あと1球から起こるドラマ
 〜試合のすべてを見たくなる理由〜


犬山 翔太
 
 1.最善の野球観戦

 最善の野球観戦とは、試合開始から試合終了までのすべてを見ることである。
 テレビでは試合の開始直後や試合終了直前が大抵は途切れてしまって、中途半端に見てしまうことになりかねない。ラジオでは、試合開始から終了まで聴くことはできるが視覚がない分、想像に頼る部分が大きい。
 ましてや、夜のスポーツニュースでは、得点シーンや最後に抑えたシーンばかりが集めてあるため、あくまで結果を楽しむにとどまる。

 最近では、インターネットでパリーグのホームゲームは、試合開始から試合終了まで生中継してくれるので、試合のすべてをそこで楽しむこともできる。他にもインターネットや衛星放送などの有料サービスで、試合のすべてを見ることは可能である。
 しかし、試合の空気、流れを感じるという意味では、やはり野球場で観戦するのが一番である。

 それにしても、なぜ野球場で試合のすべてを見たくなるのか。それは、応援するチームの得点、失点、そして、応援する選手の一投一打に対して、選手やファンとともに一喜一憂できるからである。これらは、多くの野球ファンも同じ回答のはずだ。
 しかし、私には、もう1つ強い理由が隠れているような気がしてならない。それが、試合のどこかで必ず訪れる緊迫感への渇望ではないか。


 2.あと1球から起こったドラマ

 山本昌の通算200勝達成試合という極めて緊迫した試合を見た私にとって、2009年6月6日の試合もまた、新たな側面から緊迫を感じずには見られない試合となった。
 6月6日の中日×ロッテ戦は、山本昌にとってシーズン2度目の登板だった。前年に通算200勝を挙げて多忙なオフを送った山本昌の2009年は、少しずつ調整が遅れて、生命線である制球に狂いが生じたまま開幕を迎えていた。シーズン開幕後、4月10日の広島戦に先発するも4回10失点で降板という信じ難い結果を残して2軍に落ちる。
 そして、2軍でもしばらく結果が伴わない日々が続いたが、開幕2ヶ月が過ぎてようやく本来の調子を取り戻し、6月6日の先発を任されたのである。

 序盤の山本昌は、直球が伸びていた。制球も良く、落ち着いて投げているように見えた。
 チームも、2回に2点を奪って2−0とリードのまま終盤の7回表を迎える。
 山本昌は、この回の先頭打者4番井口資仁をライトへのファールフライに打ち取り、1死とする。100球に近づきつつある球数から考えれば、あと2人抑えれば、お役御免で交代。8回は浅尾拓也、9回は岩瀬仁紀に任せて完封リレーという流れが見えてくる。投手分業制が定着した現在では、球数100球が交代の目安となる。つまり、100球に達する回が昔の9回なのだ。
 山本昌にとっては、あと2人で今季初勝利というゴールが目に入ってきたわけである。
 しかし、山本昌は、里崎智也にカウント2−2からライト前ヒットを浴びる。さらに続く竹原直隆には初球をセンター前ヒット。ベニーにもカウント1−1からレフト前に運ばれて1死満塁のピンチを招く。中日は、勝っている試合では余程のことがない限り、先発投手を回の途中でむやみに降ろしたりしない。先発投手は、勝敗の行方を託した投手。勝つ権利も、負ける権利も、先発の手に委ねて責任感を持たせている。
 山本昌が勝ちを手にするにはあと2人抑えることが必要である。山本昌は、続く堀幸一を何とか2塁ファールフライに打ち取って、あと1人抑えれば、切り抜けられるところまでたどり着く。

 ここでバッターは、ロッテの先発唐川侑己に代わって代打田中雅彦。スコアボードに打率の表示が出ない。この日がシーズン初打席のバッターである。
 スタンドにいる中日ファンの観客の中には、選手名鑑をめくって、どのような選手か調べる者もいる。2004年に捕手として入団したものの、ロッテには里崎智也、橋本将という名捕手が揃っていて、なかなか1軍での出場機会は得られない。そのため、田中は、2塁手、3塁手にも挑戦して出場機会を探り、捕手もできる内野手として、2007年から1軍の試合に出場できるようになった。とはいえ、1軍でこれまで放った安打は、18本にすぎない。
 既に1軍で通算204勝を挙げている山本昌なら打たれるはずがないように思えた。しかし、何となく得体のしれない緊張感が球場内に溢れるのを感じずにはいられなかった。中日ファンにとって、恐怖との戦いが最高潮に達したのである。また、ロッテファンにとっても、この回に点が入らなければ、8回からの投手を考えると敗色が濃厚となる恐怖との戦いである。

 山本昌は、田中をカウント2−1と追い込む。ここまでは想定通りだった。あと1球、満足のいく球が投げられれば、山本昌の仕事は、無事に終わるのだ。
 だが、山本昌は、あと1球のところでつまづいてしまう。決め球のスクリューボールが真ん中に入り、田中が放った打球は、しぶとく三遊間を抜いてレフト前へ転がった。2アウトだけに打った瞬間スタートを切っている2塁ランナーは難なくホームへ還り、2−2の同点となった。
 気落ちした山本昌は、続く打率1割台の早坂圭介にも初球で真ん中高めの直球を投げてしまい、左中間へ2塁打を浴びる。スコアは、あっと言う間に2−4。勝利投手どころか、敗戦投手の権利を持ったまま、降板することになったのである。


