「風のライオン」を語る
 山犬

 この世の中がすべて自分の思い通りになる。そう信じていた時期があった。
 だが、共に少年時代を過ごした人々の文集などを読み返してみると、私だけが特殊であったとは思えない。誰しも少なからず体験して通ってきたはずなのだ。特に男性は、大人になってみれば現実とは思えない夢を脳裏に描いていたのではないか。
 私は、少年の頃、他の少年よりほんの少し野球が得意という程度のことで、将来は落合博満のような超一流プロ野球選手になれると本気で思い込んでいた。
 この「風のライオン」に出てくる主人公も、喧嘩では無敵というお山の大将という存在である。ボクシングのチャンピオンになるとか、大企業のトップに立つとか、あるいはこの国を動かす政治家になるとか、そんな途方もない夢を描いていたとしても不思議ではない。まるで百獣の王として君臨するライオンのように。
 日本は、民主主義の国であり、資本主義の平等な社会である。周囲の大人も、学校も、子供の夢を壊すようなことは、まず言わない。誰にも、偉大なる何者かになりうる可能性があるのだから。

 しかし、そんな子供たちの多くは、心に描いていた夢とは異なる現実を理解しなければならないときが来る。人は、子供のまま、何も変わらず生きていくことはできないのだ。
 今、「風のライオン」の主人公は、疲れた大人の姿に変わり果ててしまっている。縦型の人間関係の中で身動きがとれず、自らの存在価値を見失い、心とは裏腹の笑顔を見せたり、嘘をついたりしなければその場を乗り切れない小さな存在に成り下がってしまったのだ。
 ASKAは、成長していくことによって得る喜びよりも、成長していくことによって失う悲哀に焦点を当て、裏声を織り交ぜながらまろやかに描く。そして、今にも消え失せてしまいそうな、まるで夢のような思い出として主人公に少年時代を振り返らせるのだ。

 成長と共に様々な傷を負った主人公は、現在、長い冬の時代に入り込んでしまった。あまりにも思い通りにならないことが多すぎて、思い通りにならないことがさも当然のように目の前に立ちはだかる。
 そんなとき、主人公は、ある日の夜、夢の中で時間を戻し、救いを得る。そして、心を春の暖かな大自然へと運んでいくのだ。主人公は、ライオンのように腕白だった少年時代を決して心から失ってはいない。それは、心のどこかで生き続けていて、いつかきっとまた百獣の王としての力を取り戻すときが来るに違いないのだ、と。

 「風のライオン」の出足は、懐かしさと柔らかさを感じる穏やかでゆったりしたメロディーである。それが中盤で突如、ロック調の刺々しいメロディーに変わる。私は、ここに主人公の行き場のないいらだちを感じる。
 しかし、その後は、現状の気持ちを第三者的な目で達観したように語るミディアムバラードになる。1番だけでこれだけ大きく変化するのである。
 楽曲全体としてはバラードなのだが、その途中でめまぐるしく姿を現す激情がこの楽曲を特異なものにしていないだろうか。おそらく、その激情こそが、主人公が忘れかけていた少年時代の勢いであり、無敵の力でもあるのだ。特に2番のサビとラストのサビの間にある自らの決意を強く誓う歌声とメロディーの力強さは、バラードと呼ぶには激しすぎる。
 それは、大人として不満足な現実を生きながらも、少年時代の夢や希望をもう一度取り戻したい、取り戻せるはずだと願う主人公の心の葛藤なのではないか。

 「風のライオン」は、1988年3月5日に発表となったCHAGE&ASKAのオリジナルアルバム『RHAPSODY』の1曲目を飾る。ASKAとCHAGEは、全編を通してよく伸びる高音を響かせる。そして、それを支える高音のデジタルサウンドが心地よく響くバラードである。スローとミディアムなメロディーの間にハードを挟んだ巧みな構成であり、オリジナルアルバム1曲目は、必ずアルバムを象徴する名曲を持ってくるCHAGE&ASKAの真骨頂とも言える。
 さらに、1990年にはバラードベストアルバム『THE STORY OF BALLAD』にも収録となり、バラードのベストソングの1つとして認識されるようになる。
 しかし、私は、このアルバムの中でも特に際立つあのハードな一面にこそ、CHAGE&ASKAの込めた強い想いが、不満足な大人になってしまった私の心に訴えかけてくるのである。


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