変わり続けるドラフトの終着駅は?

山犬
 
 1.ドラフト制度がまた変わる

 僕は、現在のドラフト制度が好きじゃない。個人の好き嫌いでどうこうなるものではないのだが、1巡目と2巡目だけが特別で、3巡目からはウェーバー順で決まっていく方式にどうも中途半端さをぬぐえないからだ。

 野球ファンにとって最も面白かったのが1978年から1992年まで続いた入札指名制度だろう。空白の1日に始まり、入団拒否や8球団競合を生んだ伝説多き制度である。しかし、それは、裏を返せば、選手の意思を全く無視した企業間のゲームみたいなものでもあった。
 どうしても巨人に入りたい選手であっても、抽選で阪神が当たりくじを引けば、阪神に入るか浪人するかという選択しかない。
 その欠点を補うためにできたのが、1球団につき2人までを選手からの逆指名によって獲得できるという制度である。だが、大学生以上に限るという規制が不平等さを浮き彫りにする。これまで有望新人を多く取り逃がしてきた巨人主導で決まった制度だけに問題山積は否めないのだ。

 そんなドラフト制度が分離ドラフトを経て完全ウエーバー制へ移行する方向で話が進んでいるらしい。
 9月19日のオーナー会議で今後2年間の限定措置として分離ドラフトと自由獲得枠の1枠減、国内FA権獲得の1年間短縮が決まった。国内FA権獲得は9年から8年となる。
 このドラフト制度改革は、昨年の新規参入という改革と同等に話題になってもいいのではないかとさえ思う。だが、現実は、あまり報道には取り上げられていない。
 ドラフト制度は、新規参入のようにすぐに目に見えて変化があるものじゃない。制度を変えることによって数年後、あるいは十年以上後になってようやくチームに影響が出てくる。そういうものである。一つ一つの積み重ねがジャブのように後々になって効いてくるから潜伏期間が長いのだ。

 だが、分離ドラフト制や完全ウエーバー制と言ったところで、一般の野球ファンにはあまりぴんと来ないのではないか。
 どちらも聞き慣れない言葉である。
 分離ドラフト制や完全ウエーバー制にしてどこがどう改善なのか。唐突にそう聞かれると、僕は、いまいち納得の行く答えを見つけられないのだ。

 一体、ドラフト制度は、どこへ向かおうとしているのか。完全ウエーバー制というのが果たしてドラフト制度の行き着くべき最終形なのだろうか。それとも、完全ウエーバー制でさえ、まだまだ過渡期の不完全な制度なのだろうか。


 2.遥かなる普遍の制度

 ドラフト制度は、語るまでもなく各球団の戦力均衡を図るために考え出されたものだ。1950年代後半から1960年代前半にかけて契約金は高騰の一途をたどった。
 プロ野球草創期から球団は、自由に選手と交渉して契約でき、選手も入りたい球団と交渉して入団するかどうか選択できた。
 だが、そんな獲得の自由競争は、契約金の高騰を食い止められず、資金力の豊富な球団が有望選手を獲得できるという弊害を生んでしまう。
 1954年に二百万円台で騒がれていた契約金は、1958年に立教大学の大スター長嶋茂雄が1800万円という破格の契約金で巨人と契約したことにより、一気に巨額契約金時代へ入る。長嶋が入る前年にはまだ契約金は最高でも800万円程度だったと言われており、長嶋の突出したスターぶりがうかがえる。
 高騰に歯止めがかからない契約金は、ドラフト制度発足直前の1965年に山崎裕之が5000万円で東京オリオンズと契約をして、ついに5000万円の大台を超えた。
 
 かさむ球団経営の赤字に危機を覚えた西鉄の西亦次郎球団代表は、アメリカ・プロフットボール界がウエーバー制のドラフトを1935年から続けていることを知り、日本のプロ野球に導入できないかと考えた。
 西亦次郎は、アメリカ・プロフットボールのドラフト制度を参考にして原案を作る。しかし、それまで有望新人を自由に獲得してきた巨人と阪神が最後まで抵抗した。巨人や阪神が強豪の名を欲しいままにしていたのは、競争の賜物だったからだ。それでも、1964年末に大リーグがドラフト制度の採用を決めたのをきっかけに、すべての球団の意見がまとまり、日本もドラフト制度が始まった。このとき、契約金の上限は、一千万円という申し合わせがなされた。ドラフト制度施行に伴い、十年間同一球団に所属すれば、移籍の自由を獲得できる特別資格選手制度は消滅した。

 ここで重要なのは、アメリカ・プロフットボールや大リーグが採用した完全ウエーバー方式を日本のプロ野球に採用しなかったことだろう。
 日本のプロ野球は、ドラフト1位の選択にだけ競合したら抽選という独自の方式をつけた。1967年からはドラフト1位の抽選をやめて、あらかじめ指名選択順を抽選で決めて競合の抽選をなくすという予備抽選方式をとる。抽選で1番目のくじを引けば、その年最も有望な新人選手を真っ先に獲得できるこの方式は、完全ウエーバー制に最も近い制度でもあった。
 だが、1978年からは1位から下位まで競合した場合はすべて抽選という入札方式に変わる。
 いずれの制度にしても、ドラフト制度以前に自由に選手を獲得して強力なチームを作ってきた巨人や阪神にとっては不都合な制度であることは間違いなかった。
 そのため、現在の自由獲得枠が出来上がったわけだが、これによりまた資金力の豊富な球団が有望選手を毎年獲得できてしまうという弊害が顔を出す。