 3.1971年日本シリーズ第3戦のドラマ

 試合は、そのまま2−4で9回裏を迎える。ここで、マウンドに立ったのは、ロッテの守護神荻野忠寛である。荻野は、2008年からロッテのクローザーとなり、30セーブを挙げて、2009年もクローザーとしてここまで1勝7セーブの活躍を見せている。
 しかし、いかにクローザーとはいえ、9回をきっちり抑えるのはたやすいことではない。中日は、粘りを見せ、先頭打者の藤井淳志が安打を放つと1死後には平田良介が安打を放って1死1、2塁とする。続く井端弘和は、まさかの空振り三振で2死1、2塁。
 中日は、もはや後がなくなった。次の打者が倒れれば、敗戦が決まる。逆に荻野は、あと1人抑えれば、8セーブ目を手中にできる。
 だが、勝負の綾は、あと1人のところからもつれるのだ。荒木雅博がレフト前に運んで2死満塁とし、ここまで森野将彦に打席が回る。その日は、4打数無安打と当たっていない森野。しかし、満塁のチャンスには強い森野。どう転んでもおかしくはない。
 ここで、ロッテファンは、恐怖との戦いが最高潮に達する。そして、中日ファンもまた、森野が打ち取られれば敗戦という恐怖との戦いである。

「野球は、9回2死から」という言い古された言葉がある。追い込まれた打者が放つ一撃がしばしば劇的なドラマを引き起こすからだ。
 そんなドラマの中でも最も有名なのが1971年の巨人×阪急の日本シリーズ第3戦だろう。この試合前までの対戦成績は、巨人が第1戦に勝ち、阪急が第2戦に勝って1勝1敗の五分である。ゆえに、第3戦は極めて重要な意味を持っていた。
 その試合は、阪急の山田久志が8回まで2安打無失点というほぼ完璧な投球で2回に挙げた1点を守り、9回裏を迎える。山田は、1死から四球を出したものの、柳田俊郎を打ち取り、2死とする。あと1人で完封勝利
というところまでこぎつける。
 ここで打席に立ったのは、ここまで3打数無安打1三振の長嶋茂雄である。長嶋が本塁打を放てば、たちまち逆転サヨナラとなる。しかし、打ち取れば、長嶋を打ち取って完封という最も勢いのつく勝ち方となる。まさに紙一重で天と地の差が生まれる場面である。
 山田は、長嶋を泳がせて平凡なゴロを打たせるものの、その打球は、遊撃手の差し出したグラブのわずか先を抜けて行くセンター前ヒットとなった。

 続く打者は、王貞治である。王もまた、ここまで3打数無安打1三振と長嶋同様、山田に抑え込まれている。しかし、王は、世界に誇るホームランバッターである。一つ間違えば、同点はおろか、逆転サヨナラもありえるのだ。
 山田は、カウント1−1から内角へ食い込んでいく直球を投げる。山田は、先を読み、この球を勝負球とは考えていなかった。しかし、王は、その直球を見事にとらえ、ライトスタンドへ運んだのである。9回2死からの逆転サヨナラ3ラン本塁打で、3−1と勝利した巨人は、その勢いに乗って3連勝して日本一を決めたのである。


 4.再び起こったあと1球からのドラマ

 9回裏を投げる者にとって、必ず脳裏をよぎるサヨナラ負けの恐怖。森野に本塁打を打たれれば、逆転サヨナラ満塁ホームランという最悪の結末を迎えてしまう。荻野は、勝利でゲームセットを迎えるため、力を振り絞る。
 森野は、初球を果敢に狙っていくも空振りし、投手優位のカウントで進んで行く。荻野の渾身の投球に、森野は、あっという間にカウント2−1と追い込まれる。
 荻野も、必死にあと1球でゲームセットというところまでごぎつけたのだ。しかも、まだ2球ボールを投げる余裕もある。しかし、次の投球がボールになった瞬間、状況はまた大きく変わる。
 投手に四球の恐怖が生まれてくるからだ。ボールは、もう1球しか許されない。だが、カウント2−3にはしたくないから、もはやボールは許されないのだ。
 カウント2−2で荻野が投げたのは、内角真ん中寄りの直球だった。森野は、待ち構えていたかのように腕をたたんでライト前に運ぶ。当然、スタートを切っていた2塁ランナーが還り、4−4の同点となった。
 あと1球で終わらせるはずが、試合は、振り出しに戻ってしまったのである。

 試合は、その後、どちらのチームも得点を奪えず、延長12回引き分けに終わった。結果だけ見れば、消化不良の試合である。
 しかし、帰路を急ぐ中日ファンとロッテファンの足取りは、軽く見えた。それは、あと1球のところで、勝負が急展開した2度の場面の記憶が生みだした満足感だったはずである。そんな何物にも変えがたい満足感を多くの人々に味わってほしい。可能な限り、プロ野球のファンの方々には、球場に足を運んで、伝説に残るドラマを目撃してもらいたい。





(2009年6月作成)

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