「月が近づけば少しはましだろう」(ASKA作品)を語る
山犬

 名曲には2通りのタイプがある。誰が歌っても、感動を呼ぶ楽曲が1つであり、このタイプがほとんどでもある。
 だが、もう1つのタイプとして、そのアーティストが歌ってこそ、感動を呼べる楽曲というものが存在する。この声、この歌い方、そしてこの音域でないと楽曲の持つ力が発揮されない。
 「月が近づけば少しはましだろう」は、まさにそういったタイプの楽曲である。おそらく他の一流アーティストが歌っても、本当にこれが「月が近づけば少しはましだろう」なのか、と疑ってしまうにちがいない。

 この楽曲が発表されたのは、1995年2月27日のアルバム『NEVER END』のラストを飾る楽曲としてで、ファンの間では人気があったものの、シングル化はされなかったため、一般の人々にはあまり広まることがなかった。
 ただ、ASKAがこのアルバムのPRとして出たテレビ番組でこの楽曲を歌っているところからして、ASKAとしては一押しの力作だったことはうかがえる。

 その後、時間を経るにつれて、この楽曲の評価は高まり、2005年から2006年にかけてのコンサート『My Game is ASKA』では、至るところで高評価の声が挙がっている。そして、ファンの間では、ASKAソロの楽曲の中でトップを争うほどの人気を得ようとしている。当時、十代だった私には、この楽曲の意味をほとんど理解できておらず、流行歌とは異質な重さのあるメロディーを持つこの楽曲がASKAの代表曲になるとは想像していなかった。だが、それから様々な人生経験を経てきた現在の私には、この楽曲が時間をかけて代表曲と評価を受けた理由が少しずつ理解できるようになった。
 現在では、もはやASKAのライブにも欠かせない楽曲となりつつある。だが、ASKA以外の人々がこの楽曲を歌うことはほとんどないだろう。この楽曲を深く理解して、その想いを正確に歌いこなせるのは、ASKA自身しかいないからだ。

 彼の作品で、そういうタイプの楽曲を他に挙げるなら何があるかと聞かれれば、僕は、CHAGE&ASKAで発表した「BIG TREE」や「Trip」を挙げる。この2曲もまた、CHAGE&ASKAでなければ、歌いこなすことが不可能な楽曲だからである。
 「月が近づけば少しはましだろう」は、人間の弱さを見せるところは、高く搾り出すような哀愁のある歌声、そして、そんな弱さを必死にこらえる歌声、やりきれない想いを吐露する高く太く響かせる歌声、そして人の歌声とは思えない心の底からの絶唱と、1曲の中でさまざまな顔を見せる。
 この楽曲の魅力は、ASKAが歌うからこそ最大限に引き出せるのだ。

 この楽曲の主人公は、傷を負っている。それは、肉体的な暴力によって傷ついたわけではない。言葉の暴力によって傷ついたのである。
 言葉は、軽い。言う方は、軽い気持ちで何とでも言ってしまえる。たいていの場合において、言葉の暴力を振るう方は、相手が傷ついていることすら知らない場合が多い。
 肉体的な暴力とは異なる怖さが言葉にはある。
 言葉の暴力を受ける側も、軽く受け流してしまえば済む話でもある。言葉など、空気の中に散ってしまうものであるし、記憶しなければどこにも残らない。
 だが、人は、他人の刺激的な言葉ほど、深く記憶してしまう。そういった言葉がどんどん積み重なると、この主人公のように消化しきれず、大きなダメージを負って途方に暮れてしまう。

 他人の評価は誰しも気になる。気にしないようにしていても、耳に入ってくるものなのだ。その言葉を受けて、あれこれ考えをめぐらせれば巡らせるほど、自らを苦しめることになる。
 楽曲に出てくる「小さな滝」。それは、きっとこんな情景だ。
 外で自分に降り注ぐ誹謗中傷の言葉をかけられ、帰宅して風呂に入り、疲れた体に降り注ぐシャワーを浴びながら、またあの言葉を思い出しては考える。
 まるでシャワーを浴びているかのように、何度も繰り返し、あの言葉が自分の心へ滝のように降り注いでは、積もっていく。
 主人公は、まるで滝つぼのようにすべてを受け止める。

 自分では、必死に前を向いて進んできたつもりだが、振り返ってみると、何とか帳尻合わせでぎりぎり間に合わせてきた生き方だったようにも思える。そんな自分は、本来の自分ではない、これは、一瞬だけ見せる姿なのだ、と言い聞かせてきた。周囲の批判を受けて、弱ってしまった主人公には、自らのふがいなさで心が満たされ、自らの心にある前向きな熱い想いが打ち負けてしまいそうになるのだ。

 眠らずに迎えた朝。通勤ラッシュが始まる騒がしい時間帯である。聞こえてくるサイレンの音。それが救急車の音なのか、心の悲鳴なのか、主人公には区別がつかなくなっている。
 疲れ切った主人公は、眠りに就こうとする。眠れば徐々に鬱屈した気分も改善するだろう。そして、日が暮れて月が出る頃になれば、少しは心に安らぎと余裕が生まれるだろうから。

 動くことすらできなくなった体と心の悲鳴。そうなると、もはや言葉だけでは表現しきれなくなる。言葉にできない表現と言えば、小田和正の「言葉にできない」やCHAGEが歌った「夏の終わり」などが思い浮かぶが、ASKAにもやはり言葉にできない部分を楽曲の中で表現することになった。
 言葉にならない絶唱。それをASKAは、恐ろしくなるほどの臨場感を持って「月が近づけば少しはましだろう」で表現する。主人公がぎりぎりのところで今まで持ちこたえながら来ていたものがついに持ちこたえられなくなって積み重なっていた疲労が噴出する場面だ。
 ASKAは、そんな心の悲鳴をサイレンの音に重ねて、声とメロディーでその深刻さを浮き彫りにするのだ。後半部分で見せるASKA迫真の絶唱は、もはや普通の人間の歌声を超えている。どこからこんな爆発的で高く太い、それでいて繊細な感情を持った歌声が出てくるのか。
 もはや、説明できる限界すら超えているのではと感じてしまう。だからこの楽曲を聴くたび、僕は、こんな歌唱ができるアーティストがこの日本にいることを誇らしく思うのである。




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