2010年1月28日、中日ドラゴンズ私設応援団8団体が社団法人日本野球機構と12球団を相手に応援不許可の撤回、チケット販売拒否の撤回、計約1400万円の損害賠償を求めていた訴訟の判決が名古屋地裁で出た。
 結果は、応援不許可が敗訴、チケット販売拒否が勝訴、そして損害賠償は限りなく敗訴に近い計約24万円の支払いとなった。

 チケット販売拒否が違法と判断されたことで、一定の成果はあったとみることもできるが、肝心の応援不許可問題が敗訴という結果になり、原告の鳴り物応援が認められない事態の打開はならなかった。また、原告は、団体として一括りでとらえられており、相変わらず連帯責任として処罰される状況に変わりがない。
 また、応援方法は、主催者側に全権限がある、という裁判所の見解は、応援者の自由を著しく制限する可能性がある。

 2010年2月10日には、私設応援団側が応援不許可を不服として名古屋高裁に控訴した。逆に、NPB側も敗訴したチケット販売拒否を不服として控訴する方針を持っており、今後の裁判の行方に注目したい。


                       2010/02/11 犬山 翔太


応援団に対する連帯責任処分は不要だ
 〜中日の私設応援団に対する応援禁止処分〜


犬山 翔太
 
 1.静かな球場への違和感

「今年は、中日の攻撃の時も静かだと思ったら、応援団の鳴り物がなかったからなんだね」
 インターネットのニュースを見ながら会社の同僚がぽつりとつぶやいた。
 2008年6月19日、名古屋白龍會と全国竜心連合がプロ野球機構、日本プロフェッショナル野球組織、12球団を相手に販売拒否や特別応援不許可の即時撤回を求める訴訟を起こした、というニュースである。

 私も、2008年のシーズンが始まってから既に2度、ナゴヤドームに足を運んでいるが、例年と違っていま一つ盛り上がらない中日の攻撃に違和感を覚えずにはいられなかった。
 リーグ優勝した2006年、日本一となった2007年は、ナゴヤドームで観戦していると、中日の攻撃に圧倒的な強さを感じたものである。しかし、2008年の前半戦でその圧倒的な強さを感じなかったのは、故障者の続出とともに、応援団不在が大きな要因である気がしてならない。

 応援団不在の発端は、2008年3月27日、12球団と警察庁などで構成する暴力団等排除対策協議会が中日の私設応援団「名古屋白龍會」と「全国竜心連合」に対して鳴り物応援禁止を発表したところからである。そして、「名古屋白龍會」には球場への出入り禁止という極めて厳しい処分が下った。
 この処分により、12団体中8団体が活動できなくなった全国中日ドラゴンズ私設応援団連合は、抗議のため、応援活動自粛を決める。中日は、開幕戦からずっと、前代未聞とも言える鳴り物応援不在の攻撃を余儀なくされたのである。

 突然の処分とともに、その処分の理由さえ公表されていないというあまりにも不可解な状況と、プロ野球界全体を巻き込んだ訴訟に発展するという不穏さは、プロ野球ファンにとって釈然としない気持ちが拭い去れない。
 私設応援団も、プロ野球界も、プロ野球を心から愛する人々の集まりであり、本来、訴訟に発展すべき前に何らかの解決がなされてしかるべき問題である。訴訟が長期化する前に、何らかの解決策が見い出せて当然なはずではないか。


 2.連帯責任を負わされた応援団の苦悩

 プロ野球での鳴り物応援は、1952年にヤクルトファンがフライパンを叩いて応援したのが起源と言われているが、本格的にトランペットを中心とした鳴り物応援が始まったのは、1975年に広島ファンが始めてからである。
 私が物心ついたときには、既に鳴り物応援は全球団の応援団が行っていて、あって当たり前のものだと思っていたが、実際は私が生まれる前には存在せず、大リーグには現在もない日本起源の文化だったわけである。

 1987年に落合博満が中日に移籍して以降、熱狂的に応援するようになった私にとって、トランペットによって演奏される落合の応援歌は、心地よく、打席に立った落合に呼応するかのようにそのメロディーが流れると、いかにも本塁打を打ってくれそうな気がしたものだ。
 それは、現在も同様で、タイロン・ウッズが打席に立った時に流れる美しくもリズミカルなメロディーは、本塁打の予感を運んできてくれる。

 私は、2008年に入ってから5月、6月とナゴヤドームへ応援に出かけているが、攻撃の時の応援における迫力は、鳴り物応援があったときに比べると、明らかに物足りなさを感じずにはいられなかった。
 肝心の応援団のメンバーはと言えば、試合開始前に、地下鉄からナゴヤドームへ続く通路脇で、応援団のメンバーたちがドームへ詰めかけた観客に処分解除を求める署名活動を行っていた。確かに彼らにとっては、降って湧いた災難と呼ぶにふさわしい。
 何せ、処分の理由が公表されてない以上、如何ともしようがないのだ。応援団の中に過去、暴力団に在籍した者が含まれていた疑いがある、という情報が出回っているが、確かな事実と断定も公表もされているわけでもない。
 日本社会では、犯罪について疑わしきは罰せず、という考えが定着しつつあるが、プロ野球界の暴力団等排除対策協議会は、疑わしきを罰してしまったようである。しかも、暴力団に関係した者といった個人だけでなく、応援団組織を丸ごと罰するという処分を下したのである。

