2015年5月のコラム

犬山 翔太
 
2015年05月02日

 @誤審で勝敗が分かれる チャレンジ制度の早急な導入を

 また誤審によって勝敗が分かれるプレーが出た。
 2015年5月2日にナゴヤドームで行われた中日×DeNA戦でのことだ。
 スコア3−2と中日がリードした9回裏2死1、2塁からDeNAの関根が右中間突破の打球を放ち、2塁ランナーが還った後、1塁ランナーもホームへ突っ込んだ。
 送球を受けた捕手の谷繁は、ホームベース手前でランナーにタッチを行ったが、判定はセーフ。
 これによってスコアは、3−4となり、DeNAが逆転する。

 しかし、ホームを踏まれる前にタッチをしていた谷繁は、審判に抗議し、手で胸を押したことにより、退場となった。

 今は、様々な角度から映像を撮影しており、VTRを見れば、真実が分かる。
 今回のプレーも、ネットには、いくつも検証動画がアップされていて、それを見ると明らかなアウトである。

 今回の誤審が持つ大きな問題は、その1点がそのまま決勝点となったことである。
 10点差がついた試合での誤審は、さほど勝敗を左右する結果にはならないが、接戦の中での誤審は致命的である。審判の立ち位置が悪く、しっかりと見えてなかった、で済まされる問題ではない。

 大リーグのようにチャレンジ制度があれば、アウトの判定に覆り、裏の攻撃となる中日が圧倒的に優位となって、サヨナラ勝ちの確率が高くなっていたはずである。

 大リーグでは2015年4月16日にイチローが3塁走者として内野ゴロでホームへ突入し、審判には一旦アウトと宣告されながらも、チャレンジ制度によってセーフであることが判明して判定が覆った。
 もし、日本で同じようプレーが起きていれば、審判が最初に下したアウトのままである。

 大きな問題を抱えながら一向に改善しない日本プロ野球の姿勢は、ファン離れを起こしかねない。
 同じような誤審を繰り返す日本プロ野球には、早急なチャレンジ制度導入が必要である。

 1勝が持つ重みは、まだ5月の段階ではさほど感じないかもしれないが、秋に1勝の差でリーグ優勝を逃すといった事態になった場合、この誤審が大きな意味を持ってくる。
 そうならないためにも、審判が正確な判定を行えるよう、チャレンジ制度の導入が必須である。



2015年05月05日

 A肉体的援助の判定は正しかったのか

 ちょっと気の毒だなと思ったアウトがある。
 2015年4月30日の巨人×中日戦での長野久義の走塁である。三塁ゴロがホーム悪送球となり、二塁走者だった長野がホームへ突っ込んだ。
 しかし、三塁を回った後、三塁コーチの勝呂と衝突してしまい、肉体的援助でアウトとなったのだ。

 VTRを見た限りでは、勝呂が避け損ねたという状況で、援助というよりは邪魔をしているだけなのだが、審判の判断によりアウトとなってしまった。
 つまり公認野球規則に従って下された判定なのである。
『(7・09h)3塁または1塁のベースコーチが、走者に触れるか、または支えるかして、走者の3塁または1塁への帰塁、あるいはそれらの離塁を、肉体的に援助したと審判員が認めた場合インターフェア(妨害)をとられて走者がアウトになる。』(公認野球規則)

 勝呂の行為は、体を使って走者を止めようとしたと判断できなくないからだろう。
 審判が仮に故意でなかったと判断すれば、セーフにできるのだが、疑わしきプレーは罰するという無難な方法をとったわけだ。

 長野と勝呂の衝突に関しては、限りなく偶然の衝突の可能性が高い。こういったプレーに対しても、ビデオ判定が可能であれば、導入してもらいたいところである。
 長野のホームインがなくとも、巨人が勝利したため、大きな問題とはなっていないが、あの後、中日が逆転勝利を収めていようものなら、もっと大きな問題となっていたはずだ。

