2014年10月のコラム

犬山 翔太
 
2014年10月26日

 @戦力構想外の選手たちにもっと長い猶予期間を

この時期が寂しく感じるのは、かつて活躍した名選手が来季の戦力構想から外れ、退団を余儀なくされるニュースである。
かつて、一世を風靡した選手も、数年活躍しない時期が訪れると、ファンでなければ、その活躍すらも忘れ去られてしまいがちになる。

そして、退団する選手の中には、まだまだこれから活躍できるのではないか、という選手も数多く含まれているように感じられる。
今年のオフ、球団の構想外となった選手の中で、1軍でレギュラーとして活躍し、記憶に残っている選手を挙げてみると以下のようになる。

藤井秀悟 2001年 14勝8敗、防御率3.17
中村紀洋 2001年 打率.320、46本塁打、132打点
吉見祐治 2002年 11勝8敗 防御率3.64
岩村明憲 2003年 打率.300、44本塁打、103打点
三瀬幸司 2004年 4勝3敗28セーブ、防御率3.06
石井義人 2005年 打率.312、6本塁打、38打点
赤田将吾 2006年 打率.293、2本塁打、34打点、16盗塁
神内靖 2006年 6勝3敗1ホールド 防御率3.22
久保田智之 2007年 9勝3敗、46ホールド 防御率1.75
小林宏之 2007年 13勝3敗 防御率2.69
荻野忠寛 2008年 5勝5敗30セーブ、防御率2.45
日高剛 2008年 打率.269、13本塁打、47打点
押本健彦 2008年 5勝6敗1セーブ27ホールド 防御率3.34
斉藤悠葵 2009年 9勝11敗、防御率3.99
越智大祐 2009年 8勝3敗10セーブ、24ホールド 防御率3.30
真田裕貴 2009年 5勝4敗19ホールド 防御率2.98
塀内久雄 2009年 打率.302、4本塁打、10打点
G.G.佐藤 2009年 打率.291、25本塁打、83打点
西村憲 2010年 7勝3敗14ホールド 防御率3.89
藤江均 2011年 3勝0敗15ホールド 防御率1.58
小林正人 2011年 5勝0敗18ホールド 防御率0.87
鈴木義広 2011年 2勝1敗12ホールド 防御率1.08
多田野数人 2012年 6勝5敗1ホールド、防御率3.70
高木康成 2012年 3勝1敗 6ホールド 防御率1.44

成績は、私が個人的に各選手のベストシーズンと呼べる年を挙げてみた。
こうして眺めてみると、日本代表チームが結成できそうな成績であることが分かる。

この中には、故障によって急激に力を失った選手も含まれているし、年齢による衰えによって力を失った選手もいる。チーム事情によって出場機会を失った選手もいるし、不調から抜け出せない選手もいる。

プロの世界は、心技体が万全でようやく一流の成績が残せるかどうか、という厳しい世界である。
それだけに、かつて活躍した選手も、数年活躍できなければ、退団に追い込まれることもある。
並外れた実績を同一球団で長年にわたって出し続けた超一流の選手は、球団から功労者として盛大な引退セレモニーをしてもらえるが、そうでない場合は、寂しく退団することも少なくない。

私は、たとえ1年や2年であっても一流と呼べる成績を残したのであれば、球団はその功績を認めて、再起を図る期間を長く設けてほしいと望む。

上記の成績を見てみても、過去5、6年間くらいでベストシーズンとなる成績を残している選手は、まだまだ活躍できる可能性を秘めている。かつて、栄光の実績を残した選手は、その経験を生かしてここぞの場面で活躍できる可能性もある。
各球団には、名選手たちの実績を尊重して、もっと長い猶予期間を設けてほしいのである。



2014年10月25日

 A高校生0人、大学生3人、社会人6人のオレ流指名

今年のドラフトは、不作という下馬評が駆け巡っていたため、阪神の日本シリーズ進出の陰に隠れてしまった印象が強いが、こういった年こそ、各球団のスカウト力の見せどころである。

