2016年2月のブログ

犬山 翔太
 
 @清原は、江夏豊のように復活を

2016年02月06日

 清原がついに逮捕された。ASKA逮捕のときにも感じたことだが、突出した才能を持ってしまうと、普通には生きられないのだろうか。
 突出した才能を食い物にしようと群がる人々の波に飲み込まれてしまう無念さだけが残る。
 清原には野球界を離れてほしくなかった。現役引退時、何とかオリックスが清原を指導者として残せなかったのだろうか。仰木監督が生きていれば、別の引退後があったような気がする。プロ野球界は、長年、清原という大スターの恩恵を受けておきながらあっさりと見限ってしまう冷たさがある。突出した才能を生かす場所を与えてあげてほしかった。

 清原のニュースを見ていると、どうしても江夏豊を思い出してしまう。突出した才能を持ちながら1993年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役2年4か月の実刑判決を受けた。江夏は、懲役中に規則正しい生活を送ったおかげで、その後は、立ち直っている。
 清原の場合も、生活を立て直すのが、復活への最大の近道になりそうだ。執行猶予がつくなら、誰かがともに生活する献身的なサポート体制をとってもらいたいものである。

 思えばPL学園時代、西武時代の清原は、突出したスターだった。PL学園では5季連続で甲子園に出場し、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回。甲子園で通算13本塁打という、おそらく永遠に破られることがないであろう成績を残した。

 私が清原を知ったのは、1983年の夏の甲子園だ。
 当時、やまびこ打線と水野雄仁投手を擁する池田高校が圧倒的な強さを誇っていて、この年も優勝確実と言われていた。そんな池田高校を1年生エースと1年生四番打者のPL学園が7−0と圧倒したのだった。
 もちろん、1年生エースは桑田、1年生四番打者は清原である。
 清原は、決勝の横浜商業戦で本塁打を放って、優勝に貢献した。

 3年夏の甲子園決勝、宇部商業戦の6回裏に2−3のスコアから左中間最深部のスタンドへ放った同点本塁打は、この日2本目の本塁打であるとともに、最も記憶に残る本塁打だった。何せ悠々とダイヤモンドを回る清原にアナウンサーが思わず叫んだ「甲子園は清原のためにあるのか!」という実況は、高校野球史上最高の名実況との呼び声が高い。

 それらは、既に多く語られた伝説だが、私が清原のファンになったのは、そういった栄光の中の伝説よりも、ちょっとしたプレーである。
 どの試合かは忘れてしまったが、ある試合で清原は、豪快なスイングでファールを打った。そこまではよくある話だが、清原のファールは、あまりにも特大で、内野席を超えて場外に消えて行った。実況アナウンサーもファールなのに、驚嘆の絶叫をしていた。
 プロ野球に入っても、球史に残る活躍をするんだろうなと思えた瞬間だった。

 プロ野球で強豪チームの西武に入った清原は、西武の黄金時代を作り上げていく。特に1990年の西武は、プロ野球史上でも最強と呼べるほど強かった。前年、近鉄に優勝をさらわれてリーグ5連覇を逃したせいで本気になった西武は、清原を中心に打線が活発化、さらに投手陣も好調で2位に12ゲーム差をつけて独走優勝、さらには日本シリーズで巨人に全試合4点差以上をつけて4連勝と、圧倒的な強さを見せつけた。
 この年の清原は、打率.307、37本塁打、デストラーデが42本塁打、秋山幸二も35本塁打放っており、3人で114本塁打を記録する。
 投手陣は、先発に渡辺久信、渡辺智男、工藤公康、石井丈裕、郭泰源、松沼博久と充実し、リリーフは、鹿取義隆と潮崎哲也が抜群の安定感を誇った。守備も走塁も抜け目がなく、全く隙がなかった。西武は、その年からリーグ5連覇を達成する。

 その後、巨人に移籍して桑田と共に2000年と2002年の優勝に貢献した姿は、高校時代のKKコンビが甦ったようで、15年の時を経て2人の成熟した技術を堪能することができた。
 団塊世代のヒーローがONなら、団塊ジュニア世代のヒーローは、まぎれもなくKKだった。

 右打者ながらあれだけ右中間の深いところに美しい本塁打を放てる打者は、落合博満や山本浩二、中村紀洋ら、ごく限られた大打者のみである。
 その技術は、高校時代、レフトスタンドへ本塁打ばかり打っていると先輩の妬みを買うため、ライトへヒットを打つ練習ばかりして習得したそうである。
 清原にはぜひプロ野球界で自らの卓越した技術を指導する立場にまで復活してもらいたい。踏み超えてはいけない一線を超えてしまったのは残念だが、このまま野球界から離れてしまうにはあまりにも惜しい才能である。


