日本の野球界は、1つになれるか 
〜U−26NPB選抜×大学日本代表の実現〜


犬山 翔太
 
 1.画期的なプロ・アマ交流戦

 2009年11月22日、U−26NPB選抜×大学日本代表のプロ・アマ交流戦が東京ドームで開催となった。
 野球のプロ・アマ交流戦は、私が子供の頃には想像もできなかった。プロとアマには圧倒的な実力差があると言われてはいたが、実際に高校野球のPL学園を見て、プロ野球選手を見ても、それほどの差は感じなかったので、実際に試合をやったらどうなるんだろう、という疑問はずっと持ち続けていた。

 それは、日本人選手が大リーグへ行ったらどうなるのだろう、という疑問と同等のものでもあった。こちらの方は、1995年に日本人ナンバー1投手であった野茂英雄が大リーグに挑戦し、1年目から新人王と最多奪三振に輝き、その後、イチローが大リーグに挑戦して1年目から首位打者とシーズンMVPに輝いたことで、日本のプロ野球が大リーグに匹敵する実力を保持していることが明らかになった。

 そうなれば、プロ1年目から1軍で即戦力として活躍する選手が数多くいる大学野球は、かなり高いレベルであることは既に明らかなのだが、実際に試合を見たいという願望は、なかなか実現しなかった。

 それがようやくにして実現したのは、2009年でプロ野球セパ誕生60周年という節目であること、、プロアマ間の対立が和らいできたこと、野球の国際化が進んで日本の野球を盛り上げていくにはプロアマ一体となった取り組みが重要になってきたことなどがある。
 今後は、プロアマ交流戦の活発化、そして、プロ・アマ間指導の正常化、さらには五輪の野球復活への取組強化など、目の前にある課題への期待も大きい。
 今回のプロ・アマ交流戦によって、プロ・アマ間の確執は取り除けるのだろうか。そこには、48年前に遡る1つの事件の呪縛からの解放ができるかということでもある。


 2.プロ・アマ断絶を生んだ柳川事件

 発端は、1960年、社会人野球協会がプロとの協定をさらに厳しくしようとしたところからである。それまでプロを退団した選手は、翌年には社会人野球でプレーすることができた。だが、社会人野球協会は、それを翌年秋の産業対抗大会終了後、つまりは1年後でなければプレーできないことを決める。さらに、1チーム3人までという人数制限も課した。
 それを受けたプロ側は、8月の都市対抗野球後にはプレーできるように働きかけたが、協議はまとまらず、怒ったプロ側が協定自体を破棄するという荒技に出た。

 そんな一触即発の対立状態の中、協定破棄で引き抜き自由化と解釈したプロ野球の各球団は、社会人野球選手の引き抜きを画策し、1961年4月20日、プロ野球の中日が社会人野球チーム日本生命の柳川福三と契約を結ぶのである。
 そうなると、社会人野球側は、態度をさらに硬化させ、プロ野球退団者を今後一切入団させない、というプロとの関係断絶を通告した。それに日本学生野球協会も追随したため、プロ退団者が社会人野球、大学野球、高校野球へ選手・コーチ・監督として入ることができなくなったのである。プロ・アマの狭間で思わぬ被害者となった柳川は、プロで大成することができず、実動5年間で打率.202、2本塁打、11打点、39安打という成績に終わって引退することとなる。

 その後のプロ・アマ関係は、ずっと平行線をたどり、1963年8月30日には巨人の牧野茂コーチが明治大学の学生にノックをしたため、明治大学の島岡吉郎監督が謹慎処分になるという事態も起こった。
 その断絶状態が緩和するのは、年月による風化と国際的な流れを待たねばらななかった。
 1999年にようやく、1チーム2名までプロ野球退団者の社会人野球入団が可能となり、2000年にはIOC(国際オリンピック委員会)の決定によりプロ選手のオリンピック参加が認められてプロ・アマ混成チームでシドニー五輪に出場することとなった。
 その後、徐々にプロ・アマ間の垣根は、取り払われて行き、2009年にはU−26NPB選抜と大学選抜が試合をするところまで改善したのである。


 3.白熱したプロ・アマ交流戦を持続的に

 様々な事情が重なり合って、実現したプロアマ交流戦は、予想以上に緊迫した試合となった。
 オーバーエージ枠として27歳以上の新井貴浩、田中浩康、亀井義行、佐藤友亮の4選手が選ばれていたが、佐藤は、故障のため出場辞退をして、結局3選手がオーバーエージ枠で出場することとなった。
 故障した1選手の補充をオーバーエージ枠で行わなかったことが、プロ野球チームとしてはアマチュアを少し見下した形となったが、それが結果にも如実に表れる。

 U−26NPB選抜は、1回裏に早稲田大学のエース斎藤佑樹から新井がライト前にタイムリー安打を放ち、幸先よく1点を先制するが、その後は追加点を奪えず、重苦しい展開となる。
 そして、ついに6回表、大学選抜は、ソフトバンクのローテーション投手大隣からレフト線に落ちるタイムリー安打で、1−1の同点に追いつくのである。
 一方、U−26NPB選抜は、2回から大学選抜が次々に繰り出してくる投手陣を打ちあぐね、凡打の山を築いていく。亀井、松本らプロでレギュラーとして活躍する選手たちがノーヒットに終わり、9回までに11三振を喫した。結局、試合は1−1で9回規定による引き分けとなったのである。

 私が見た限り、打者も投手も守備もプロとアマにほとんど差はなかった。むしろ投手は、大学選抜の方が上回っていたのではないかとさえ思えるほどである。ハンカチ王子の愛称で甲子園を沸かせた斎藤佑樹の知名度が目立ってはいるが、澤村拓一、東浜巨、大石達也、菅野智之らは、プロでも即戦力で活躍できる逸材である。
 今後、NPB選抜と大学代表が試合を繰り返すことになれば、数試合に1試合は、大学が勝つこともできるはずである。プロは、3人を除いてU−26ということで、戦力的には、プロ野球の最下位チームよりも劣る構成となってしまったが、プロ野球チームとしての実力を見せつけられる強打者、小笠原やラミレス、阿部、村田、中村剛、中島、松中、稲葉といった選手が出場するようになれば、プロ側の実力を存分に見せつけ、総合力で大学野球を圧倒できるにちがいない。
 
 今後、プロは、大学野球だけではなく、社会人野球代表チームや高校野球代表チームとの試合を期待したい。プロは、そうした試合を行うことで、プロに通用する選手を見極める効果も得られるし、アマチュアは、野球のレベル向上に大きく役立つ。
 さらには、そうした代表チームが海外の野球チームと対戦をしていけば、野球の国際的な普及に一役を担うことができる。
 野球は、今、多様化する価値観の中で、国内では国民的スポーツとしての地位に揺らぎが見え、世界の中でも、国際スポーツとしての評価を得られるかどうかの分岐点にいる。私としては、スポーツの中で1、2を争うほど卓越した魅力を持つと断言できる野球の発展のため、プロ・アマが一体となって野球の魅力を国内、国外に広めていってほしいと願う。





(2009年11月作成)

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