 ドラフト制度発足から現在までのドラフト制度改革は、資金力豊富な球団と資金難の球団の間でのせめぎ合いに終始してきたと言っても過言ではない。
 現在、完全ウエーバー制を目指してはいるものの、「競合したときには抽選を」という意見も根強く残っているらしい。この意見が採用されるならドラフト制度は、1965年当時の発足時に戻ってしまう。半世紀近くかけて迷走した結果、問題含みだった最初の方式にしようなんてことがあれば笑い話にしかならない。
 かといって、アメリカで長年採用されている完全ウエーバー方式を今更採用するのが最善なのだろうか。また江川卓や新垣渚のように新たな悲劇を生むことが分かっている制度、つまり選手の球団選択の意思を無視した制度を導入するのだろうか。
 いずれにせよ、一旦制定すれば、50年くらいは触らずに使えるような制度はまだ遥か遠くにあるのは間違いない。


 3.分離ドラフトから完全ウエーバー制?

 分離ドラフトという言葉自体、僕は、今年になって初めて聞いた。大学生以上と高校生以下を別々にドラフトで指名しようという制度らしい。
 完全ウエーバー制への移行までの数年、大学生以上にだけはまだ自由獲得枠を1つ残しておくための制度だ。
 分離ドラフトを経て大リーグのような完全ウエーバー制になった場合、成績が下位のチームから順に指名でき、抽選もなくなる。
 最下位のチームがその年一番の目玉となった有望新人を獲得することができるのだ。だが、そうなると、今度は有望選手が自らの意思とは関係なく、嫌いな球団であっても入らざるを得なくなってしまう。その対策として、FA宣言できる期間を現行の9年から最終的に6年程度に短縮するというのである。
 そうすれば、契約金の高騰も抑えられるし、戦力の均衡も図れるし、選手は、希望してない球団に入っても6年間我慢すれば好きな球団に移籍できる。つまり、今までドラフト制度が抱えていたすべての問題を一気に解決できるではないか。現在のプロ野球界は、そういう制度を目指していることになる。

 だが、それで本当に解決するのだろうか。大リーグでは1チームへの愛着という概念が日本に比べて希薄だし、アマチュアとプロの実力格差が大きいから希望球団に入るというよりもまずプロ契約してマイナーリーガーからメジャーリーガーに上がることこそ最重要課題となる。
 日本のように大学や社会人でそれなりの実績を残せば、プロの即戦力としてやっていける、ということが少ないのである。
 そうであるならば、希望してない球団から指名されたら6年間我慢するよりはもう1年間だけ我慢すれば、という考え方になってしまうのではないか。江川卓の空白の1日や小池秀郎の入団拒否、三輪田勝利さんの死といったような悲劇的なニュースが延々と作り出されることになるのではないか。
 確かに12球団どこでもOKという野茂英雄のような選手もいれば、巨人以外は駄目という江川卓のような選手もいる。

 日本人は、個人の選手を応援するよりも、集団であるチームを応援する傾向が強い。
「へえ、プロ野球が好きなんだ。どこのファン?」
 世間話の中でそう聞かれたとき、「どこ」が意味しているのは例外なく「球団名」である。
「僕は、桑田のファンです」
などと答えれば
「おお、巨人ファンか」
と言い直されてしまうのがオチである。最初から「誰のファン?」と聞いてくれる人はいないのだ。桑田は好きでも、巨人はあまり好きではないという場合でも、世間では桑田が好きなら巨人ファンとなってしまうのである。
 そこはやはり最初から好きな球団名を聞かれているのだと理解して
「僕は、オリックスファンです」
と答えなければならない。
 日本では、個人は集団の中に埋没するメンバーの1人にすぎない考え方が根強い。
 長嶋茂雄ファン=巨人ファンであり、掛布雅之ファン=阪神ファンであり、山本浩二ファン=広島ファンなのである。その一方で球団を転々とした江夏豊や落合博満は異端児だったことになる。

 日本のプロ野球人気の低迷の原因としては、スター選手の大リーグ流出がよく取り上げられる。確かに野茂英雄、佐々木主浩、イチロー、松井秀喜といった超一流スターの流出はその度に日本プロ野球の看板が揺らいだ。彼らの穴を埋める逸材など、そう簡単に見つかるものではない。
 それとともに巨人への戦力一極集中もプロ野球人気低迷の原因と言われてきたが、実際、スター選手の巨人集中によって人気も戦力も落ちているのはむしろ巨人という現象が起きつつある。
 それは、寄せ集めの選手ではチームとして機能しないばかりか、各チームの主力選手を奪って生え抜きのいぶし銀選手たちが追いやられたことで、ファンが持っていたチームへの愛着が薄れてしまったからではないか。
 そして、巨人以外のチームのファンは、応援していた主力選手が巨人へ行ってしまうことで、去年まで応援してきた選手が敵となって巨人にいる、という脱力感からプロ野球を応援する気力さえ奪ってしまったのではないか。
 