不作と言われていても、将来、チームの看板となるような選手は何人も出てくるわけであって、超大物と言われる選手以外のところで、プロで大勢できる素質をどこまで見極められるかが重要となってくる。
目玉選手であった有原航平は日本ハム、安楽智大は楽天に決まったが、2人とも肘に故障を抱えているだけに、どこまで回復し、将来に及ぼす影響はいかほどか、というのは、球団の調査力が問われる。

そして、注目したいのは、今年のドラフトの戦略に、チーム状況がきっちり現れていることである。
セリーグ優勝を果たした巨人は、高校生1人、大学生2人、社会人1人の計4人で指名を終了し、FA選手や外国人選手の大型補強を中心としているチームカラーを見せつけた。
育てることに定評のある広島は、高校生4人、大学生3人、社会人1人という将来に重点を置いた補強をしている。

また、パリーグ優勝を果たしたソフトバンクも、高校生4人、大学生1人、社会人0人の5人の氏名に留まり、即戦力ではなく、将来の素質に期待して育てることを念頭に置いた指名となった。

その一方、2年連続4位に終わった中日は、高校生0人、大学生3人、社会人6人という即戦力を中心にした指名を行い、ソフトバンクとは対照的となった。
今年は、事実上、落合GM、谷繁監督体制となって初めて1年間かけてアマチュア球界から選出するとあって、かなり注目してきたが、チームとして足りない先発投手層、和田・谷繁・井端の後継者といった観点から、着実に補っていく指名となった。

高校生0人という中日の思い切った選択は、いかにも落合GMのオレ流戦略といったところだが、落合GM、谷繁監督体制として1年間で自前の戦力を見極めたうえで、アマチュア球界の人材を検討してきた結果であるだけに、指名した9人のうち、何人が中心選手として成長していくかは見ものである。
特にドラフト1位、2位の野村投手、浜田投手には1年目から先発ローテーションに入れるかどうか、というところがチーム浮沈のカギを握る。特に浜田投手は、変則モーションなのでプロでもなかなか慣れるまで打てない、と考えられるので、シーズン当初からの活躍を見たいところである。



2014年10月12日

 B2011年ヤクルトの明日なき戦いをもう1度

ヤクルトの小川淳司監督が2014年限りで退任となったが、小川監督と言えば、記憶に残るのが2011年に見せた「明日なき戦い」である。

2011年のヤクルトは強かった。シーズン中盤まで首位を独走していたヤクルトは、打者もバレンティン、宮本、青木を中心にバランスのよい打線が出来上がっていたが、それ以上に強力な投手陣が揃っていた。
石川、館山の両エースを筆頭に、ローテーションには由規、赤川、増渕、村中がいた。
中継ぎもバーネット、押本、松岡、久古が安定していた。そして、抑えには林昌勇が控えていた。
そんな豪華だった投手陣が今は見る影もない。
あの年の後半、ヤクルトは、この投手陣を酷使に酷使を重ねた。すべての試合を勝ちに行くために、フル回転させたのだ。
悲壮感を漂わせながら必死に投げ続けるヤクルトの投手陣を横目に、シーズン序盤から選手を適度に温存させながらシーズン終盤に備えた中日の追い込みの前に屈したのだった。

そして、翌年以降、ほとんどの投手が故障に悩まされた。
もし、この年、無理してのリーグ優勝にこだわらず、投手陣を大事に使っていれば……。
しかし、そうしていれば、あの熱狂的な2011年終盤の優勝争いはなかったかもしれない。
2011年終盤に明日なき戦いを挑んだヤクルトの戦略は、正しかったのか。それとも、間違いだったのか。

その答えは、その1年にすべてを賭けるか否かの選択にどれほどの価値を求めるかという考え方の違いになってくるだろう。

2011年のリーグ優勝にこだわらなければ、2012年以降、ヤクルトは、極端な下降線をたどらずに済んだかもしれないが、2011年にリーグ優勝間近まで行くこともなかっただろう。

あの年、リーグ優勝できなかったが、明日なき戦いが失敗だったのかと問われれば、そうではない。
あのような熱狂的な戦いを見られるシーズンは、毎年のようにあるわけではなく、ほんのわずかな限られたシーズンでしか見られないからだ。

