野球に暗黙の了解は不要
〜大リーグに広まる悪習は模倣すべきではない〜


犬山 翔太
 
 1.交流戦で噴出した「暗黙の了解」

 2010年6月4日、甲子園での阪神×オリックス戦は、阪神の下柳剛が好投を見せて7回までオリックス打線を0点に抑える。
 好調な阪神打線は、7回に1点を追加して5−0とし、尚1死1、3塁のチャンスが続く。ここで一塁に代走として登場したのが新人の藤川俊介である。
 藤川は、打者鳥谷への2球目に2塁へスタートし、セーフとなる。このとき、5点差が開いていたため、オリックスバッテリーは、走者に全くの無警戒だった。
 そのため、オリックスの岡田彰布監督は、激怒して試合後にも批判のコメントを出した。

 しかし、藤川の走塁は、野球記録の適用によって盗塁と認められなかったが、その走塁自体が禁止されているわけではない。
 それなのに、岡田監督が激怒したのは、プロ野球界では、こういった大差の試合では盗塁を自重する、という「暗黙の了解」があるためである。

 その6日後の6月10日の楽天×中日戦で中日は6−0とリードした状況で新人の大島洋平がセーフティーバントを決める。大差がついていたため、楽天側はセーフティーバントをすることは暗黙の了解に反すると考えており、楽天のブラウン監督がベンチで激怒し、直後の打者に報復ともとれるような腰のあたりへの速球が投げられた。

 中日の落合博満監督は、その後、かつての日本野球には、そのような暗黙の了解はなかった、という旨のコメントを発表している。
 私も、1980年代から1990年代には、上記のような暗黙の了解を日本では聞いたことがなかった。1990年代後半から日本人選手の大リーグ移籍が激増し、日本で大リーグ中継が頻繁に放送されるようになってから、大リーグに存在する暗黙の了解を模倣するようになったのである。
 日米間の垣根が低くなったことは、日本野球の発展に大きな功績をもたらしているが、それとともに日本野球に弊害をもたらしているのではないか。つまり、日本は、大リーグの良い面を吸収してはいるが、悪い面も吸収してしまっている。そんな側面が垣間見えるのである。


 2.大リーグ流が起こす全力プレー放棄

 大リーグに存在する暗黙の了解は、大差とは概ね5点差がついた6回以降を言うようである。
 その場合、勝っている方は、盗塁をしてはいけないし、セーフティーバントをしてもいけない。カウント0−3から打ってもいけない。
 もし、これを破った場合は、次の打席で死球を受けるか、次の打者が死球を受けるか、という報復が行われる。

 5点差というと、大リーグでは大差とは思えず、充分逆転可能な点差に思えるのだが、実際は逆転が困難な点差という認識なのである。
 日本でも、打者の技術向上が進み、飛ぶボールで非力な打者でも本塁打が出る状況になっているため、5点差以上の逆転は意外と簡単に起こりうる。

 たとえば、6月2日のオリックス×中日戦ではオリックスが8回表までに0−7とリードされながら、オリックスはその裏、北川の満塁本塁打などで7−7の同点に追いつき、延長11回裏にT−岡田の3ラン本塁打で10−7と勝利を収めるのである。
 阪神も、4月13日の巨人戦で0−6とリードされながら5回から反撃して9−7で勝利を収めている。

 そのような経緯があるからこそ、中日は、6点差の8回にもセーフティーバントを敢行し、阪神は、5点差の7回に盗塁を敢行したわけである。
 オリックスの岡田監督が6月2日に8回から7点差を逆転していながら、6月4日に7回の5点差での盗塁に激怒するのは不可解ではあるが……。

 6月4日の阪神×オリックス戦でも藤川の盗塁後、阪神が1点を追加するも、その後、オリックスが2点を返して6−2で終わっている。藤川が盗塁後の6点目が無意味なものではなく、一方的な試合だったとも言えない。
 また、楽天×中日戦でも、その後楽天は、2点を返して6−2と詰め寄っており、こちらも一方的な試合ではなかったのである。

 日本に古来から「勝負は下駄を履くまで分からない」ということわざがあるように、たとえ大差でリードしていても、勝負が終わるまでは何が起きるか分からない。油断や隙を見せれば、瞬く間に差が詰まり、6月2日のオリックス×中日戦のような大逆転劇が起きるのである。

 それを事前に防ぐためには、相手がたとえ無警戒であろうとも、点をとれるときに取っておくというのは、勝負の鉄則である。
 点差をさらに広げるチャンスをむざむざと放棄し、逆転負けを許してしまっては何の意味もない。私には、そうしたチャンスを放棄する行為こそが敗退行為に当たるのではとさえ感じられる。
 ファンは、選手の全力プレーを望んでおり、大差を理由にした手を抜いたプレーは誰も望んでいないからである。


 3.暗黙の了解を廃して全力プレーを

 大リーグで暗黙の了解が広がったのは、毎年160試合以上をこなし、リーグ戦で同じ相手と頻繁に顔を合わせるためだろう。互いに慣れ合いの感情が生まれて、大差の試合後半に手を抜く悪習が広まる土壌ができやすい。さらに、大リーグは、長時間の移動が日常茶飯事であり、そうした疲労も考慮して、少しでも楽をしたいという気持ちが芽生えたとも想定ができる。

 逆にいえば、1試合にすべてを賭けなければいけないWBCや五輪では、そのような暗黙の了解は生まれにくく、逆に勝っていても1点でも多くという意識になるはずである。
 本来、勝負とはそうあるべきであり、いくら勝負の大勢が決したとはいえ、双方が手を抜いて試合をすべきではない。
 高校野球では、試合の終盤で大差が開くとコールドゲームが成立する。プロ野球も、暗黙の了解で手を抜いたプレーを見せるのであれば、むしろコールドゲーム制を取り入れた方がましである。

 高校野球では、いくら10点差、20点差がついたとはいえ、手を抜いて試合をするのは相手に失礼という考えがあるため、ときには20点差以上、30点差以上つく試合が存在する。
 少年野球や高校野球、大学野球など、アマチュア野球は、ひたむきに全力を尽くして試合を成し遂げる。また、それを多くの国民が望んでおり、そのプレーに魅了される。
 なのに、そうしたアマチュア野球の模範となるべきプロ野球が暗黙の了解を使い回し、手を抜いたプレーを見せるのは、プロとして絶対にやってはならない行為である。
 
 今回、暗黙の了解に反するプレーを行ったのは、藤川と大島といういずれもプロ1年目の選手だった。彼らは、学生時代から全力プレーが染み付いており、そこから生まれたひたむきなプレーであって、批判されるべきものではない。
 むしろ、藤川の走塁は、盗塁と認められてしかるべきだとも感じる。「世界の盗塁王」の異名をとった福本豊は、本塁打は大差の試合でも本塁打と認められるのに、盗塁が大差の試合で認められないことに遺憾を表明しているが、そうした部分がまだ野球の規則自体が未熟であることを証明する。

 新人選手にとって、1つ1つのプレーを全力でこなし、プロの世界で記録として残る成績を挙げることで、成長していくのである。特に新人選手は、大差の付いた試合で試しに起用することも多いため、暗黙の了解という悪習が新人選手の成長を阻害してしまう弊害を生んでしまっている。
 こうして見てみると、暗黙の了解は、決してプロ野球にとってプラスにはならない。プロ野球選手は、ファンのため、そして、プロを目指すアマチュア選手のためにも、常に全力でプレーすべきなのである。





(2010年7月作成)

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