2015年1月のコラム

犬山 翔太
 
2015年01月01日

 @五輪に野球が復活してもプロの一流選手をつぎ込むのはやめるべきではないか

 新年になり、2020年の東京五輪まであと5年となった。まだ次の五輪さえ開催されていない状況だが、メディアが盛り上げるため、今から東京五輪をいろいろ考えてしまいがちである。
 ここのところ、東京五輪で野球とソフトボールが復活する可能性が高くなってきたことが大きく報じられている。
 私も、五輪では野球とソフトボールを最も楽しみに見てきたので、復活するとなれば、嬉しい限りである。

 しかし、復活したとしても、ソフトボールにとっては、その競技を日本中、そして、世界中に広めるいい機会となるかもしれないが、日本で最も人気が高いスポーツである野球にとっては、あまりの大きな期待が全国民から集中するため、大きな心理的・肉体的負担が選手にかかることになる。 

 特にプロ野球選手は、球界を代表して行くという以上い、ペナントレースの途中で抜けていかなければならないという制約が生まれるため、その球団のファンやプロ野球ファンからも、さほど歓迎されない節がある。中心選手が抜けたことによって、失速するチームが出たり、ペナントレースが味気ないものになってしまったりするからだ。

 そして、北京五輪の事例を見るまでもなく、ある一定の実績を残してきたプロ野球選手にとって、五輪は、あまりにもリスクの高い大会である。
 すべての国民の期待を一身に背負う上に、敗戦の原因となった場合、大きな批判にさらされることになる。
 辛いことに、五輪が終わった後も、プロ野球選手は、帰国してペナントレースに参加せねばならない。敗戦の責任を負った選手は、批判と好奇の目にさらされながら、野次を受けてプレーしなければならないのだ。

 仮に東京五輪で野球が復活した場合、日本代表は、アマチュア選手とプロ野球界からはファームに所属する20代中盤までの若手選手で構成して出場してほしい。
 アマチュア球界の一流投手は、プロの1軍にいる選手と比べてもそう劣るわけではなく、世界と戦えるだけの戦力を整えられるはずである。
 投手を中心とした野球をすれば、世界とも充分互角に戦うことが可能である。それだけに、北京五輪の二の舞とならないよう、選手に過度に負担をかけてまで五輪に選手をつぎ込むようなことはしてほしくないのである。



2015年01月02日

 A40代でタイトル獲得は可能か

 第二次ベビーブーム世代が続々と40代を迎えており、人口が多い世代だけにどれだけ多くの選手が40代で活躍できるのかと期待していたが、レギュラー選手として残っている選手は意外と少ない。

 大リーグではイチローと今年40歳になる黒田博樹が一流の成績を残しており、日本では、岩瀬仁紀、三浦大輔、和田一浩、井口資仁、斎藤隆といったあたりである。今年40代を迎える選手では松井稼頭央、岡島秀樹がいる。この中でも特に黒田の広島復帰は、40代でのタイトル獲得をかなり期待させてくれるし、他の40代選手にも刺激となって大きな相乗効果を生みそうである。

 これまで、40代でタイトルを獲得した選手がいるのだろうかと見てみると、1988年に門田博光が40歳で迎えたシーズンに44本塁打、125打点の活躍を見せて二冠王に輝いている。投手では大野豊が1997年に42歳で最優秀防御率のタイトルを獲得している。

 最年長記録は、第二次ベビーブームのさらに上の世代となる山本昌が次々と新記録を樹立していっているものの、山本昌自身も40代になってからはタイトルと無縁である。それでも、40代に入ってから2回2桁勝利を挙げており、運が味方すればタイトル獲得もできたのではないかという成績は残している。