 このやり方は、高校野球で頻繁に見られる悪しき手法である。高校野球では、一部の部員や監督、またはコーチが起こした場合であっても、その高校全体で責任をとらされて大会出場停止処分や対外試合禁止処分といった処分が科せられる。重ければ、1年間という高校3年間のうちのかなりの部分を奪われる処分が待っている。教育の一環として、連帯責任という考え方が根強く残っているためである。
 最近は、高校野球のそうした処分に対する批判が噴出することもあって、改善の傾向にあるが、今度はあろうことかプロ野球で連帯責任をとらされる処分が下されたのである。

 とはいえ、プロ野球界も、処分の方針は、一貫しているわけではない。2008年に巨人のゴンザレス選手やヤクルトのリオス投手が薬物使用によりドーピング検査に引っかかったが、彼らに対する処分は、あくまで個人に対してであり、チームに対してではない。応援団に対する処分と照らし合わせて連帯責任を負わせるのであれば、巨人やヤクルトの球団自体がセリーグの試合への出場停止という処分が下らなければおかしいのだが、そういった処分は下されていないのである。

 応援団の苦悩は、ドーム前通路での署名活動、私設応援団連合による抗議の応援自粛、そして、ついには訴訟と様々な方面から処分の不当を訴えているところから読み取れる。署名活動や応援自粛、訴訟といった一連の行為は、応援団のメンバーたちが自らの潔白と正当性に確信を持っていなければ、継続的にやっていけるものではない。
 彼らは、活動が正常な状態に戻るために様々なアプローチを試みているが、プロ野球機構や日本プロフェッショナル野球組織からは納得できる明確な説明が行われていない。解決策への最初の一歩が遠いのである。


 3.日本独自の文化を尊重し、集団への連帯責任処分はやめるべき

 前述したように、大リーグには応援団というものが存在しない。大リーグは、あくまで優れた個人プレーの集まりが野球であり、観客もまた個人で参加し、ネットのない客席でプレーヤーと同じ感覚で野球に参加する考え方が伝統なのである。
 しかし、日本のプロ野球は、あくまでチームという集団を勝たせるためのプレーの集まりが野球であり、観客もまた、独自の日本文化として応援団を発生させ、応援の専門家としてのチームを形成させる伝統を作り上げたのである。
 
 過去の歴史上、日本のプロ野球界は、何らかの問題が発生したとき、いつも大リーグを模倣することで、制度や細かい規則を発展させてきたのだが、問題が日本独自の応援団に及んだ場合、その手本がない。
 日本社会は、手本がなければ、解決策を自ら模索するのが不得手であるため、応援団に対する処分から3か月を経ても、有効な手立てを見つけられず、明確な説明や対話さえできずにいるのである。
 ロンドン五輪では野球が正式競技から外されるため、日本は、野球の国際化に躍起になっているが、その国際化の名目でアメリカに存在しない日本起源の応援団が災難に遭う危険は常に孕む。
 私は、アメリカ化を国際化だとは考えていないので、日本のプロ野球界が日本独自のルールを軽視し、応援団まで軽視しようとする傾向があることに大きな抵抗を覚える。

 プロ野球では、2006年に試合観戦契約約款の中に特別応援許可規程が設けられたことによって、暴力団等の排除に乗り出している。確かに暴力団の介入によって一般のファンに迷惑が及ぶというのを阻止するのは、必要ではある。
 しかし、その名目によって、本来であれば実際に介入した一部の関係者が処分されれば済むところを、団体ごとひと括りにして処分するという、悪しき伝統的な処分が顔を出しつつある。
 かつては、コミッショナーが応援倫理三則を発表して応援団の衰退を試みたり、プロ野球の各球団申し合わせにより「球音を楽しむ日」を設けて鳴り物応援をやめさせたり、という試みもあった。プロ野球の経営側は、何かにつけて日本独自に発展してきた応援団を排除してアメリカ化を図ろうとする傾向にある。
 だが、真の国際化とは、日本が長年かけて独自に作り上げた文化を世界に知らしめ、広めて行くことである。私は、五輪やWBCにおいても鳴り物応援を提案し、日本は組織化された応援をむしろ積極的に行うべきだと考えている。

 つまり、日本のプロ野球界は、集団ごと処分してしまう連座制とも言える連帯責任の処分をとりやめることが必要である。規則に対して違反があった場合、あくまで処分するのは、確固とした事実に基づいて個人のみでいい。
 新しく設けた規則の名目で、応援団を過剰に処分することは、日本が作り上げた独自の文化を壊し、いつまでたってもアメリカ追随の文化から抜け出せない原因なのである。






(2008年6月作成)

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