 三塁コーチが体を張ってランナーがホームへ突っ込むのを止めたり、逆に背中を押してホームへ突っ込むスピードを上げようとするなら、アウトの判断は容易である。
 しかし、意図せずぶつかってしまった場合は、審判員の気持ち次第で、アウトにもセーフにもできてしまう。
 長野と勝呂の衝突も、肉体的援助と判断されなければセーフになっていたわけである。

 そう考えると、ビデオ判定を導入し、審判員全員の協議によって、肉体的援助であったかどうかを検証して判定する必要がある。
 長野と勝呂の衝突は、個人的には肉体的援助に当たらないプレーであったと感じるからである。




2015年05月16日

 B又吉克樹が類稀な素質を生かすためには

 又吉克樹が登録抹消された。昨年、67試合に登板し、9勝1敗2セーブ24ホールド、防御率2.21の成績を残しただけに、今年はさらなる活躍を期待していた。
 昨年は、シーズン後半に抜群の安定感を見せていただけに、その調子を持続させれば今年は防御率1点台前半も可能なのではないかとすら思っていた。

 しかし、既に6度の救援失敗で2軍落ちとなり、プロの世界の厳しさをファンとしても痛感することとなった。

 又吉としては若さと勢いで何とか乗り切ろうとしたかったのだろうが、力めば力むほど球が高めに浮いて逆効果となってしまった感は強い。
 かつてはチームメイトの田島も1年目は、5勝3敗30ホールド、防御率1.15の好成績を残したものの、2年目には5勝10敗12ホールド、防御率4.76と大きく成績を落とし、2年目のジンクスにはまった。

 2年目のジンクスは、前年の疲労もあるだろうが、それよりも相手チームがオフの間に研究を重ね、様々なデータから攻略法を探って束になって攻めてくるところにある。

 岩瀬のように長年安定して結果を残してきた投手は、それを上回る打ちにくさ、絶妙のコントロール、球のキレ、分かっていても打てない伝家の宝刀を磨いて、打者を上回る投球を続けてきたのである。

 又吉は、球威があるものの、絶妙のコントロールはまだなく、スライダーも伝家の宝刀と言えるほど精度がよくない。そのため、四球を選ばれたり、高めに浮いた直球やスライダーを打者に運ばれてしまうのである。

 又吉に似た投げ方をする投手として館山昌平や高津臣吾が脳裏に浮かぶが、館山は球威に加えて安定したコントロールもあり、落ちる球を覚えてから大きく成績を飛躍させている。
 また、高津は、言わずと知れた伝家の宝刀シンカーがあり、分かっていても打てないほどの精度を誇っていた。

 又吉は、館山や高津のような投手になれる素質を秘めている。伝家の宝刀スライダーの精度を上げ、落ちる球をマスターし、ファンが安心して投球を見ていられる存在になって戻ってきてもらいたいものである。



2015年05月23日

 Cそれでも吉見の秋田登板は回避すべきだった

 吉見が2015年5月22日の巨人戦に先発して7回2失点で切り抜け、一安心である。
 というのも、5月17日の先発登板を体調不良で回避し、右肘痛が再発したかとファンとしては気が気でなかったからである。

 吉見は、まだトミー・ジョン手術を受けた右肘の状態が万全ではない。そのため、オープン戦では様子見の登板が続き、シーズンに入ってからも最初は中10日の先発をしていた。

 私としては、このままシーズン終了まで中10日で良いと考えていたのだが、投げれば抑えるだけに、最近は登板間隔を詰めようとしている。
 しかも、5月9日のヤクルト戦は、寒い気候だった秋田での先発となり、1失点で勝利を挙げたものの、その寒さは後々への影響が心配になるほどだった。

 というのも、実績を積み重ねた投手が寒いところで登板して、故障してしまうという事例がしばしば起こるからである。今年を例にとっても、大リーグの田中将大が極寒の環境で投げて右肘を悪化させたし、吉見のチームメイトである川上憲伸も肩を故障し、山本昌も膝を故障した。
 3月から5月までの気候は極めて調整が難しいのである。

