2015年12月のブログ

犬山 翔太
 
 @黒田博樹の現役続行を望む

2015年12月05日

 黒田博樹の去就がどうなるのか。
 傍目から見れば、来年も現役続行だろうと思うのだが、1年1年を完全燃焼する黒田にとっては、そう簡単なものではないらしい。

 今年、黒田が残した成績は、11勝8敗、防御率2.55。登録抹消での一時離脱こそあったものの、ローテーション投手として申し分ない働きを見せてくれた。広島打線が低調でなければもっと勝てていたはずである。

 何よりも、今年のプロ野球を盛り上げた最大の功労者であったことは間違いない。多くの打者が黒田との対戦を望んだし、多くの投手が黒田との投げ合いを望んだ。
 黒田が得意とするフロントドアやバックドアは、誰もが知ることになったし、カープ女子の存在もますますクローズアップされた。
 多くのプロ野球ファンがチームの垣根を超えて黒田の投球に酔いしれた。

 大リーグでエース級の働きをする状態のまま、凱旋帰国して投げるというのは、これまでの日本人大リーガーにはなかったことであり、世界最高峰の投球を日本で見られるというのは、まさに日本球界が待ち望んだ結果だった。
 ダルビッシュや田中将大、前田健太といった日本を代表するエースがどのような選手生活晩年を迎えるかにも大きな影響を与えていくことだろう。

 そんな黒田が2桁勝利を挙げたにもかかわらず、引退を選択することだけはプロ野球界のためにも避けてほしい。
 2桁勝利を挙げながら引退した投手といえば、元ロッテの村田兆治がいるが、村田は、10勝を挙げたものの、防御率は4.51と悪化しており、完投や自らの納得がいく投球ができなくなったのが原因であった。

 黒田の場合は、来年もまだエースとしての働きが充分にできるはずで、このまま引退してしまうにはあまりにも惜しい。広島は、前田健太の大リーグ挑戦が濃厚となっており、2人のエースが一気に抜けてしまうとチームが一気に弱体化する可能性が高い。
 黒田には周囲が必要としている間は、現役を続けてもらいたい。


 A出来高の内容には基準があるべきだ

2015年12月12日

 杉内俊哉投手が年俸5億円から史上最大減となる4億5000万円ダウンの5000万円で契約したことが話題である。選手生命を賭けた右股関節の手術をしたとはいえ、シーズン前半戦はローテーションで6勝を挙げている。通常であれば、ここまで下がることはありえない、
 来年、杉内が全盛期並の成績を残せば、5億円くらいに到達する出来高がついているのかもしれないが、それでも基礎年俸の90%ダウン契約には驚かざるを得ない。

 これまでにも驚くような減額提示はあった。その最初が中日の四番打者として素晴らしい働きを見せていたタイロン・ウッズの減額である。
 2008年当時、ウッズは、約6億円の年俸を得ていた。2006年のリーグ優勝と2007年日本一の立役者であり、2008年も35本塁打を放っていた。しかし、中日の年俸提示は約3億円と半減。
 ウッズは、退団し、そのまま引退することになった。ウッズは、当時39歳で翌年には40歳を迎えるため、成績の下降が懸念されていた。
 中日は、ウッズに対して、その年残した成績での年俸ではなく、次の年への期待値としての年俸を提示したのだった。
 他球団も、ウッズに6億円を出せる球団はなかったことからも、年齢による評価はシビアなものになっていた。
 
 その後、2012年オフには巨人の小笠原道大が年俸4億3000万円から7000万円への減俸があった。日本ハムでは武田久が2014年オフに2億4000万円から8000万円への減俸。中日の井端も、1億9000万円から2200万円への減俸で退団となった。
 いずれも、不振や故障などで年俸に見合った成績を残せなかったため、減俸はやむを得ないのだが、その下がり幅が減額制限を大きく超えてしまっていたことが騒動になった。

 かつて、主力選手は、このような大幅な年俸減額があるまでに現役引退を選択、あるいは宣告されるということが多く、こういった減額はなかなかなかった。
 しかし、最近では、選手寿命も延びてきて、主力級の働きをした選手でも故障や不振、衰えによって成績が急降下した場合でも、現役を続行することが多い。