2012年、2013年、2014年のセリーグのように、ほとんど盛り上がりを見せずにいつのまにか巨人のリーグ優勝が決まっていた、というシーズンを見ると、2011年のヤクルトの戦いは、魅力的だった。

資金力の豊富な球団は、大型補強によってチーム力を長年維持できるが、そうでない球団は、一時的にしかチーム力を維持することが困難である。たとえ維持できたとしても、何とかAクラスを保てるのが関の山となる。

それゆえに、ヤクルトのようにチーム力が揃った1年にすべてを賭けるという2011年の選択は、素晴らしい一瞬の輝きを放った。
ヤクルトには、もう一度ああいうチームを作り上げて、熱狂的な優勝争いを見せてもらいたい。


2014年10月11日

 C沈没した船は、水面間近へ。2年目で浮上できるのか

勝つことは難しい。

2013年の中日:64勝77敗 借金13 首位との差22ゲーム 順位4位
2014年の中日:67勝73敗 借金6  首位との差13.5ゲーム 順位4位

チーム作りが1回のオフだけで何とかなるものではないということが明らかになった1年だった。

2010年、2011年とリーグ連覇を果たした中日も、中日OB中心の首脳陣に入れ替えた2012年、2013年と目に見えて地盤沈下を起こしていき、このままでは2014年は最下位に転落してしまいかねない状況だった。
1990年代以前の10年に1回優勝できるかどうか、という状況にまで落ちぶれてしまった中日は、落合監督時代の常勝に慣れてしまった中日ファンにとっては見るに堪えないことが痛感できた空白の2年間となった。

チームの立て直しをすべく就任した落合GMは、その惨状を目の当たりにして「沈没した船」と表現し、2014年のリーグ優勝についても「狙っていかなければならない」と歯切れが悪かった。
監督時代の落合がシーズン前にリーグ優勝を公言していたことに比べ、明らかに悪化したチーム状態が読み取れたものだった。

2014年は、谷繁元信監督、森繁和ヘッドコーチで立て直しを図り、ほとんど補強をせずに現有戦力の鍛え直しで浮上を図り、借金を半分以下に減らすことはできたものの、Aクラス復帰は叶わなかった。沈没した中から水面になんとか姿を見せるまでに浮上してきたというところである。

吉見、浅尾、川上、ルナ、荒木、平田、和田、岩瀬、高橋聡、浜田、朝倉、エルナンデスなど、レギュラー選手に故障が続出し、結局、ベストメンバーで戦えた期間はなかった。

とはいえ、投手の防御率は、3.69でリーグ2位と投手王国復活の兆しを見せ始めている。

あとは、先発投手の質を高めて年間通してローテーションで投げ、大きな貯金を稼げる投手が2人くらい出てくれば、リーグ優勝も狙える。
そして、リーグ最低のチーム本塁打数に終わった4番不在の解消ができれば、かつての常勝時代を取り戻すことができるはずである。

今年のオフは、そういった足りない部分の補強と、さらなる練習の強化によって2011年までの安定した地盤を作り上げることが必要である。
昨年は、ほとんどしなかった選手の入れ替えを今年は積極的にするようなので、このオフのチーム編成に注目しておきたい。


2014年10月05日

 D四球攻めを防ぐ改善が困難である現実

見飽きた光景である。2014年10月4日の楽天×オリックス戦で首位打者を狙う楽天の銀次選手が5打席連続四球を受けたことについてだ。
試合前まで首位に立つオリックスの糸井選手が打率.331、2位の銀次選手が.326である。
糸井選手は、試合を欠場し、銀次選手は1番打者として先発出場。その時点で全打席四球という結果は見えていた。
日本では、伝統的に繰り返されてきた行為だからである。

私は、10年以上前にも同じようなコラムを書いた記憶があり、いまだ何も改善されることなく、タイトル争いの中で、故意の四球が物議を醸していることになる。

それほどタイトルという肩書は、選手にとって重要なものであり、2位じゃ駄目なんです、という証ではあるのだが、やはり釈然としないものが残る。
かつては、連続四球という記録が残り、伝説として後世まで語り継がれるのだから、と私は、肯定していたが、何らかのルールがあった方がいいことは確かである。