 応援するチームから好きな選手が大リーグへ移籍する。応援するチームから好きな選手が巨人へ移籍する。その残酷な事実は、昔から特定の球団を応援してきたファンの、チームに対する愛着をずたずたに切り裂いてしまった。
 日本は、アメリカのように合理主義の国ではない。義理と人情の国である。
 最も高いレベルで、あるいは最も人気のある球団で、もしくは最も高い年俸のもらえる球団でプレーをしたい。そんな合理的な考え方は古くからのファンには受け入れがたいものだ。彼らにとっては、選手は、1球団で生え抜きでなくてはならないのだ。

 完全ウエーバー制は、各球団の戦力均衡を図る合理的な考え方で成り立っている。そして、一流になれた選手は、個人の合理的な考え方でFA宣言ができるようになる。アメリカのお国柄にはよく合った制度なのかもしれないが、僕は、日本には合わないような気がしてならないのである。


 4.日本ではどんなドラフト制度が最善なのか

 今回決まった分離ドラフトが暫定的な妥協の産物であり、完全ウエーバー制も悲劇を生むシステムであるとしたら、果たしてドラフト制度はどうすれば最善になるのだろうか。

 ここのところ、戦力の均衡化を図ることが最重要課題のようになっているが、果たしてそれは必要なのだろうか。現在のセリーグは、どのチームが抜け出して優勝してもおかしくないくらい、かなり戦力が均衡した状態だと僕は感じる。だが、人気は下降している。
 逆に戦力が均衡しているとは言えなかったON全盛期の巨人V9時代や1980年代後半からの西武黄金時代にプロ野球人気は下降しただろうか。戦力の均衡が人気の上昇を生むというのは、本当は幻想なのではないか。

 それよりは、ドラフトは高校生も含めてすべて自由競争にし、選手が好きな球団に入って長く在籍できる方が良いのではないか。義理人情の国日本では、球団と選手の結びつきが強い方がファンの心をつかめるのだ。FA制度だって現状の9年をむやみに短縮するのは得策とは思えない。大リーグブームは遠くない未来に終わりが来るだろうし、大リーグへ行きたければ日本の球団に入らず直接大リーグへ挑戦できる時代も来るだろう。選手が新人として入団するときに球団を選択できれば、大抵はその球団に骨をうずめてくれるはずだ。
 そんな自由競争を実現するには、必ずやらなければならないのが契約金の廃止である。一般の会社では新入社員として入ったときは契約金などなく、退職したときに退職金をもらう。プロ野球で、まだ将来どれだけ戦力になるかさえ未知数の選手に1億円を超える契約金を払うこと自体が異常なのだ。実働年数は実績に応じた退団金に変えた方がいい。もちろん、契約金をなくしたら、アマチュア選手を引き抜くための栄養費といったような裏金は周囲が今まで以上に鋭く目を光らせる必要はあるだろう。裏金が発覚したときには選手個人にではなく、球団に幹部の解任や、球団へ多額の罰金を課すなど、厳しい罰則を処しなければならない。
 では、仮に好きな球団が特になく、12球団どこでもOKという有望選手が現れたらどうするか。その場合は、ドラフトで各球団に自由に指名させて競合したらそこで抽選をすれば良いのだ。希望球団なしの選手だけを集めた入札指名制度を設けておけばいいのである。

 結果的に特定の人気球団が即戦力の新人を根こそぎ持っていくということもあるだろう。だが、未完の大器である無名の新人を地道に育てていく球団が対極に存在することで、その対比を僕たちは楽しめるだろう。相撲の醍醐味は小兵が大兵を倒すことであったり、たたき上げ力士が憎らしいほど強いエリート力士を倒すことであったりする。同じように野球でも無名の新人が成長してチームの柱になり、憎らしいほど強いエリート球団を倒す面白さこそ野球の醍醐味でもあるのだ。

 今回のドラフト改革は、球団の代表者やオーナー、そして一流選手で構成される選手会によって議論されてきたことに問題が潜んでいる。つまり、ドラフト会議の主役となるべき高校生や大学生、社会人選手らの意向を全く無視した状態で話が進んでしまったからだ。今後のプロ野球を支えるのは、現在のアマチュア選手達である。彼らのモチベーションを下げるような方向に進んでいるように見える現在のドラフト改革で日本人選手が日本の球団に入らないうちにアメリカへ流出といった懸念も出てきた。
 均衡を目指せば、個性が失せて、どの球団も特長のない似たような球団になってしまう危険がある。日本のファンが見たいのは、各球団独自のチームカラーであり、生え抜きで活躍してくれる看板選手なのだ。そういった意味では基本は自由競争にしておき、希望球団のない選手だけ競合すれば抽選という方式が最もファンやアマチュア選手に喜ばしい結果を生むと僕は考えるのである。



(2005年7月作成)

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