 それゆえに減額制限がほとんど意味のないものになっている。だが、球団が選手を自由契約にできる権利を持っている以上、選手には年俸0円で無職となるリスクがある。結局、減額制限は、どうやっても形骸化してしまうのだ。

 減額制限を超える契約に対して、選手が大損をしてしまわないためには、出来高の内容を細かく規定して、活躍すれば減額制限を超えないような仕組みを作り上げていくべきである。
 野球には膨大な記録項目があり、そのそれぞれを数値化して出来高として組み込むのはかなり困難ではある。
 しかし、選手がどれだけ活躍しても前年の年俸に及ばないという不利を防止するには、出場試合数や打席数、登板イニング数、打撃、守備、走塁、投球などの各個人成績を加味して、できる限り公平な基準を定めてほしいものである。


 B背番号に将来を託すのは有効な戦略

2015年12月19日

「地位が人を作る」と言われることがある。
 野球ではレギュラーで起用されることで、実力を伸ばして一流になっていく選手がいる。
 同じようにいい背番号を着けることで、モチベーションを上げて名選手となっていく選手もいる。多くの場合は、活躍することによって数字が小さな背番号になっていくものだが、2015年の中日は思い切ったことをしたものである。

 2015年のドラフトで指名された中日の新人選手にとっては、例年にない背番号の当たり年となった。名選手が数多く引退したことが大きな理由ではあるが、それでも、新人にはなかなか与えられることのない背番号が一気に4つも与えられることになった。

背番号5 和田一浩→阿部寿樹
背番号11 川上憲伸→小笠原慎之介
背番号14 朝倉健太→佐藤優
背番号34 山本昌→福敬登

 落合博満GMは、監督時代から背番号が持つイメージを大切にしており、重要な背番号を選手に与えることによって、無言の強いメッセージを発している。
 いい背番号をもらったからといって、すぐに活躍できるというわけではないが、高いモチベーションを持ってシーズンに入ることができる。

 野球選手と背番号の結びつきは、選手本人だけでなく、多くの人々の心に刻み込まれる。
 私も、野球に興味を持った頃から、選手の背番号には憧れを抱いていた。落合博満の6、桑田真澄の18、清原和博の3、秋山幸二の1、ブーマーとバースの44、山田久志の17、福本豊の7、野茂英雄の11、工藤公康の47……。
 団塊の世代であれば、王貞治の1や長嶋茂雄の3などが浮かぶであろうし、私より少し若い世代であれば、イチローの51や松井秀喜の55などが浮かぶだろう。

 中日で大きな意味を持つ4つの背番号を背負った選手たちは、背番号を意気に感じて大きく羽ばたくことができるか、それとも背番号のプレッシャーに押しつぶされてしまうのか、大きな岐路に立つ。
 名選手の背番号を簡単に新人選手に与えたことで、賛否が分かれて議論を生んでいるが、時代は刻々と流れていくものである。
 新しい時代を作るためには、過去の栄光を懐かしんでいるだけでなく、それを超えていくことが必要である。
 栄光の日本一やセリーグ2連覇から一転して3年連続Bクラスにあえぐ中日にとって、いい背番号を将来ある選手に託すことは、新たな歴史を作る戦略として有効だと思う。


 Cいつか川上憲伸に引退試合を

2015年12月26日

 川上憲伸が2015年は1試合も投げられずに退団となった。2000年代前半から右肩に故障を抱えながら、2004年から2008年までは落合監督の下でエースとして2度のリーグ優勝と3度の日本シリーズ出場、1度の日本一に貢献した。
 川上なくして黄金時代はありえなかったであろうし、球団も、川上を大事に壊れないように起用していた。

 それが暗転したのは、2008年の北京五輪出場と、2009年からの大リーグ挑戦であった。北京五輪での酷使と、大リーグでの酷使によって、川上の肩は、年々悪化の一途をたどっていった。
 日本球界復帰後も、一時的に復調するものの故障を繰り返し、2015年にはついに投げられなくなった。
 それでも、9月には大腿筋膜を右肩に移植する右肩腱板損傷の再建手術をして、復帰を目指すという。

