることは最初にチャンピオンとなったときよりもはるかに難しいのだ。
 若くて勢いのある勢力の台頭、一度敗れし者へに対する現チャンピオンの優越感。また敗れてしまうのではないかという恐怖感。そういうあまたの困難と戦わなければならないからである。
 ボクサーがチャンピオンという不安定な頂点をひたすら望み続けるように、投手もエースという不安定な頂点を望み続ける。立場は、控え投手へファームへと下に行けば行くほど不安定になる。
 そんな過酷な状況の中で日々を戦っていかなければならない投手という立場が僕は好きだ。

「落ちぶれたもんだよな。彼も。あの球じゃ、高校生すら抑えられないだろうね」
「見ていて三振をとれる気がしないんだ。もう限界がきたってとこかな」
 そうやって酷評されていた投手が再び予想を覆す活躍をしてくれることほど、嬉しいことはない。
 2002年のシーズン。半ば近くになって、ようやく人々の注目は一人の投手に集まろうとしていた。桑田真澄である。
 1980年代後半から1990年代半ばにかけて、彼は、巨人のエースと呼ばれていた。斉藤雅樹・槙原寛己とともに、巨人の三本柱として数々の栄光を手にしていた。
 転機が訪れたのは1995年の5月である。前年にシーズンMVPを獲得するなど、充実したシーズンを送って1995年もその好調さを維持していたときのことだ。
 試合で投手前に飛んだ小フライにダイビングキャッチを試みた桑田は投手の生命線とも言える右肘を傷めてしまう。
 周囲や世間の人々は、投手がそこまでして打球の処理に執着することに非難の目を向けた。だが、桑田は、そのプレーに対して決して後悔しなかった。
「野球選手として当然のプレーをしただけですよ」
 桑田は、常にそう語っている。
 もし同じような状況になれば、そのときだってダイビングキャッチを試みますから。そう言いたげな桑田の心情は常にプレーの中で見ることができる。
 2002年は、それが特に堪能できた年だった。

 2002年のシーズンで桑田が最も真骨頂を発揮した試合を挙げるとしたら1勝目と12勝目を挙げた2試合だろう。
 シーズン当初、桑田は、6番手の先発だった。
 6番手というのは、1週間のうち1試合でも雨で流れたり、最初から1週間5試合しか組まれていなかった場合、登板は飛ばされる。
 つまり「谷間の投手」なのである。
 2002年の桑田のスタートは、今となっては考えられないほど過酷だった。
 4月5日の最初の登板で6回3失点、自責点1と好投しながらも桑田には黒星がつく。去年の悪夢が頭をよぎったファンは多いだろう。僕もその一人だった。
 悪循環というものは、はまってしまうとなかなか抜け出せない。
 去年の桑田は、まさに悪循環の中で8月までを過ごさなければならなかった。体調が万全になっても2軍での調整を続けさせられた。
 このとき、桑田は、一度引退を考えている。盟友の清原にまで引退を語ったという。
 僕は、慌てた。多くのファンも慌てたに違いない。
 なぜなら、ファンは、今の日本球界で桑田ほどエースと呼ぶにふさわしい投手をまだ見つけることができなかったからである。僕は、桑田に引退だけは思いとどまってもらうように懇願のメールを送った。おそらくそういうメールを送ったファンは少なくないだろう。
 桑田は、プロ入りのときから常に反骨心をバネにしてどん底から這い上がってきてくれた。それが励みになったという人々は多い。
 こんなところでやめるような投手ではない。かつて桑田を絶賛した人々から「もう終わった投手」とか「今や中継ぎ投手が妥当」と言われながら、引き下がるように引退してしまう姿を僕は見たくなかった。
 今度は僕たちが桑田を励ます番だ。今まで桑田に励まされてきた僕たちは、そう確信した。
 桑田は、再び投げる力を取り戻してくれた。それは、2002年ではなく、2001年の9月のことだった。多くの人々は2002年が桑田の再起を果たした年だと思うかもしれないが、桑田が現在の投法にしていたのは既に2001年の夏からである。
 桑田が2軍戦で好投して1軍に戻ってきたとき、巨人はヤクルトに勝率で大きく離されていた。それでも、戻ってきた桑田は、気迫の4連投でヤクルトを最後の最後まで追い詰めた。
 極限まで追い詰められていた男は、「倒れるまで投げる」と首脳陣に宣言したという。
 僕は、ここに彼の強さを見た。高校時代から常に悪意あるマスコミや年配者の中に置かれても自分を見失わずに勝ち抜いてきた年輪がそこにあった。
 ヤクルトとの直接対決で3タテを食らわした巨人は、最後まであきらめない桑田の姿そのものとだぶっていた。もつれたペナント争いもあと一歩のところで巨人は優勝を逃すのだが、もう2勝していればプレーオフに持ち込めるところまで迫っていたのだ。
 その立役者は、まぎれもなく桑田だった。

