2015年6月のコラム

犬山 翔太
 

 @ベンディット投手や大谷選手に、左右投げ投手で左右打ち野手出現を夢見る

2015年06月07日

 左右投げのパット・ベンディット投手が大リーグデビューを飾った。過去の胴がでは右はオーバースロー、左はサイドスローであったが、現在は、右でもサイドスローになっている。
 大リーグで生き残るために、打ちにくい投球フォームを模索してたどり着いたのだろう。大リーグの強打者相手に左右の腕を使い分けて2回無失点の投球は見事である。これぞ、まさしく二刀流と声を上げたくなった。
 中継ぎで重宝されそうな投手であり、今後も登板機会は増えていくはずである。

 左右投げと言えば、今年、右肘を故障したダルビッシュ有が左投げ挑戦を表明したことがあったが、右投で剛速球が投げられる投手は、練習次第では左でも同等の剛速球が投げられる可能性がある。
 ダルビッシュも、本気で練習をしているとすれば、トミージョン手術が回復するまでに、左投手として実戦復帰という可能性もある。

 日本では投手と野手の二刀流をする大谷翔平が話題をさらっているが、大谷の「二刀流」は、私にとっては言葉として今一つしっくりこない。
 宮本武蔵の二刀流は、左右の手を自在に操れる剣士としての意味を持つ。それゆえに、私の想像では、投手の左右投げが最も二刀流のイメージに近い。

 日本にはかつて近田豊年という左右投げの投手がいた。私は、この投手が大成したら、すさまじい人気を得るだろうと思っていたが、1軍では1988年に1試合のみ登板したのみで現役を終えた。
 近田は、左利きで元々は左投手であったが、右のグローブしかなくて右投げを試しているうちに右でも投げられるようになったという伝説を持つ。

 ベンディットの場合は、元々は右投げであったが、子供の頃に父親の勧めにより左投げを覚えたという。
 左打者を抑えるには、右投手としていろいろ工夫を凝らすより、左投手になってしまえば良い、という理想の考えを実践したわけである。

 左右投げは、左右打ちと同様に、野球をしたことがある者なら誰もが夢見るスタイルである。しかし、左右打ちに比べて、左右投げはかなり困難で、アマチュア球界ではしばしば左右投げ投手が話題になるが、プロに入るレベルまで到達する選手はまずいない。
 ベンディット投手ですら大リーグで20年ぶりであり、日本では近田が唯一で、1991年に引退してから、はや25年が経とうとしている。

 いつになるかは分からないが、左右投げの投手でありながら左右打ちの野手もできるという万能選手が現れることも将来あるだろう。
 大谷やベンディットを見て育った子供の中から、そんな選手が現れてほしいものである。



 A2011年の危機を自力で切り抜けた和田一浩の技術力

2015年06月14日

 和田一浩が2015年6月11日に通算2000本安打を達成した。
 和田は、レギュラーで活躍し始めるのが30代に入ってからと遅かっただけに、通算2000本安打までは到達しないのではないかと思っていた。

 そして、2011年にシーズン打率.232に落ち込んだときは、さすがに衰えが来たように見えた。
 2011年は、飛ばない統一球になった年で、和田は、打撃フォームを改造してスクエアにするという決断を貫いたシーズンでもあった。飛ばなくなった統一球に苦しみ、スクエアから繰り出される打球は力を失ったかのように失速し、凡打を繰り返した。
 レギュラーとして1年間働きながら、打率.339から打率.232まで一気に1割以上落とす打者はまず見かけない。

 当時の落合監督は、不振に苦しむ和田を根気よく使い続けた。そして、和田は、その反省を生かして翌年にさらなる打撃フォームの改造を加えて打率.285まで戻したのである。
 和田が2000本安打を達成できた最大の理由は、あの不調に沈んだ2011年の苦闘がものを言っているように感じる。
 和田は、常に自らの年齢に応じた打撃ができるよう、毎年改良に改良を重ねてきた。
 2010年にシーズンMVPに輝いたとき、その好成績の理由を「技術」と断言していた。
 技術を進化させる過程で陥った穴を自らの力で抜けだした技術力が和田の真骨頂なのである。

 和田の打撃フォームは、独特だ。若い頃は、ありえないほどのオープンスタンスから腰の回転でバットに遠心力を効かせながらフルスイングで振り抜くスタイルだった。

 現在は、ほぼスクエアに近い状態になって、力みもなく、構える直前にバットを軽く肩に乗せて揺らしながら、バットの重心を両手で感じ取って、その重心に球を強く当てるスイングで振り抜く。

 右中間には、低いライナーが飛んでいき、左中間には豪快な放物線を描き出す。きっちりダイヤモンドの中に打球を放り込む技術があって、外野のポールを大きく外れていくようなファールがほとんどない。
 落合とよく似ているが、落合が右中間に高々と放物線を描く打球が多かったのに対し、和田の右中間への打球は、低い弾道で伸びるライナーである。
 「右方向へ引っ張る」と例えられるほどの、鋭い打球を放てる打者は、今の球界で和田以外に見当たらない。