 40代でのタイトル獲得は、前述のように門田が獲得してからもう27年、大野豊が獲得してから18年になり、選手寿命が延びた割には、40代でタイトルを獲得する困難さはなのも変わっていないのである。
 そして、今年は、40代がタイトル獲得を狙える年になるのではないかとかなり期待している。現在の40代に門田のようなスラッガータイプがいないので、本塁打王や打点王は困難に思えるが、その他のタイトルなら可能性がある。
 黒田が広島に復帰し、最多勝や最優秀防御率、最高勝率などのタイトルを狙える。
 そして、岩瀬も、守護神として最多セーブを狙えるし、三浦大輔もDeNAの打線の援護があれば最多勝のタイトルを狙える。和田、井口、松井といったあたりも首位打者は狙えるし、斎藤や岡島は最多ホールドが狙える。

 とはいえ、40代になってくると、体力的に144試合に出場するということ自体が困難となってくる。そのため、積み重ねていくことでタイトルになる記録は、なかなか獲得しにくいのが実情である。
 肉体面でのパフォーマンスの低下を技術でカバーするということになってくるが、そうなると積み重ねる記録よりも確率を高める記録の方が可能性が高いように思われる。
 つまり、打者で言えば首位打者、投手で言えば最高勝率、最優秀防御率である。

 これまで40代の最高打率は、戸倉勝城が1955年に41歳になるシーズンに記録した.321である。この打率は、年によっては首位打者を獲得していてもおかしくない打率であり、現在の選手でも達成不可能な数字ではない。落合博満も、42歳になるシーズンに打率.311を記録している。
 来年42歳になるイチローも、状態がよければ、大リーグでの首位打者獲得は不可能ではないのだ。
 そして、最高勝率は、13勝以上を挙げ、負け数を少なくすれば獲得できるため、40代でも獲得できる可能性が高い。2014年は山井大介が36歳で獲得しており、40代でも充分に獲得が可能だろう。最優秀防御率も、規定投球回をクリアできれば可能性がある。
 2015年は40代のレギュラー選手の活躍に期待しながら、首位打者と最高勝率、最優秀防御率のタイトルに注目していきたい。



2015年01月03日

 B黒田に刺激を受けてエースの復権を望む

 プロ野球は、黒田博樹投手の広島復帰の話題で持ち切りである。日米での実績は、どちらも超一流であり、日米通算200勝まであと18勝に迫ってもいる。
 黒田の通算成績を並べてみると、次のようになる。

103勝89敗1セーブ、防御率3.69(日本:11年)
79勝79敗、防御率3.45(大リーグ:7年)

 プロ18年間で182勝を積み重ねたということは、安定して毎年10勝してきたということでもある。まさに歴史に残る好投手と言えよう。

 しかし、この成績を見て、私が思い浮かべるのは、黒田とほぼ同年代の好投手のことである。
 その投手は、次のような成績が残る。日本の11年とは渡米するまでの11年間だ。

112勝72敗1セーブ、防御率3.22(日本:11年)
8勝22敗1セーブ、防御率4.32(大リーグ:2年)

 渡米するまでの日本での実績は、黒田を上回っている。その投手の名は、川上憲伸である。川上は、1975年6月生まれであり、1975年2月生まれの黒田よりは1学年下にあたるが、ほぼ同年代と言っていいだろう。
 黒田が広島のエースとして長年活躍したのに対し、川上も、中日のエースとして長年活躍した。
 ともにエースのまま大リーグに移籍しているが、大リーグに移籍するまでの間、数々の栄光を手にしてきたのは、むしろ川上の方だった。
 常勝チームだった中日のエースとして3度のリーグ優勝と1度の日本一に貢献し、2004年には沢村賞やシーズンMVPも獲得して脚光を浴びてきた。

 大リーグ移籍1年目の成績も、川上と黒田は大差ない。しかし、川上は、大リーグ移籍2年目で右肩を故障し、そこからは度重なる故障に悩まされて、往年の活躍を見せられないでいる。

