プロ入り条件の緩和を
   〜斎藤佑樹投手の大学進学による遠回り〜


山犬
 
 1.大学進学とプロ入り

 2006年夏の甲子園を沸かせた斎藤佑樹投手と田中将大投手がそれぞれ別の道を選択した。周囲の期待に反して、と付け加えた方がいいだろうか。
 プロでもアマでもいいから同じ道へ進んで、いや、できるならば2人ともプロに進んで、高校時代のライバル関係を保ってもらいたい。
 マスコミや多くのファンは、そう望んでいたにちがいない。マスコミにとっては、彼らが直接対決した方が大きな記事にでき、視聴率や売上も伸びる。また、ファンにとっては切磋琢磨し合ったONやKKのような比較をしながら野球観戦を楽しめるからだ。
 
 しかし、以前からの予定通り、斎藤は、大学へ進学し、田中は、プロ野球へ進んだ。斎藤は、大学で技術や体力をさらに伸ばし、プロで活躍できるだけの実力をつけるため。一方、田中は、すぐにプロへ入り、自らの実力を試したいため。
 いずれも、野球を極めていこうとしていることに変わりはない。しかし、分かれた選択は、彼らの今後にどのような影響を及ぼすことになるか計り知れないものがある。

 かつて、江川卓は、高校卒業時、大学進学を希望して阪急の1位指名を蹴った。そして、法政大学を卒業後、プロ野球の巨人入団を希望したが、クラウンが1位したため、またしても入団を拒否して、浪人同然の状態でアメリカの大学へ野球留学した。
 そして、「空白の1日」という規則の隙間を使って巨人に入団したとき、江川は23歳になっていた。
 江川は、その後、巨人で9年間の現役生活を過ごし、通算135勝を挙げる。引退時、シーズン13勝を挙げ、まだ32歳だった江川は、無理をすれば、あと3年程度はローテーションで投げられただろうと言われている。
 しかし、それ以上に、もし江川卓が高校卒業後すぐにプロ入りしていれば、もっととてつもない通算記録が残ったのではないか、という夢があるのだ。たとえば、その5年間でシーズン平均13勝をしていれば、合計65勝になり、通算200勝を達成できていたことになる。

 4年間は、通算記録を語る上では重要である。江川の通算記録は、確かに防御率、勝率ともに超一流選手の成績である。しかし、勝利数や奪三振数など、積み重ねにより重みが出てくる通算記録には物足りなさが残る。高校卒業後、プロに入った名投手に比べ、見劣りしてしまうからである。

 私は、江川卓が大学時代に残した通算47勝が全く無意味なものだとは思っていない。その卓越した成績は、むしろ賞賛に値するものがある。しかし、18歳であったとしても、プロ野球のレベルを持つ選手であれば、私は、大学野球ではなく、プロ野球でのプレーを見たいのだ。プロの記録にそのプレーを刻み込むと同時に、記憶にもそのプレーを焼き付けたいのである。だから、未だに私は、江川がアマチュアで過ごした最後の5年間がプロ生活であったなら、どのような伝説を残してくれていたか夢想せずにいられない。

 そして、今回、プロ入り志望を出していれば、確実に数球団が1巡目指名をしたであろう斎藤佑樹が早稲田大学への進学を決めた。私は、斎藤ならプロ入りしても、1年目からかなりの活躍をし、悪くとも2年目には2桁勝利を挙げることができると予想していたので、大学進学が残念でならない。
 江川のように、今後の4年間がのちのち、私に架空の伝説を夢想させるようになりそうな気がするからである。


 2.投手のプロ入り年齢と通算成績

 高校野球で全国に人気を誇った投手がプロ入りせずに大学野球や社会人野球へ進んだ例は、新垣渚や内海哲也に代表されるように数多く存在する。それは、ドラフト制度で高校生の逆指名(自由獲得枠)が認められていないという理由と、プロでやる前にアマチュアで実力を伸ばしたいという理由におおよそ二分することができる。
 そうして大学野球や社会人野球に進むと、世間は、あまり注目しなくなる。常に注目を集め続けた江川ですら、高校時代ほどの注目を受けなかったはずだ。私は、江川以降、高校を卒業後、アマチュア野球に籍を置いて、卒業まで常に世間から注目を集め続けた選手を私は思い浮かべることができない。
 世間の目は、どうしてもプロを中心に見てしまうし、マスコミが流す映像も大抵はプロの試合でしかないからである。

 しかし、斎藤は、そういった常識を覆し、今後4年間、世間の注目を集め続ける可能性を秘めている。アマチュア球界にとっては、まさに江川以来の逸材になるかもしれないのだ。そうなると、アマチュア球界の活性化という面においては、極めて喜ばしいことでもある。
 とはいえ、いくら斎藤が大学野球で活躍しようとも、斎藤がプロ野球でプレーできるのは4年後となる。

 それは、野球協約(2006年末現在)により、高校卒業後、プロからドラフトによって指名を受けるには大学に4年間在学して翌年3月に卒業予定となっている必要があるからだ。社会人野球に所属している場合は、少し短く3年間という期間が必要である。
 つまり、高校卒業後、大学に進学すれば、プロ入りは22歳、社会人野球に進めばプロ入りは21歳まで待たざるをえない状況が作られてしまうことになる。せっかく入ってきた有能選手をわずか1年でプロに引き抜かれてはたまらない、という大学や社会人球団の気持ちは分からぬでもないが、それが逆にプロ野球の歴史を塗り替えるかもしれない伝説を阻害していると言い換えることもできまいか。