 若い打者は、なかなか和田の打撃技術を真似ることは容易ではないが、和田が年々進化させている技術を、観察して吸収してほしいものである。和田が現役のうちに、若い選手は、右中間への低く伸びる弾道を放てる打球を習得してもらいたい。


 B日本球界にいい前例を作ってくれた藤川球児

2015年06月21日

 藤川球児が四国アイランドリーグplusの高知に入団した。
 これは、全くの想定外であった。現在、阪神には呉昇桓という不動の守護神がいるだけに、阪神以外の球団に入る可能性はあるかな、と思っていたが、まさか独立リーグに入るとは思わなかった。
 どの球団も、リリーフ投手には苦労している。藤川が日本プロ野球の球団に入ることを望めば引く手あまたのはずだから、入らなかったということは自ら決断を下したのだろう。

 藤川は、トミー・ジョン手術した右肘がまだ万全ではない。本格的な復活は、来年以降になるだろうという事情はあるものの、日本プロ野球で栄光を極め、さらに大リーグでも投げた投手がまだまだ現役で活躍が見込める状況の中、独立リーグに入団するのは異例である。

 藤川は、日本プロ野球で通算220セーブを挙げている。これは、歴代5位の成績だ。
 あのまま日本にいれば、すぐに名球会入りの条件となる250セーブを達成していたはずである。

 現在でも、順調に肘のリハビリが進んでいるならば、来年には日本プロ野球で守護神としての活躍が充分に期待できる。
 しかし、阪神や他球団の誘いを断って、独立リーグを選んだことは、報道では男気と称賛されてはいるが、冷静に見れば、リハビリ期間として無理をしない程度に投げられる場所として選んだと見るべきだろう。

 近年、独立リーグには日本プロ野球で一流の活躍をした選手が入団することが多い。元ロッテのフリオ・フランコ、元近鉄・巨人・オリックスのタフィ・ローズ、元ヤクルト・楽天の岩村明憲、元ヤクルト・巨人・DeNAのアレックス・ラミレス、元ヤクルトの高津臣吾など。
 タフィ・ローズは、日本プロ野球で464本塁打を放っており、外国人選手の中で最が多い歴代最高のスラッガーである。高津臣吾も、歴代2位のセーブ数を稼ぎ出している。ラミレスも、外国人として初の通算2000本安打を達成して名球会入りを果たした最優良外国人選手だ。
 彼らは、野球をやりたいという希望と、地域を盛り上げたいという熱意と、将来ある若手に自らの技術を伝えていきたいという情熱がこもっているように思う。

 もちろん、藤川も、そういった想いを内包してはいるものの、それに加えて来季には日本プロ野球、もしくは大リーグでプレーすることを念頭に置いているはずである。
 動機がどうあれ、独立リーグに日本プロ野球で活躍した一流選手がまだ活躍できる状態のまま入団することは、独立リーグの底上げにも、人気獲得にもつながる。黒田の日本プロ野球復帰とはまた違ったやり方だが、野球界への貢献としていい前例を作ってくれた。

 日本プロ野球で実績を残した選手は、全国にファンを持っており、卓越した技術は一見の価値もある。現状の独立リーグは、観客動員に苦労している球団が多く、新しい球団ができてもなかなか長続きせず、安定した経営が困難である。
 日本プロ野球で活躍した選手の受け皿となることで、元スター選手と若手選手が一緒にプレーして、そこから野球人気の上昇と有望選手を誕生させる手段として、有効活用していってほしいものである。



 C交流戦後は貯金・借金の考え方を改めなければならない

2015年06月23日

 セリーグにとって交流戦は、ペナントレースを争う上で鬼門だ。
 セリーグは、交流戦1年目の2005年から首位の中日がつまづいた。しかし、意外なことにその年の交流戦は、セリーグが104勝、パリーグが105勝と拮抗していた。
 交流戦前まで首位を独走しようとしていた中日が15勝21敗の借金6と沈んだ一方で、阪神が21勝13敗の貯金7で一気に首位に躍り出てリーグ優勝へと突き進むことになるのである。

 翌年から、セリーグは、どの球団も交流戦を重視するようになって、交流戦をうまく乗り切ったチームがリーグ優勝の最有力候補になるという年が増えていく。

 交流戦が始まって今年で11年目になるが、セリーグが勝ち越したのは、2009年に70勝67敗で3つ貯金を作ったのが唯一である。
 その他の年は、目も当てられないような年も多く、たとえば下記のような惨状もあった。

 2010年:59勝81敗 借金22
 2011年:57勝78敗 借金21
 2013年:60勝80敗 借金20

 特に2010年の成績は特筆すべきもので、1位から6位までがパリーグ、7位から12位までがセリーグときっちり成績が分断した。
 これでは、セリーグが交流戦の縮小を求めるのも仕方のないところだ。

 そして、縮小された2015年の交流戦も、カードが2連戦から3連戦になった。そのせいで、2連勝2連敗という極端な勝敗が減って、セパの成績が拮抗するのではないかと思っていたが、実際はセリーグが44勝61敗の借金17と惨敗に終わってしまった。