 2012年には、体のケアをしっかりしてもらえるということで古巣の中日に復帰し、復活する兆しを見せては故障で離脱してしまうという状況を繰り返している。3年間でわずか5勝という成績は、エースとして君臨する姿を知る身としてはあまりにも寂しく感じる。

 今回の黒田の広島復帰で最も刺激を受ける投手は、2000年代のライバルでもあった川上になるだろう。
 万全の調整を行い、故障せずに1年間先発ローテーションで投げられれば、まだ川上は、2桁勝利を挙げる力を持っている。それは、2014年の開幕投手に選ばれ、きっちり好投したことからも明らかだ。
 2015年には、黒田と川上が先発で投げ合う姿を何度も見られることを期待したい。




2015年01月04日

 C松坂がエース級の活躍をするために必要なもの

 いつのまにか大リーグから日本に復帰する選手の話題は黒田一色になってしまったが、私は、松坂大輔の方が気になっている。
 ソフトバンクに入団したということで、強力な打線の援護は期待でき、先発として試合を作れれば、それなりに勝ち星もついてくるだろう。

 しかし、序盤に四球から崩れるような試合が続けば、選手層の厚いチームだけに、登板機会を徐々に失っていくリスクもある。
 大リーグでの成績を見ていて懸念として浮かび上がってくるのは、松坂が右肘手術後、大リーグで最後までコントロールに苦労していたことである。

 あの桑田真澄は、右肘手術後、球威は落ちたものの、自慢のコントロールを狂わすことはなく、与四球を抑えて、3度の2桁勝利を挙げた。球威が落ちても、コントロールが落ちなければ、充分に通用することを示して見せた。

 松坂が右肘を傷める前に近い成績を残すためには、おそらくは落ちてしまっているであろう球威をカバーできるコントロールが戻ってくるかが重要である。

 松坂は、元々四球の多い投手で2001年には240回1/3を投げてリーグ最多の117四球を与えていた。
 しかし、その後、日本球界では次第にコントロールを身に着け、2006年には186回1/3を投げてわずか34四球と好転させている。成績も、2001年が15勝15敗、防御率3.60であったのに対し、2006年には17勝5敗、防御率2.30と大きく上げている。

 そのコントロールも、大リーグ移籍後の2008年には167回2/3を投げて94四球と再びコントロールが悪化してしまった。
 大リーグのマウンドや統一球が合わなかったというのはあるだろうが、それが最後まで克服できず、右肘手術後の2014年も83回1/3を投げて50四球と多いままである。

 松坂が2015年以降に日本球界で活躍するためには、日本の統一球にいかに早く対応できるかにかかっている。日本の球場は、松坂の大リーグ移籍前とほぼ変わっておらず、日本の球は滑りにくいため、大リーグ時代よりもコントロールが悪化することはないはずである。
 松坂が2006年並のコントロールを見せることができるかどうか。エース級の活躍を見せるためには、そこにかかっていると言っていい。




2015年01月09日

 D移籍を検討する選手の指針となりそうな3人の選択

鳥谷の阪神残留が決まった。
私は、11月に「内野手は大リーグ移籍が大きな賭けとなる」と題して日本で主要タイトルの獲得がない鳥谷が大リーグへ移籍するには、あまりにもリスクが高いことを書いた。

おそらくは、鳥谷の周囲にもそういう声が多く、また、大リーグの各球団の評価も不動のレギュラーとしてのものではなかったのだろう。
鳥谷は、熟考の末、阪神残留を決断したようだが、熟考すれば熟考するほど、阪神残留しか選択肢がなくなっていったということだ。

鳥谷の存在は、中日で言えば立浪に似た存在になりつつあり、鳥谷の堅実な守備力と安定した打撃をもってすれば、年齢を重ねてベテランとなっても、サードやセカンドでレギュラーとして活躍することも可能である。