 そういった制約があるせいで、大学卒業後に150勝以上の通算勝利数を積み上げて行くのは至難の業となる。
 先発ローテーション制度が確立したのは、1980年前後からだと言われている。ローテーション制度を確固としたとも言える江川卓のプロ入り以降に入団した通算勝利数の多い投手を挙げてみると次のようになる。

  通算勝利数130勝以上が対象(2006年末現在) 
投手 現役期間 勝敗 1年目
開始年齢
出身
工藤公康 1982〜現役 215勝129敗3S 18歳 名古屋電気高校(高校)
野茂英雄 1989〜現役 201勝155敗1S 21歳 新日鉄堺(社会人)
山本昌 1984〜現役 191勝138敗5S 18歳 日大藤沢高校(高校)
斎藤雅樹 1984〜2001 180勝96敗11S 18歳 市立川口高校(高校)
星野伸之 1985〜2002 176勝140敗2S 18歳 旭川工業高校(高校)
桑田真澄 1986〜現役 173勝141敗14S 18歳 PL学園高校(高校)
槙原寛己 1983〜2001 159勝128敗56S 18歳 大府高校(高校)
西口文也 1995〜現役 142勝83敗6S 22歳 立正大学(大学)
川口和久 1981〜1998 139勝135敗4S 21歳 デュプロ(社会人)
佐々岡真司 1990〜現役 136勝146敗106S 22歳 NTT中国(社会人)
江川卓 1979〜1987 135勝72敗3S 23歳 法政大学+留学1年(大学)

 驚くべきことに、1980年代以降に大学からプロ入りした選手で通算150勝を超えた選手はまだいない。順調に行けば、西口文也が2007年にようやく150勝に到達する程度であり、社会人野球からプロ入りした投手でも、日米で数々のタイトルを手にして通算200勝を達成した野茂英雄のみである。
 こうして見ると、大学を経てプロ入りした投手が通算200勝を達成できるとしたら、それは、何十年に1度起きるかどうかという奇跡になる。

 つまり、斎藤のような、すぐにプロで活躍できるレベルの投手であるならば、プロ野球の各球団は、プロに入れるため、もっと強く最後までプロ入りを説得すべきだったのではないかということである。
 確かに、まだプロでどの程度できるか未知数の荒削りであったり、未完成な投手であれば、大学野球や社会人野球で実力を伸ばしてからでもいい。
 しかし、プロレベルの投手が最も球に力があるであろう20歳前後の時期をアマチュアで過ごすのは、私にはあまりにももったいない気がするのである。

 一方、打者では、江川と同年入団の落合博満が社会人野球からの入団で25歳だったにもかかわらず、通算2000本安打を達成したのをはじめ、その後、古田敦也、野村謙二郎が大卒で通算2000本安打を達成している。大卒であっても、打者の方が名球会入り条件を達成する可能性は高い。
 とはいえ、高卒の選手に比較すると圧倒的に2000本安打を達成する確率は低く、やはり名選手であれば、高校卒業後、すぐにプロに入ってほしいものである。


 3.制限の撤廃を

 現在のドラフトに関する規定は厳しい。基本的には、選手が大学へ進学してしまえば、プロは、4年間手を出すことはできないし、社会人野球へ進んでしまえばプロは3年間手を出すことができない。
 私は、こうした野球協約の規定がどうにかして撤廃できないものかと望んでいる。撤廃することを検討すれば、大学野球や社会人野球の関係者から総反発を受けることは承知の上である。
 選手は、財産である。たとえば、斎藤佑樹投手のような逸材が大学に入ってきたとなれば、その後4年間は、大学にとって華々しい効果を期待することができる。野球部の人気効果、宣伝効果、経済効果は絶大なものがあるだろう。

 もし、そんな選手がわずか1年でプロ野球のドラフト指名によって失うとなれば、大学は3年間分の大きな損失をすることになってしまう。企業であっても本来は3年間在籍してもらえるのが1年間になれば、2年間分の損失をしてしまう。
 だが、アマチュア野球界、プロ野球界の枠を超えた野球界という視野で見れば、どうなるだろうか。
 斎藤が大学進学を決めたとき、テレビではこんな発言をよく耳にした。
「あと4年間、待たなきゃいけない」
 つまり、国民が望んでいるのは、斎藤のアマチュアでの活躍ではなく、プロでの活躍なのである。斎藤が大学へ進んだことにより、斎藤がプロ野球で超一流打者と対戦するには、4年間我慢しなければならないのだ。斎藤×松中、斎藤×清原、斎藤×福留、斎藤×金本といった夢の対戦は、まだ見られない。4年の間に、今の一流打者たちは、大リーグへ行ってしまったり、引退してしまったりすることもある。斎藤自身が故障をして満足な投球ができなくなることもありえないことではない。そうなれば、我々は、夢の対戦を見る機会を永遠に失ってしまうことになるのだ。
 斎藤がプロ野球界へ4年間の遠回りをすることは、野球界にとって大きな損失でもあるのではないか。それは、アマチュア球界が被る損失より遥かに大きい、と私は考えている。

 確かに大学生の4年間、社会人の3年間という期間を撤廃してしまえば、アマチュア球界の損失もあるとともに、本人の学歴や職歴にも少なからず損失を与えてしまうことになる。
 だが、最高レベルのものがアマチュアの中だけで消費されていく損失を私は、あまりにも残念に感じる。
 だから私は、斎藤が来年にでもプロ野球に入ることができたらいいのに、という夢想に近い希望を持っているのである。




(2007年3月作成)

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