 その最大の要因となったのが、横浜DeNAで、パリーグ全球団に負け越して3勝14敗という悲惨な結果である。
 思えば、DeNAは、交流戦が始まるまでは29勝19敗の貯金10で2位巨人に2ゲーム差をつけて首位を走っていた。
 しかし、交流戦が終わってみれば、32勝33敗の借金1で首位転落という大失速である。

 DeNAは、強力な打線とその勢いで勝っていただけに、どこかで失速すると想定はできていたが、交流戦でここまで急降下するのも珍しい。
 どんなに弱いチームでも3試合あれば大抵1試合は勝てるのが野球であり、10連敗で交流戦を終了し、そこからまた2つ負けて12連敗まで伸ばしていることは、めったに起きない現象が起きてしまっていると言わざるをえない。

 そのせいで、セリーグは、貯金1で巨人が首位に立つという珍現象が起きており、近いうちに貯金なしで首位という史上初の現象が起きるのではないかという期待さえある。
 交流戦によって、セリーグ全体で17の借金を背負っており、1チームあたり3の借金を背負ったということである。つまり、セリーグでは借金3が借金0と同じ意味を持つ。

 そのため、借金2のチームは貯金1であり、借金0のチームは貯金3である。そう考えていくと、自ずと優勝ラインも下がってくるし、Aクラス入りの目安も変わってくる。
 さすがに借金1でリーグ優勝という事態にはならないだろうが、交流戦でセリーグが記録的な大敗をすれば、起こりうる。1回くらい、交流戦の数を大きく増やして、セリーグがどんなペナントレースになるか、見てみたいところである。


 D又吉・福谷の2年目のジンクス

2015年06月27日

 2年目のジンクスとは、良く言ったものである。
 昨年は9勝1敗24ホールド2セーブ、防御率2.21を残した又吉克樹が防御率3.93、昨年は2勝4敗32ホールド11セーブ、防御率1.81を残した福谷浩司が防御率4.45と苦しんでいる。

 又吉は、昨年がルーキーで今年が2年目、福谷は去年が2年目だったが実質1軍で活躍したのは去年が最初なので今年が実質2年目である。

 2年目のジンクスは、1年目に活躍した選手が陥りがちである。ブレイクして1年目だけ活躍して2年目以降は苦しむというパターンは意外と多い。
 かつて、新人離れした剛速球で1年目に31セーブを挙げた与田剛は2年目に2セーブに終わるという2年目のジンクスにはまった。1年目の活躍は、10年ほど守護神は任せられると思ったものだが、2年目以降、与田が輝きを取り戻すことはなかった。

 近年で言えば、オリックスの小松聖も15勝3敗と活躍して新人王を獲得した翌年に1勝9敗と落ち込んだ。小川泰弘も16勝から9勝に落ち込んだし、昨年10勝を挙げた大瀬良大地も2年目のジンクスに苦しんでいる。
 あの田中将大ですら、大きくは落ち込まなかったものの、プロ2年目だけ2桁勝利を逃している。

 2年目のジンクスに陥るのは、いくつもの要因が重なるためである。
 1年目は、怖いものなしなので、勢いまかせでどんどん対戦相手を圧倒していくことができる。

 しかし、少し調子が悪いときに結果が出なかったりすると、徐々に怖さが記憶に蓄積されていく。大胆さがどんどん失われて、結果を欲しがるようになり、考えすぎて自滅してしまうことがあるのだ。

 また、1年目のオフは、活躍したことで取材や行事が殺到して練習に集中できなくなり、体をケアできずに、翌年に疲れを残してしまうことが多い。それまで1年を通して活躍した実績がなかっただけに、2年目を1年目と同じような状態でシーズンに調整していくことが困難なのである。投手は球威を失ってしまったり、打者はフォームを崩してシーズンに臨んでしまうこともあるのだ。

 さらに、1年目に活躍したことで、対戦相手はオフの間に膨大なデータを元に研究を重ねてくる。徹底的に弱点を探される上に、相手チームの目も慣れてしまうことから、1年目と同じようにやっていても結果が出ないということがありえるのである。

 又吉は、昨年のスライダーのキレ味と精度を失ってきているように見えるし、福谷は昨年の球威とコントロールを失っているように見える。
 今後、立ち直って、3年目以降に名投手になっていく道を歩むためには、投球の精度を高めるとともに、伝家の宝刀を身に着け、対戦相手を常に上回れるようになることが必要である。

 長年リリーフで活躍し続けた岩瀬の場合は、真横に曲がる制球力抜群のスライダーを「そのサインが出たら、もう打ちったと思った」というところまで磨き上げている。

 又吉は、高津臣吾や山田久志のシンカーのように、打者が絶対に打てないと感じるような縦の変化球習得が課題であり、福谷には、佐々木主浩のフォークや藤川球児の火の玉ストレートのように打者があきらめてしまうような宝刀を身に着けてほしい。
 2人とも、素質は抜群なだけに、何とかこの2年目を乗り越えてもらいたいものである。





(2015年6月作成)

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