 A松井・清原超えの高校通算71本塁打高橋周平が開花するか

2016年02月14日

 高校時代の清原和博と松井秀喜は、打球の速さが尋常でなく、別格の打者だった記憶が残っており、プロ入り後の実績も別格なのだが、実は彼らが高校通算本塁打数の1位、2位ではない。
 もちろん、高校によって試合数が異なり、球場の広さも異なるから単純に比較はできないのだが、彼らの上に10人以上いることには驚いた。

 甲子園で13本塁打という不滅の記録を打ち立てた清原和博の高校通算本塁打数は64本、松井秀喜の高校通算本塁打数は60本である。

 中日には、彼らを上回る選手が2人もいる。
 1人は、通算本塁打数70本の平田良介である。そして、もう1人は、通算本塁打数71本の高橋周平である。

 平田は、レギュラーに定着し、5年連続2桁本塁打を記録している。なかなかシーズン20本塁打を超えないのがファンとしては物足りなさを感じるところだが、昨年のプレミア12での活躍を見ると、2016年はそろそろ20本塁打の壁を超えてくれそうである。

 ならば高橋周平はどうなのか。2012年に入団し、1年目から1軍で41試合に出場し、2本塁打を放ったものの、2014年の6本塁打が最高で伸び悩んでいる感が強い。
 しかし、ずっと使い続ければ結果が出せる可能性は秘めている。2014年も全試合レギュラーで出場していれば20本塁打近く放っていたと換算でき、ちょっとしたきっかけでスラッガーとして覚醒できる。
 2016年は、三塁のレギュラーであったルナが抜けたこともあって、レギュラーとして定着する最大のチャンスが訪れたと言える。
 おそらくは、森野将彦とのレギュラー争いになるだろう。

 平田が頭角を現したのは、プロ6年目である。森野将彦が頭角を現したのは、5本塁打を放ったプロ6年目である。森野の場合、そこからレギュラーを獲得する2006年まであと4年かかっている。
 遅咲きで知られる和田一浩も、頭角を現したのはプロ5年目である。中日で内野手最年長となる荒木雅博が頭角を現したのもプロ6年目である。

 中日は、地道に努力を積み重ねて花開いた選手が多く、バッティングの素質が並外れている高橋周平も、1つのきっかけで日本を代表する打者になる可能性を秘めている。和田一浩も、今後活躍しそうな選手の一番手として高橋を挙げている。

 高橋を大きく育てるためには、やはり1軍で数多くの打席に立たせることが重要である。ルナが抜けた今年と多くの名選手が開花した6年目になる来年が高橋の野球人生をかけた2年間になるはずだ。
 高校時代の通算本塁打数は、中日でナンバー1だけに、まずは今年のチーム本塁打数ナンバー1を目指してもらいたいものである。


 B甲子園優勝投手小笠原慎之介に2桁勝利を期待する

2016年02月21日

 清原和博が高卒ルーキーとして残した126試合で打率.304、31本塁打、78打点という記録は、いつ見ても怪物としか言いようがない。そんな選手が現れてくれることを願うものの、いまだ現れてはいない。

 高卒ルーキーが活躍できるとすれば、打者よりもむしろ投手である。最近では、高校生で150キロを超える直球と精度の高い変化球を投げる投手が多く、プロでも即戦力となる。

 中でも、甲子園で優勝した投手は、勝てる技術も持っていることから、さらに評価は高くなる。
 高校時代、甲子園で優勝した投手がプロに入って1年目にどれくらいの成績を残せるか。それは、2015年夏の甲子園で優勝投手となった小笠原慎之介が中日に入っただけに、気になるところである。

 過去を見てみると、甲子園優勝投手でプロ入り後すぐに活躍というのは意外と珍しく、ここ20年ほどでも藤浪晋太郎や田中将大、松坂大輔程度である。
 この3人は、高校時代からプロをも圧倒できる球威を持ち、変化球の切れや投球術、コントロールも持ち合わせた完成された投手だった。
 特に松坂大輔は、プロ1年目から16勝5敗の成績で最多勝を獲得する怪物ぶりを見せた。
 藤浪晋太郎も、プロ1年目からローテーション投手として10勝を挙げ、田中将大も、プロ1年目から11勝を挙げている。
 プロ入り後、徐々に頭角を現してきた近藤一樹や西村健太朗、大谷智久などもいるが、1年目から活躍はできていない。