阪神は、1990年代以降、ミスタータイガースと呼べるような生え抜きの名選手がなかなか育ってこなかった。井川は、大リーグで失速してしまったし、新庄は阪神に戻ってこなかった。金本や下柳、矢野は、他球団からの移籍だったし、藤川も大リーグへ行ってしまった。
しかし、鳥谷は、阪神一筋の道を選ぶことになり、今後、ミスタータイガースと呼ばれる存在になりうる実績をこれまで積み重ねている。

すさまじい人気を誇るスター選手というわけではないが、偉大なる職人といった存在である。
鳥谷には、連続試合出場記録をどこまで伸ばせるかと日本での3000本安打を達成できるかという2つの大きな期待を抱かせてくれる。

鳥谷の選択は、私のような第三者から見ても現実的で賢明な選択であったと感じる。大リーグで2、3年を準レギュラーや控えで過ごすよりも、日本でレギュラーを張って、ずっと全試合出場し続けた方が数段いい。
黒田の広島復帰、金子のオリックス残留、鳥谷の阪神残留と、このオフに注目を集めた選手がいずれも日本球界の最初に入団した球団を選んだということは、日本の球団が大リーグに劣らぬ魅力を持っているということも示したと言える。
日本人選手3人の選択は、冷静な判断に拠っており、今後、移籍を検討する選手たちの指針となりそうである。




2015年01月10日

 E奥村獲得を評価できるのは未来だけだ

今年のオフは、黒田の広島復帰を筆頭に驚かされることが多い。
ヤクルトが巨人にFA移籍した相川の人的補償として奥村展征を獲得したのもその1つだ。

奥村は、19際の内野手で、2014年はイースタンリーグで打率.212、2本塁打、20打点の成績を残している。主に二塁を守り、犠打も11決めているが三振も多いことから、あくまで素質を重視したのだろう。

それにしても、二軍でさえ、好成績とは言えない実績の19歳を獲得したことには、大きな疑問符をつけてしまう。
これは、もはや奥村をスカウトした者の目を信じるしかないだろう。

ヤクルトは、投手力に課題があるので、私は、ヤクルトが人的補償で獲得するのは投手だと高を括っていた。最下位のヤクルトにとっては、上位に上がっていくためには、野手よりも先発できる投手獲得が有効なはずだが、それをあきらめるほど奥村が魅力的な選手ということなのだろうか。

ヤクルトは、不安が残る投手陣に比べ、野手の人材が豊富である。さらに、問題は、ヤクルトの二塁手としては打率.324、29本塁打を残した山田哲人がいることだ。山田は、日本を代表する二塁手であり、あと10年は充分にレギュラーとして活躍することになるだろう。同じように三塁手として打率3割を残した川端がいるため、こちらもレギュラー獲得はかなり困難となる。

そうなれば、空いているのは、遊撃手となる。遊撃手は、森岡と荒木という2選手がレギュラーを争っているが、今後は、ここに奥村が挑戦することになりそうだ。

果たして、この人的補償での奥村獲得が成功と呼べるのかどうか。19歳の若手だけに長い目で見ていく必要がある。この人的補償選択が成功だったと断定できるのは、早くて5年後、遅ければ10年後という未来になってしまうのである。
5年後、奥村が遊撃手として不動のレギュラーとなっていれば、私は、ヤクルトの眼力を素直に称えたいと思う。





2015年01月11日

 F中日の正遊撃手は誰になるのか

 中日は、今年も投手を中心とした守りの野球を貫くようである。オリックスの金子を獲得できなかったことは心残りではあり、浮いた資金でもう1人くらい先発のできる外国人投手を獲得してもらいたいものだ。

 ドラフトや外国人獲得でほぼ戦力が固まってきた中、中日で最もレギュラー争いが過酷になりそうなポジションが遊撃手である。
 2014年から不動のレギュラー遊撃手であった井端が巨人へ移籍し、エルナンデスが正遊撃手候補として起用されてきたが、シーズン序盤は打撃不振で苦しみ、シーズン終盤は守備の粗さを露呈し、故障で離脱と、井端の穴を埋めたとは言い難い。