2位の打者への連続四球という事態を防ぐ方法は、ルールを変えてしまえばいいのだが、それがなかなか実現しにくいことも事実である。

@1位から3位までが確定した段階で消化試合を打ち切る。
A首位打者争いをする打者に連続四球を出した時点で、何らかのペナルティーを与える。

手っ取り早く改善するのであれば、この2つの方法が浮かぶ。しかし、1位から3位までの順位が最終試合まで確定しない場合もあり、勝負していても結果的に連続四球になってしまう場合もあるので、なかなかルール化は難しい。最多安打や最多奪三振といった数の積み上げを狙う選手まで犠牲にしかねない。

私の記憶にこびりついて離れないのは、1991年の落合博満と古田敦也の壮絶な首位打者争いで、ヤクルトが落合を6打席連続四球で歩かせれば、今度は落合が別の試合で6打数5安打と打ちまくって逆転し、さらに、最後は古田が1打数1安打で再逆転して首位打者になる、という劇的なものとなった。
最終的には最初からリードしていた古田が首位打者に立ったので、いかにシーズンの最後の最後で逆転することが難しいかが如実に分かる。

ファンの心理としては最後まで正々堂々と勝負して、と言いたいところではあろうが、残り数試合になったところでリードを許してしまっている、というところが最大の落ち度でもあるのだ。
首位打者を獲るために大事なのは、残り5試合程度になるまでに、打率争いで1位に立っていることである。

確かにルールによって、四球合戦が起きないようにする工夫があればベストではあるが、問題のない有効な手立てがない以上、シーズン最終盤になれば四球攻めに遭うことを想定して、消化試合になるまでに1位に立たねば首位打者は獲得できない、という認識で見るしかなさそうである。


2014年10月05日

 Eオリックスは金子の残留交渉に全力を

本当に惜しかった。1996年以来のリーグ優勝が見られるのではないか、とかなり大きな期待をしたオリックスだったが、最後は、死力を尽くした末、力尽きたという印象である。

私は、1984年頃からプロ野球を見るようになって、まず応援し始めたのが当時の阪急だった。当時は、山田久志や今井雄太郎、佐藤義則ら個性的な投手陣がいて、野手陣もブーマー、福本豊、蓑田浩二、松永浩美といったこちらも個性的な選手ばかりだった。
そんな、あか抜けていない野武士みたいな集団が走好守にわたって抜け目のない野球をしていたので、私は、一気にファンになって応援するようになったのだった。

当時は、現在のように契約さえすればプロ野球の全試合が見られるような時代ではなかったので、ニュースでいいところだけを見る程度ではあったが、それでも山田久志や福本、ブーマーらの突出した能力は存分に伝わってきた。

1990年代にはイチローが登場し、1995年・1996年にはリーグ2連覇を達成する。しかし、それ以来、めっきりリーグ優勝から遠ざかってしまったのである。当時は、イチローが大リーグへ移籍してしまうことはおろか、こんなに長くオリックスがリーグ優勝から遠ざかるなんて、思ってもいなかった。

それがあれよあれよという間に18年が過ぎてしまった。延長10回表に1−1で2死満塁という大チャンスを迎え、ペーニャが打ち上げたファールフライが天井に当たって、スタンドに入らず、グラウンドに跳ね返ってきて捕られてしまったとき、オリックスがリーグ優勝に手が届かないことを悟ってしまった。
不運なアウトの後、ソフトバンクの松田が優勝決定サヨナラ安打を放ったとき、オリックスの選手たちの多くは、足元から崩れ、涙に暮れていたことがオリックスの長い低迷を際立たせていた。オリックス一筋で働いていたら、1度もリーグ優勝を果たせずに引退する選手がほとんど、という状況なのである。

仮に、今年のオフにエース金子が移籍してしまえば、またリーグ優勝のチャンスが遠のく可能性が高くなる。それだけに、今年の首位争いには、かなり大きな期待をしたが、夢は破れてしまった。
オリックスには、金子の残留交渉に全力を傾けてほしい。チームが好成績を残すには絶対的エースの安定した成績が必須である。金子には、田中将大のように、何とかチームをリーグ優勝に導いてから、移籍をしてもらいたいものである。




(2014年10月作成)

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