 1年目から活躍した優勝投手となると20年間で3人という結果であり、小笠原がこの中に加わるとするならば、6年に1人程度の逸材ということになる。
 甲子園で優勝はしていなくとも、プロ1年目で5勝を挙げたダルビッシュ有や4勝を挙げた松井裕樹、二刀流で3勝を挙げた大谷翔平など、1年目から活躍する選手はいる。

 小笠原の場合、コントロールがよく、直球とチェンジアップの完成度も高いため、大崩れする投手ではない。そのうえ、物怖じしない性格なので、プロ向きと言っていい。
 確実に三振を奪える変化球を身に付ければ、日本を代表する投手になる素質を秘めている。

 1年目からプロで通用するかどうかは、実際にプロの打者と対戦した内容を見てみないと判断できないが、左投手で150キロ以上を投げられるのは、それだけで貴重である。
 大野とともに先発の柱となれば、いずれは、ソフトバンクで黄金時代を築いた和田・杉内や、全盛期の山本昌・今中に匹敵する左のダブルエースと呼ばれるだろう。

 高橋純平の場合は、ソフトバンクの選手層が厚いので1年目から先発ローテーションで回すというやり方は取られそうにないが、中日の場合は、大野と若松以外はローテーションが不確定なので、割って入る隙は大いにある。
 今は、まだオープン戦が始まったばかりなので、小笠原がルーキーながら先発ローテーションに入って2桁勝つことを期待しておきたい。

 Cナバーロに重い処分は不要だ

2016年02月27日

 2月20日のオープン戦で衝撃の光景を目の当たりにした。待ちに待ったプロ野球のオープン戦が開幕し、中日の新外国人選手ビシエドの打撃を見たくてテレビ観戦していたのだが、見せつけられたのは、ナバーロの規格外の打撃だった。
 若松からレフトスタンドの場外に消える豪快な本塁打を放ったのである。
 今年最も活躍する選手は彼じゃないかと感じた。

 その翌日、まさかの逮捕劇である。実弾2発を所持していたというのだ。
 とはいえ、ナバーロは、ドミニカ人なので祖国で銃の所持は違法ではない。むしろ、護身用に銃は必須と言われるほど治安の悪い国なのだ。

 もちろん、バッグの中にこぼれていた実弾2発を誤って日本に持ってきた過失は反省すべきだが、日本のプロ野球機構やロッテ球団が重い処分を課そうとするなら大きな違和感を抱いてしまう。
 異文化に対する知識不足に、大きな罪を被せる必要を感じないからである。

 実弾所持と聞いてプロ野球ファンとしてまず思い出すのはネルソンである。2010年にネルソンが実弾1発を所持していたため、中日球団が3か月の謹慎処分を課した。前例がなかった事態であり、当時はさほど必要不可欠な戦力というわけでもなかったため、再発を防止するための抑止策として重い処分を課したのだろう。
 ネルソンも、ドミニカ人で、祖国では銃の所持が合法であることから、過失ではあるが、プロ野球機構と球団が事前に指導を怠った責任の方がどちらかといえば大きいだろう。
 ナバーロの場合は、当時のネルソンとは異なり、明らかに四番打者としての働きを期待された存在であり、ロッテにとっては、開幕戦から出場できないとなれば大きな痛手になる。

 今回の逮捕で一躍有名になったものの、ナバーロは、韓国球界では名を知らぬものはいないほどの大打者である。
 2014年に韓国シリーズMVPを獲得し、昨年の成績が140試合に出場して打率.287、48本塁打、137打点。かつて日本で本塁打王を獲得したタイロン・ウッズが韓国でシーズン42本塁打を放っているが、ナバーロは、それをもしのぐ本塁打数で、外国人選手としてはシーズン最多本塁打である。
 日本人投手が多用する落ちる球に対応できれば、日本で50本塁打以上を放つことも不可能ではない。

 それだけに、今回の逮捕によって、開幕戦に出場できないという事態は避けてほしい。
 すさまじいシーズン成績を残す素質を秘めているだけに、罰金程度にとどめてもらいたい。





(2016年3月作成)

Copyright (C) 2001- Yamainu Net 》 伝説のプレーヤー All Rights Reserved.


inserted by FC2 system