 吉見の場合も、秋田での登板が尾を引いて、5月17日の先発を回避せざるを得なくなった可能性が高い。
 幸い、右肘の状態は1回登板を飛ばす程度の軽傷で済んだようだが、やはり5月9日の秋田での登板を回避するという選択肢をとるべきだったと思う。

 トミー・ジョン手術の最大の問題点は、手術から復活までの期間があまりにも長いことであり、投手が焦って無理をしてしまうことでもある。
 手術は科学の進歩によって、ほぼ元の状態に戻るほどの精度を誇っているが、復帰から復活までの道程があまり科学的とは言えない。
 ヤクルトの館山が復帰する途上で故障を再発させてしまったように、必要以上に投手が無理をして悪化させる例も後を絶たない。

 首脳陣は、目先の成績にこだわりすぎるよりも、選手生命を第一に考え、慎重に慎重を期した科学的なスケジュールを組んで、プロ野球界の宝とも言える一流選手たちを潰してしまわないようにしてもらいたい。



2015年05月30日

 Dイチローの快挙に、かつてのライバル林尚克を想う

 イチローの通算安打数が連日のようにニュースになり、ベーブ・ルースの2873安打を抜いたことで、改めてイチローが大リーグで成し遂げてきた功績には驚嘆せざるをえない。

 私にとって、イチローをはじめとする少し年上の野球選手は、学生時代からあこがれの的である。
 当時、愛知県には私学4強に強打者が揃っていて、東邦の林尚克、享栄の高木浩之、湯浅貴博、中京の稲葉篤紀、愛工大名電の鈴木一朗が有名だった。
 彼らは、第二次ベビーブーム世代という過酷な同世代過多の中、生き残って全国に名を知られるようになった選手だけに、他の世代と比較しても高い実力を持っていた。

 そのため、私は、地元三重県の高校野球よりも、愛知県の高校野球の方に強く興味を持った。愛知県大会がテレビで見られたというのも大きかった。
 当時から鈴木一朗は、愛工大名電の中で飛び抜けた存在であり、監督が「野球の申し子」と評して、最大限の実力評価をしていたことが印象に強く残る。

 だが、実を言うと、その後、プロに入って史上最高の打者になるとは全く想像もできなかったし、大リーグでベーブ・ルースの通算安打を抜くことなど、当時の私なら鼻で笑って否定していただろう。
 大リーグ以前に、そもそもプロに行くには細身すぎるので指名されないのではないか、とさえ思っていた。
 ちなみに、稲葉に限って言えば、ほとんどそのバッティングが記憶にないくらいである。

 私がこれらの選手の中で、プロに入って活躍するのはこの選手だろうなと思っていたのは、東邦の林尚克である。
 林は、高い打撃技術とパンチ力を兼ね備えていて、1991年の選抜甲子園では鹿児島実業戦で満塁本塁打を放っている。
 夏には、愛知県大会の決勝でイチローが4番を打っていた愛工大名電を7−0で破って甲子園に出場した。打率も高く、本塁打も多く、守備もいいという林は、早々とドラフトで指名されるものと思っていた。

 しかし、愛工大名電の鈴木一朗がオリックスに指名されたにもかかわらず、東邦の林はどこからも指名されなかった。
 その3年後、鈴木は、イチローとしてオリックスの1番打者として打率.385、210安打を残し、瞬く間に国民的なスターとなっていった。
 一方で、いつになったら林は、プロに指名されるんだろうと気にはなっていたが、いつまでたっても指名されないため、年々気にならなくなっていった。社会人野球の世界では、知らない者がいないほどの名選手となっていたようだが、どういうわけかプロからの指名はなかったのだ。

 プロのスカウトは、将来の伸びしろをじっくり見極めていて、指名されるタイミングがなかったのかもしれないが、私としては、イチローのライバルとしてイチローに匹敵する評価を受けていた林にプロ入りしてほしかった。プロのコーチから指導を受けたら、どんな選手になっていただろうか。時間が戻せるものならば、それが最も見てみたい。






(2015年5月作成)

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