衝突するスポーツの目的と精神  
〜秋田県本荘高校の始末書騒動〜


山犬
 
  1.勝利の為に規則内で行ったフェアプレーに反する行為

 2006年7月22日、第88回高校野球選手権大会秋田大会準決勝で物議を醸す呼ぶプレーが起きた。
 日本各地で記録的な豪雨を観測した梅雨の影響で、本荘高校×秋田高校の試合は、雨の中、大味な試合展開となる。
 1回表に1点を先制した本荘は、3回に2点、4回に4点、5回に2点を奪う。5回までに9−1と大きくリードを奪った。
 コールド勝ちも見えてきた試合展開ではある。だが、雨は、激しさを増していた。

 ここで一つの懸念が本荘に生まれる。降雨で試合を終えることになった場合、最低でも7回を終わらないと試合が成立しないという規則があるからだ。
 だが、7回表にも3点を追加した本荘は、このまま行けば得点差で7回コールドにできる予定だった。
 12−1となって尚、1死2塁のチャンスをつかんでいた本荘は、ここで思いもよらぬ作戦に出る。
 本荘の尾留川徹監督が打者に故意三振を指示したのである。
「選手に、空振りしてこいと指示した。マナー的にはどうかと思ったが、早く終わらせて試合を成立させたかった」(2006年07月22日22時21分 朝日新聞社)
 尾留川監督は、7回終了前に雨が激しくなって、降雨ノーゲームとなるのを恐れていた。
 秋田県高野連がその行為を注意すると、今度は、3塁に進んでいたランナーがホームスチールを狙って失敗。
 最後の2つのアウトがいずれも、フェアプレーの精神に反するとして、秋田県高野連が本荘高校に始末書を求める騒動になったのである。
 もちろん、本荘は、勝ち試合を早く決定づけたかったからやった行為であり、敗退行為や八百長といった部類には当てはまらない。
 高校野球だからこそ、ここまで問題になったとも言える。
 それに、故意に三振したり、故意に本盗失敗をしたりしても、果たして本当に故意であるかどうかを判別するのは難しい。審判個人の判断でどうとらえることもできてしまうから、規則としても定められていない。
 それでも、秋田県高野連がここまで問題視するからには、あまりにも露骨な行為だったのだろう。

 今回の本荘高校の行為は、規則に違反したから問題になったわけではない。むしろ規則によって勝利を消されないためにとった行為なのである。
 それが不幸にも高校野球が持っているフェアプレーという道徳教育に反するものだったから問題になったわけである。
 規則による不利益を避けるために、フェアプレーに反する行為をしてしまう。それは、本荘高校だけが悪いという問題ではないのではないか。



 2.目的と教育の衝突

 問題を整理するとこうなる。

 激しい雨が降り続いている。
 降雨で試合を終える場合、7回が終わらなければ、ノーゲームとなってしまう規則がある。
 大量リードしていて、もしノーゲームになれば大きな不利益を蒙る。
 7回が終了すれば、降雨に関わりなく、得点差でコールドゲームとして成立させることができる規則がある。

 そうなると、勝利を最優先で考えた場合、さらに打ちまくって得点差を広げるよりも、早く凡退して試合を成立させた方がいいという考え方になる。得点差を20点にしたところで、7回途中で降雨ノーゲームになれば、それまでの苦労が水泡に帰すこととなる。
 当然のことながら野球規則には、得点差が11点あっても、さらに全力で得点差を広げなければならない、といった規則はない。
「一・〇二 各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする。」(公認 野球規則 2002)
 つまり野球は、1点でも多く相手チームより得点すれば勝利できるスポーツであり、1点差でも30点差でも試合を終えてしまえば、その点差はほとんど意味をなさなくなる。