 2010年以降の川上の成績は、それまでの成績からは想像もつかないほど悪化してしまっただけに、栄光に彩られたエースとしての記憶が薄くなってしまっているのも否めない。
 1998年に新人ながら14勝6敗の好成績を挙げていきなり新人王に輝いた川上の登場は衝撃だった。
 2004年には17勝で最多勝を挙げてリーグ優勝の立役者になり、そこから5年間で66勝を挙げた。その期間に黒田博樹が挙げたのは56勝であることから見ても、川上の活躍ぶりは明らかである。

 本来であれば、川上は、中日で盛大な引退セレモニーを開き、指導者としての道を歩み始めるべき選手でもある。
 ライバルとして歩んできた高橋由伸が今年引退してすぐ監督に就任したが、高橋に近い功績を残してきた選手でもあるのだ。

 落合GMと谷繁監督の体制が続けば、来年のリハビリを経て再来年に育成で契約といった可能性も見えてくる。リハビリと共に肉体の衰えとの闘いでもあるが、私は、川上が中日のユニフォームを着て投げる姿を切望する。

 これから川上がどんな野球人生を歩むかは想像がつかない。だが、このまま復帰できずに引退してしまうのはファンとしても心残りなだけに、あの気合のこもった直球と鋭いカットボール、カーブを見せてもらいたい。そして、盛大な引退セレモニーを開いてもらう日が来ることを期待したい。


 D日本人内野手が大リーグで活躍するための目安は

2015年12月30日

 松田宣浩がソフトバンク残留に落ち着いた。
 海外FA権を行使して大リーグ挑戦を目指すことになったときは、久しぶりに大リーグで日本人内野手が見られるかと心躍ったが、実現しなかった。
 西岡剛、川崎宗則、中島裕之、田中賢介と、日本では不動のレギュラー内野手が大リーグではレギュラーとして通用しなかった現実が大きく影を落としており、大リーグが日本人内野手を見る目は厳しい。

 何といっても、日本人内野手は、2009年に松井稼頭央が規定打席に到達したのを最後に6年間、規定打席到達者がいない。
 また、過去を見ても、井口が3年間規定打席に到達したのが最高で、まだ3割以上を打った選手はいない。本塁打も、2006年に井口が残した18本が最高だ。
 日本で2003年に33本塁打放った松井稼頭央が2004年には大リーグで7本塁打にとどまったことや日本で2006年に32本塁打残した岩村明憲が2007年に大リーグで7本塁打に終わったことは衝撃だった。

 裏を返せば、それほど大リーグで本塁打を量産することも、安定した打率を残すことも難しいということだ。
 井口、松井稼、岩村の3人は、日本では何度も3割を超える打率を残し、30本塁打以上を残したシーズンもある。それでも、大リーグでは3割も20本塁打も残せない並の中距離ヒッターとして少しだけレギュラーを張れたに過ぎない。

 松田も、2015年に35本塁打を放ったとはいえ、そのうちヤフオクドームのテラス席への本塁打が12本を占めており、実質は23本塁打程度と見るのが妥当である。

 そうなった場合、大リーグで本塁打を量産することは困難であり、2015年終了時点での通算打率が.277であることから見ても、大リーグで長年レギュラーとして活躍することは考えにくい。
 パドレスとの交渉でも、レギュラー確約での契約条件には至らなかったようで、出場機会が減少する可能性が高いなら、日本残留が最善である。

 今後、日本人内野手が誕生するとすれば、日本で突出した打撃成績を残した選手しかレギュラー活躍は難しいと考えられる。そうなると、西武の中村剛也か、ヤクルトの山田哲人あたりになってくるが、中村は、年齢的に厳しく、故障のリスクもあることから、山田に期待するしかない。

 では、どの程度の成績を残していれば、大リーグで内野手のレギュラーを張れるのか。
 井口や松井稼、岩村の日本での成績を見てみると、打率.320、30本塁打程度がその目安となってくる。
 シーズン打率.320以上、30本塁打以上の安定した実力を見せていれば、おそらく大リーグでも内野手としてレギュラーを張れるはずである。
 山田には3年くらい連続でトリプルスリーを達成して、大リーグに挑戦してもらいたいものである。






(2016年1月作成)

Copyright (C) 2001- Yamainu Net 》 伝説のプレーヤー All Rights Reserved.


inserted by FC2 system