0勝からの修正  〜桑田真澄の新たな挑戦〜

山犬
 
   1.勝てなくなっても

 数々の栄光と実績を積み重ねた大投手が0勝や1勝に終わったとき、それは何を意味するのか。
 その問いかけに「引退」の2文字を思い浮かべる者は多いだろう。100勝、200勝と勝ち星を積み重ねた往年の大投手であっても、現役最後の年に挙げた勝利数は0勝か1勝が多い。良くても5勝に満たない勝ち星しか挙げられない投手がほとんどである。
 無論、例外として13勝を挙げた年に引退した江川卓や10勝しながら引退した村田兆治、28セーブを挙げながら引退した宣銅烈など、余力を充分に残した美しい引き際というのもある。彼らは、確かに年齢による衰えはあったが、そんな周囲が認める衰えよりもむしろ自らが感じた衰えによって限界を決め、引退していった。つまり自分がエースとして守護神としての働きができなくなったと感じたとき、彼らは選手生活を終えたのだ。四番手や五番手の投手として生き残る道はあっても、彼らはその選択をとらなかった。横綱が下の地位に落ちることを許されず、負けが込めばすぐ引退を迫られるように、彼らは自ら横綱級の潔い辞め方を選んだのである。
 だが、大抵の場合においては、自他ともに認める衰えにより引退をする。投手で言えば、勝てなくなるということは、プロの世界ではもはや通用しないほど衰えたことを意味するのが通例である。よほどのことがない限り、引退を選ぶ投手がほとんどと言っていい。
 
 だが、そこに疑問を投げかけようとしている投手がいる。桑田真澄である。
 2005年の桑田は、不振に苦しんだ。0勝7敗。マスコミは、勝てない部分だけを見て、8月頃から限界説を展開し始めた。その行き過ぎた論調には怒りを覚えることも多いが、勝てなくなった大投手の多くがこれまで引退の道を選んできた歴史を考えれば、マスコミが騒ぎ立てるのも分からぬではない。
 だが、一旦、勝てなくなった投手がもう二度と勝ち続ける日々がやってこないというような予見は、あまりにも短絡過ぎはしないか。

 かつて、輪島功一は、世界王座から陥落した後、周囲の低評価を覆して2度にわたって王座に返り咲いた。どん底を味わい、周囲から限界説を唱えられようとも、走り続ける限り、道が開けてくる可能性はあるはずだ。
 黒木知宏も、長年のリハビリを乗り越えて復活への道を歩んでいる。高橋尚子だって、一時は引退をささやかれながらも、復活の道を模索中である。桜庭和志も、三浦知良も、再び頂点に立つための努力を惜しまない。
 桜庭和志は「負ければ引退、引退と騒がれ、勝てば復活、復活と騒がれる」と皮肉っていたが、マスコミはいつでも自らの入手した情報を売るために、鮮烈な言葉を並べたがる。
 だが、周囲がむやみに騒ぎ立てて、その可能性を摘み取ろうとするのは、輝かしい実績を積み重ねたベテラン選手に対してあまりに礼を失するのではないだろうか。


  2.苦境で力を発揮する

 桑田は、言わずと知れた巨人生え抜きのベテラン投手である。PL学園で3年間にわたって甲子園を沸かせ続け、プロ入団後も巨人のエースナンバーを背負って何度も巨人の優勝に貢献してきた野球界きっての功労者でもある。プロ2年目の鮮烈な好投の連続、何度も名勝負を演じたKK対決、野手顔負けのフィールディング、10.8での伝説のリリーフ、1997年の感動の復活など、桑田は、プロ野球界の先頭を走ってきたと言っても過言ではない。
 その桑田が2002年に12勝6敗、防御率2.22でセリーグの最優秀防御率に輝いたとき、誰が3年後にここまで苦闘すると予想しただろうか。

 以前、中日に在籍した小野和幸は、1988年に18勝4敗で最多勝を獲得した翌年、不振に苦しんでわずか1勝8敗に終わった。野球というスポーツは、1994年のイチローのように一気に頂点に駆け上がることもあるが、一気に奈落の底へ落ちてしまう危険も孕む。打者が1打席1打席の積み重ねであり、投手が1打者1打者との勝負の積み重ねであるという性質上、スランプが長引けば長引くほど、シーズンの成績に及ぼす影響も大きくなる。
 誰しも、毎年毎年タイトルを獲得する好成績を残し続けられるわけではなく、少なからず波はある。個人差こそあれ、故障や年齢、フォームの崩れや体調などによって不振に苦しむ年はあるのだ。

 桑田も、苦境に陥るのは、2005年が初めてではない。
 プロ入り後だけでも、山あり谷ありの選手生活を送ってきた。入団1年目にはPL学園のチームメイト清原和博が早くも実力を見せつけて大活躍する陰で、わずかシーズン2勝に終わった。
 鳴り物入りで入団しながら期待外れに終わったことで、桑田の打撃センスを生かして打者転向を勧める声が高まったが、桑田は、2年目に15勝を挙げることによって周囲の雑音を打ち消してみせる。
 1990年に登板日漏えい疑惑で騒がれたときも、14勝を挙げる活躍を見せたし、1991年に不動産投資による多額の負債が明らかになったときも16勝を挙げて周囲の喧騒に惑わされることなく好結果を残した。
 1995年に右肘を故障し、手術で約2年間を棒に振った後の1997年も10勝を挙げて復活を果たしたし、2002年に先発投手としての立場が危うくなったときも12勝を挙げる活躍で乗り越えてきた。