 2015年は、誰が正遊撃手を務めるのか。
 まず筆頭候補としては、2014年に遊撃手として最多出場したエルナンデスになるだろう。
 昨年の故障が癒えて万全の体調であるならば、日本野球に慣れた2015年は昨年以上の成績を残せる可能性が高い。遊撃手の中で肩の強さだけとれば、セリーグナンバー1の力を持っているため、打撃がよほど不振でなければレギュラー1番手となる。

 遊撃手は、捕手と共に守備に大きな重点を置かざるをえないポジションであり、守備力が高ければ、打撃は少々悪くても目をつぶってもらえる。打率.250以上残せれば、レギュラーとして成り立つのだ。
 巨人の坂本や元西武・現オリックスの中島のように、守備力よりもむしろ打撃に重点を置いて起用される選手もいるものの、遊撃手は捕手の次にハードなポジションであるとともに、守備の要であるため、守備力がまず最優先となる。

 そのため、中日では荒木雅博の遊撃手復帰もささやかれ始めている。つまり、高橋周平をサードで育て、1塁ルナ、2塁森野という打撃重視のスタイルにする案である。
 しかし、これは、打撃よりも守備を重視する中日の方針と、荒木の年齢や肩の不安、送球の不安定さを考慮すると、実現する可能性が低い。

 そうなると、エルナンデスがレギュラー候補一番手となるものの、エルナンデスが守備力の粗さや打撃不振、故障といった内容になった場合、誰が代わりにレギュラーを務めるかが重要となる。
 レギュラー候補の2番手は、地元出身でファンの多い堂上直倫ではあるが、堂上も守備力はそこそこ高いものの打撃力の成長が芳しくなく、なかなかレギュラー獲得の決め手となるものがない。
 オリックスから移籍した三ツ俣大樹や溝脇隼人も、1軍では決め手となるものを見せられていない。

 そうなると、新たに入団した選手にもチャンスが存在し、ソフトバンクの育成選手切れで獲得した亀澤恭平に期待がかかる。亀澤は、ソフトバンクの分厚い選手層の中で二軍に埋もれてしまっていた選手であり、俊足で守備も巧く、小技もできるため、1軍で起用し続ければ一気に開花する可能性を秘めている。
 また、ドラフト7位で入団した遠藤一星も、社会人から25歳での入団であり、1年目からレギュラー争いをしなければならない立場である。

 こう見てみると、6人が1つのポジションを争うことになり、エルナンデスを5人が追いかけるという展開になりそうである。
 追いかける5人にとっては、2軍で広い守備範囲と堅実さを見せ、さらには粘り強い打撃を見せることが重要になる。
 個人的には、アマチュア時代の又吉の先輩でもあり、ソフトバンクの圧倒的な戦力に埋もれながら2軍で最強チームの一員として活躍した亀澤恭平が開花するかどうかに注目しておきたい。




2015年01月24日

 Gそれでも中村紀洋の中日復帰を願う

 中村紀洋の契約がまだ決まらない。横浜DeNAを懲罰による戦力外となって、無所属のまま、春季キャンプの時期に突入しようとしている。

 私は、中村紀洋のファンだ。神主打法からの見事な右打ち、そして、一発を狙った豪快なスイング。打った瞬間それと分かる本塁打。他の打者が打てないときに打てる勝負強さ。あの立浪和義でさえ、天才的と称したその打撃は、一見の価値がある。さらには、安定したスローイング技術と卓越した強肩が光る守備。

 中村紀洋は、魅力的な打者であり、内野手である。球団によっては、まだまだレギュラー三塁手、一塁手、DHとして起用できるであろうし、代打としてならほぼすべての球団で戦力として扱われるだろう。
 しかし、現在、まだどの球団も獲得に至っていない。2101安打、404本塁打を放った大打者がこのまま現役を終えてしまってはあまりにも残念である。