 だからこそ、プロ野球では得点差が開いたとき、毎試合出場している主力野手を引っ込めて控え野手を出したりする。また、先発投手は、走者に出て無駄に疲れるよりも、投球に専念するために故意に三振したりする。さらに、次の先発に備えて、6回以降であれば他の二線級投手にマウンドを譲ることもある。
 そのいずれもが、相手チームに対して全力でぶつかるという面から見れば、フェアプレーに反する行為である。だが、それらは、いずれも規則には一切反していない。
 そして、プロ野球で見られるそれらの行為は、実際のところ、高校野球においても少なからず行われているのである。

 秋田高校の佐藤幸彦監督は、試合後にこう述べている。
「最後まで一生懸命やろうとしていたのに、負けた以上の屈辱だ。悔しい」(2006年07月22日22時21分 朝日新聞社)
 確かに規則には反しない行為のため、やりきれない気持ちが残ってしまうのはよく理解できる。高校野球が理念として持っている全力で力をぶつけ合うフェアプレーの道徳精神を踏みにじられたことも確かなのである。
 つまり、勝利するというスポーツの目的と、スポーツにおける道徳教育が真っ向からぶつかっている。
 それならば、どのようにすれば、このような事態は防げるのか。


 3.降雨ノーゲームの規則は廃止すべき

 夏の高校野球は、言わずと知れたトーナメント制である。一度負ければ終わりで、敗者復活の余地もない。
 だから、何としても勝ちたい。全力を尽くして戦っていたのに、規則によってそれが報われないような不利益を被ることはどうしても避けたい。だから、納得しかねる理由で手にできるはずの勝利を手放さなければならない危険を感じると、フェアプレーに反する行為に走ってしまうのだ。

 それならば、そんな行為に走らせないようにする手だてを考えなければならない。
 今回の高野連のように、本荘高校に始末書を書かせて提出させれば、もう今後は全国のどこでも起こり得ないのか。
 そんな淡い期待を抱いても、無駄なのは目に見えている。始末書を提出させることで、全国にその行為を牽制しても、それが記憶にある間の一時的な効果しか生むことはない。本荘高校と同じ状況に置かれれば、監督の多くは、故意にアウトになって早く試合を成立させようという考えを持つだろう。それを実行に移すかどうかもまた紙一重なのである。
 もし、僕が監督であったとしたら、おそらく凡退の指示を出すだろう。本荘高校と対戦した秋田高校のエースは、県内屈指の好投手だったという。準決勝まで勝ち残ってくるチームなら、それなりの実力を兼ね備えている。降雨ノーゲームになったとして、再試合で確実に勝てる見込みなどないのだ。
 本荘高校のとった作戦は、そういう意味では正しかったとさえ言えるのだ。

 本荘高校は、7回を終了する以前に降雨ノーゲームとなってしまうことを極度に恐れていた。
 そこには、降雨ノーゲームという規則自体に問題を含んでいると考えることができないか。
 降雨ノーゲームになれば、12−1でリードしていても、翌日以降に行う再試合では0−0で1回表からやり直しなのである。
 そんな理不尽なことが許されては、せっかくの苦労が何も報われはしない。しかも、降雨ノーゲームを決めるのは審判だ。そうなると、たとえば審判が負けているチームを応援していて、まだ試合続行可能な雨なのに降雨ノーゲームを宣告してしまう可能性だってあるのだ。

 降雨ノーゲームとは、そう考えるとあまりにも不可解で理不尽な規則である。おそらくは、降雨だからと言ってノーゲームにする必要性はない。
 7回の途中で雨が激しくなって試合続行が不可能になったなら、翌日にそこから試合を再開すればいいだけの話ではないのか。
 たとえ1死2塁でカウント2−3であったとしても、野球は全く同じ状況を作って再開することが可能である。
 今回の問題には、本荘高校が悪いとする以前に、規則上に欠陥があることをまず高野連が認識すべきでもある。今回のような騒動を繰り返さないためには、不可解で理不尽な降雨ノーゲームを廃止することがまず先決と言えるからである。





(2006年8月作成)

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