 僕は、2002年に桑田がこれほどまでの活躍を見せてくれるとは失礼ながら予想していなかった。おそらくそれは僕だけじゃなく、大多数の人々にも言えるだろう。シーズン当初の状況はそれを如実に示してくれる。
 桑田は、4月5日の登板後、登録を抹消される。それは、谷間の投手の宿命だった。登板間隔が開けば、先発投手は不要だから10日間登録を抹消し、代わりにいつでも登板させられる中継ぎ投手を1軍に上げるのだ。
 桑田が2度目の登板を果たしたのは4月19日。
 1度目の登板をしてから14日がたっていた。
 投げ合ったのは、阪神の若きエース井川慶。快速球を武器に押して来る井川に対し、桑田は、緩急と絶妙のコントロールを駆使して真っ向から投げ合った。
 試合は、その年を代表する投手戦となる。0−0のまま両投手が9回を投げきり、10回表に1点を奪った巨人が1−0で勝った。
 桑田は、9回を投げて4安打無失点。シーズン初勝利を挙げた。
 そこからの桑田は圧巻だった。4月時点で巨人の先発は、上原・工藤・入来・ワズディン・高橋・桑田の6人。重用される順番もこれであった。
 しかし、高橋より調子が良かった桑田は、5月に5番手に上がると、不調に陥ったワズディンや故障した入来を尻目にワールドカップ中のローテ3本柱に格上げされる。
 そして、オールスター後にはローテの1番手として投げることになる。
 9月11日に中日を完封した桑田は、ついに防御率でトップに立つ。15年ぶりのタイトル奪回が現実味を帯びてきたのである。
 最優秀防御率争いは、熾烈を極めることになる。
 この年、ノーヒットノーランを達成して波に乗る川上憲伸が好投を続けて、防御率2.31だった桑田を抜いて2.27に躍り出てきたのだ。
 12勝目を挙げた10月4日の横浜戦は、桑田にとってタイトルをかけた登板となった。
 6回を投げて無失点。5回のピンチを気迫でしのいで防御率を2.22まで上げた。
 川上は、10月10日の阪神戦に先発し、5回3分の2を自責点3と崩れ、防御率を2.35まで下げて明暗を分けた。
 15年ぶりの最優秀防御率タイトル獲得である。一口に15年と言っちゃいけない。
 15年ものブランクを経て同じタイトルを獲得した選手はこれまでに1人もいない。 
 僕は、ここに価値と重みを感じている。
 桑田は、以前から200勝達成を公約として掲げている。
 30代半ばにさしかかろうとしている彼にとってまだまだ現役を終える時期は遠い。
 アメリカ大リーグではフィル・ニークロという投手が40歳のときに200勝を達成している。ナックルボールを自由自在に操った投手である。ニークロは、40歳を超えてからも活躍を続け、48歳で現役を退いたとき、通算勝利は318勝にまで達していた。
 桑田も、ニークロのように200勝どころか300勝だって狙える。僕は、本気でそう思っている。


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