 現在、インターネットを見ると、中村紀洋を叩く記事やコメントが溢れかえっている。
 近鉄、大リーグのドジャース、オリックス、中日、楽天、横浜DeNAとそれぞれ所属した球団で物議を醸してきた中村に対して、世間は、ヒールのイメージを植えつけられている。誤解も多く含まれてはいるのだが、活字で残ったものが信じられてしまう時代になったため、悪い印象だけが膨張していく。
 それだけに、ほとんどの球団が獲得に二の足を踏むという状況が起きるのだ。

 今回、中村紀洋がDeNA首脳陣の盗塁作戦に反対意見を進言して2軍降格、そして、戦力外通告に至った背景には、野球観の相違がある。

 問題の場面は、2014年5月6日のDeNA×巨人戦だ。1回表、スコア0−0での2死1塁、走者に梶谷を置いた中村紀洋の打席で、梶谷は、盗塁をした。中村は、1塁が空いたこともあって、四球で歩かされる。
 さらにスコア2−1で迎えた8回表2死1塁で再び走者梶谷を置いて、中村が打席に入り、走者梶谷が走ったときに中村が三塁ゴロを放って併殺打となった。
 中村は、このとき、コーチに対して、場合によっては走者を動かさず打撃に専念させてもらうことを希望したが、それが采配批判と受け取られ、結局、戦力外となった。

 この件に関しては中村に分が悪かったと言わざるを得ない。梶谷は、売り出し中の若手で、2014年は、盗塁王を獲得するほどの活躍を見せ、チームに大きく貢献した。打撃が成長し、俊足を武器にする梶谷が四番中村の前の三番を打つことになったことが中村にとっては不運だった。
 また、状況がスコア0−0や2−1の場面であり、ランナーを得点圏に進めることが最優先と考えるのが一般的なケースだけに、中村の意見が少数派となってしまうのは仕方ない。

 しかし、この前兆となった出来事が2012年8月15日のDeNA×阪神戦にもあった。その試合の場合は、2014年とは状況がまた異なる。
 9−5とDeNAがリードして迎えた7回裏2死1塁で走者内村を置いて中村が打席に入り、内村が盗塁をした。しかし、それで集中力を欠いた中村は、三振を喫してしまい、ベンチに戻ってきてから内村に説教するという騒ぎを起こした。このときも、中村は、2軍降格となっている。
 このケースでは、盗塁をせずに中村の長打に期待をかけてもいい場面であり、盗塁を自重する意見も尊重されてしかるべきである。1990年代以前に活躍したような往年の大打者が打席に立つときは、盗塁を自重するという暗黙の了解も存在していた。

 勝ちの確率がかなり高い状況で多くのファンが見たいのは、2死2塁から中村が四球で歩かされることではなく、2死1塁から中村が長打を放って得点することである。この考え方は、現在では前近代的な考え方になってしまうのだが、ファンは、石橋を叩いて渡る戦法よりも、積極的に打ちまくる戦法を好むからだ。
 つまり、確実に勝ちに行く戦法は、面白くないが現代的であり、ファンを喜ばせる戦法は、面白いが古典的なのだ。

 中村紀洋がここまで古典的な戦法を好むのは、2001年の近鉄という極めて魅力的なチームに所属していたからだろう。
 この年、46本塁打の中村と55本塁打のタフィ・ローズを筆頭に、いてまえ打線が打ちまくった近鉄は、チーム本塁打211本を放ちながら、一方でリーグ最低防御率4.98、リーグ最低盗塁数35を記録する。
 打線の力だけで優勝した最初で最後のチームと言ってもいいほどで、このチームこそ、試合を見ていて面白くて仕方がない、まさにファンが理想とする奇跡のチームだった。