 言ってみれば、桑田は、逆境にあっても、本来の力を充分に発揮することによって何度も切り抜けてきた投手である。ましてや、生き馬の目を抜くほどの厳しいプロ野球の世界で20年間にわたってエースナンバーを背負ってきたことは、並大抵の実績ではない。
 しかも、常にマスコミの厳しい論調と、大勢のファンの視線にさらされる巨人という特別な球団でである。
 0勝という屈辱的な数字で2005年を終えた桑田は、プロ入り最大の危機に瀕している。それでも、桑田は、再びエースとしてマウンドに立つ日を描く。
「オセロのように、もう駄目かなと思っても何かのきっかけでひっくり返ることもあるんだから」
 テレビのインタビューで明るくそう語る前向きな姿勢には、まだ終わりを感じない。またオセロのような大逆転を実践して、僕たちに「ほらね」と言ってくれそうな気がするからである。


  3.周囲の喧騒の中で

 それにしても、どうして日本のマスコミは、これほどまでに桑田と清原を標的にするのだろうか。
 集約するなら、それは彼らの突出した野球人生にあるだろう。彼らは、甲子園という巨大な存在の中でわずか16歳にして全国区のスターに祭り上げられた。それは、プロ野球という日本で最も注目されるスポーツの舞台でも変わることはなかった。むしろ、さらに加熱したと言ってもいいかもしれない。
 桑田は、最高の人気を誇る巨人のエースとして、清原は、常勝西武の主砲として。
 彼らのサクセスストーリーは、どれをとっても売れるネタであったし、彼らの言動は、一つでもちょとした脱線があれば、全国を巻き込む批判の対象となりえた。
 パリーグで本拠地が埼玉県所沢市という西武の清原は、ある程度、マスコミの矛先をかわせても、巨人にいる桑田は、そうはいかなかった。
 天性のキャラクターで矛先をかわせた長嶋茂雄や完璧な紳士ぶりでマスコミと良好な関係を築いた王貞治と違って、高校を出たての若者ではそう手際よく対応できるものではない。
 マスコミは、桑田が好調なときは野球以外でスキャンダルになるネタをあら探ししては叩き、桑田が不調のときは面白いように叩き続けた。
 2005年は、往年の球威がないからもはや限界なのだという論調に終始したと言って良い。だが、そうであるならば、2005年とさほど球威が変わるとは思えない2002年の好成績はどう説明をつけるのだろう。

 野球は、単純なスポーツではない。150キロ近い球が投げられるから成功するわけではないし、トスバッティングで本塁打を多く打てるから成功するわけでもない。直球が120キロ台の名投手もいれば、本塁打をめったに打たない好打者もいる。
 現在、大リーグで活躍を続ける大塚晶則は、近鉄時代の2001年に深刻な不調に陥ったことがあった。そのとき、不調脱出の決め手となったのが、靴の底に敷くわずか数ミリのゴム板だったという。
 野球というスポーツは、ミリの駆け引きがきわめて重要となる。ボールにバットを当てる位置が数ミリずれただけで本塁打が凡フライになってしまうし、投球のタイミングが数ミリ秒ずれただけでファールがヒットになってしまうのだ。

 少々崩されても本塁打にできる反射神経があるうちや、打者と狙いとタイミングが合ってしまっても抑え込める球威があるうちは、そういう数ミリの狂いが隠れてしまうこともある。だからこそ、パワーヒッターや剛球投手は、短命に終わることが多いのだが、一部のそういった選手達を除けば、たいていは数ミリという単位の中で勝負していかなければならない。
 打者は、スイングにぶれがない安定した打撃フォームやタイミングのとりやすい待ち方が必要になったりするだろうし、投手は、遅い球を速く見せる技術や打者が見にくい球筋の投球フォームが必要になるだろう。

 イチローは、1994年以来、常にトップクラスの打撃成績を残しているが、それでもシーズンによって多少の波がある。その理由は、まだ明らかにされたことはないが、あるインタビューで「目に見えないほど微妙な感覚」というものが毎年毎年変えたり変わったりしているといった話をしていた。
 仮に野球の極意が「目に見えないほど微妙な感覚」に左右されるのだとしたら、極めて繊細な感覚のずれによって、好成績が出たり、不振に陥ったりすることになる。
 確かに野球の好調や不調というのは、なかなか見かけや言葉では説明しえない要素を多く含んでいる。ということは、どこかの微妙な部分の修正で大きく状況が逆転する可能性を限りなく含んでいるということでもある。

 2005年10月28日、桑田が巨人と2006年の契約更改を済ませたというニュースが流れた。0勝に終わった翌年ということで、またしても桑田は、全国的な好奇の目の中で投げ続けることになる。
 先発ローテーションで勝ち星を積み重ねれば、マスコミは『復活!復活!』と騒ぎ立てるであろうし、2005年と同じように勝てなければ『引退!引退!』と騒ぎ立てるだろう。
 だが、僕は、重要な部分をそこに起きたくない。桑田が2005年0勝という結果から、どういった修正を施してくるのか。そこに焦点を合わせていたいのである。



(2005年10月作成)

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