 しかし、その一方で、この年の近鉄は、前近代的なチームとして最後の輝きを放ったと言っても過言ではない。
 その後、時代はどんどん変化を遂げ、確率や理論に基づいた細かい野球へと変貌を遂げて行ったからである。
 打ち勝つ野球が低評価となっていった反面、もてはやされるようになっていったのは、バントや盗塁、エンドランを多用し、少ない得点を継投で守り抜く野球である。
 2011年の飛ばない統一球導入で、ますますその傾向に拍車がかかったことは否めない。
 それだけに、自らの打撃に自信を持ち、古典的ではあっても、誰が何と言おうと自らのスタイルを貫く野武士のような中村には、まだまだプロ野球で活躍してほしい。

 私としては、中村は、再び中日に入団してほしいと願う。53年ぶりの日本一の立役者であるとともに、中日にいたときの中村が最もしっくりきていた。現在は、打撃の師匠である落合がGMでもある。
 2年目のオフに三塁手から一塁手への転向を拒んで楽天へ移籍したことのみがひっかかるところではあるが、ファンも中村に対しては比較的好意的である。

 さらに、現在の中日に足りない部分は、右の代打の切り札である。左には小笠原道大がいるが、右の代打としては、勝負強さとパンチ力、経験を兼ね備えた打者が不在なのだ。
 中日が再び常勝軍団となるために、中村が右の代打として加わることは、他球団に大きな脅威となる。それだけに、中村には、中日へ復帰し、きれいな形で現役を終えてもらいたいと願うのである。


2015年01月31日

 H江夏豊は野球殿堂入りすべきプレーヤーだ

 江夏豊が阪神の春季キャンプで臨時コーチを務めるという。
 そのニュースを見ていて、ふと「江夏豊はまだ野球殿堂入りしてなかったよな」と思い、調べてみた。
 すると、やはりまだ殿堂入りしていない。
 それどころか、候補にすら上がっていないのである。引退後21年を経過しているので、エキスパート部門で候補資格はあるはずなのに。

 通算200勝200セーブポイントを達成した唯一の投手であり、不滅のシーズン401奪三振を達成した投手であるにもかかわらず、これはどうしたことなのか。一説には過去の覚せい剤取締法違反での逮捕歴が影を落としていると言われる。

 しかし、野球殿堂は、野球の発展に大きな貢献をした人に贈られる表彰なので、20世紀最高の投手との呼び声も高い江夏が選ばれていないのは明らかにおかしい。

 そもそも、候補にすら挙げないのは、あまりにも世間体と悪意が先行しすぎていないか。

 さらに、殿堂入りには、候補に挙がった人の中から、約100人による投票で得票率75%を獲得する必要がある。75%とはきわめて難関である。
 競技者表彰として選出された人数を2001年以降で見ると下記のとおりとなる。

2001年1人
2002年4人
2003年2人
2004年1人
2005年2人
2006年3人
2007年1人
2008年2人
2009年2人
2010年2人
2011年2人
2012年2人
2013年2人
2014年3人
2015年1人

 最近15年間でわずか30人しか選出されていないのである。2015年には古田敦也ただ1人という寂しい結果となった。票がばらければ、誰1人として選出されない年も出てくる可能性がある。それほど価値のあるものなのだ、という意見もあるかもしれないが、元々独自で決めた100人に選ばせているだけに、公平性すら欠くこの選出方法は改善の余地がある。
 選手・指導者としての実績をポイントとして考慮できないものか。それが無理であったとしても、せめて、70%程度の獲得で殿堂入りが決まれば、もっと多くの名選手・名指導者が表彰されるはずだ。

 2016年には、選出方法を改善し、江夏豊をエキスパート部門の候補に挙げてもらいたい。
 20世紀最高の投手江夏豊が入ってない野球殿堂には、欠陥を感じずにはいられないからである。





(2015年1月作成)

Copyright (C) 2001- Yamainu Net 》 伝説のプレーヤー All Rights Reserved.


inserted by FC2 system